第65話 強者の余裕

 何のことはない。他の奴らと同じように蹴ってしまえば終わる戦いだ。ちょっと違和感を感じたくらいでひるむのは前の私。この世界では死なない。痛いのは我慢すれば過ぎること。


「もっと生きたかったよぉ」


 目の前のイタチは幽霊みたいに喋る。おそらく、私のことなんて「お兄ちゃん」に会うための前座の前座に過ぎない。興味がない。


「わたしね、お兄ちゃんに会うの。お兄ちゃんの顔が見たいの」

「……」


 もう分かった。分かったから。


「そこ、どいてよぉ」


 のそのそと距離を詰めて来るイタチ。身体に傷は全くなく、ところどころの毛が血に濡れて固まっている。もしかしてこのオバケ、誰からも攻撃を受けないでここまで……


「倒れてよぉ……!」

「っ!!」


 次の瞬間、視界が赤黒い煙に包まれた。


 血のにおいが一層ひどくなった気がする。煙以外に見えるのは、足元のレンガでできた道だけ。イタチの居場所が分からない。非常にまずい。


 こんな状況になる前に一瞬見えたのは、イタチがナイフを振るった姿。信じがたいけど、あのナイフがこの煙を生み出した。馬鹿正直にナイフで攻撃されるよりもやっかいになってしまった。


「カエルさん、強いのかもしれないけど、見えなかったら何もできないよね?」

「……」


 煙の中にイタチの声が反響する。姿が見えていても形を保っているか怪しいのだ、見えなかったら手の付けようがない。


 考えないと。どこから来てもいいように備えないと。腹を掻っ捌かれたら終わる。首を切断されても終わる。


 今何ができる、勝つために……、


「ばいばい」


 また声が聞こえた。どこか……



「っぁあぁあっ!!」



 そんなことを考えているうちに、激痛で全部消し飛んだ。醜い声が出て、レンガ道に倒れ込んだ。


 見えなかったけど、斬られた。首でも腹でもなく、脚を。イタチは知っていた。私がずっと脚だけで戦ってきたことを。だから脚を斬れば戦闘不能になると思って、そこを狙った。


 完全にしてやられた。血が止まらない。傷がついたとかいう甘い話ではなくて、完全に斬り落とされた。


「……どうする? もういっこ斬り落とす?」

「や…………」


 うめき声を出そうにも、脳が痛みに支配されてそれしか考えられない。


「痛そうだから、いいかな」


 ……情けで斬られずに済んだ、のか。そうだ。両脚を落とされたら、とうとうなす術がなくなるところだった。不幸中の幸いだと思うことにしよう。


 痛い。とにかく痛い。でもこのままじゃ、負けてしまう。あの青年がピンク髪のいいようにされてしまう。フェアとベアボウに泥を塗ることになる。嫌だ。嫌だ嫌だそんなの、せっかくここまで戦ったのに。二人に恩返ししたい。


 したいのに……。


「戦ってくれてありがとう。ちょっぴり緊張した」


 変わらない寂しげな流し目でイタチは言った。


「……!」


 イタチが言いたいことは十分理解できてしまう。私は弱かった、私の負けだと。これが強者の余裕なんだと……。


「カエルさんはわたしが大人しくしたよ。ねぇ、これで……いい?」

「そうだね。それじゃ、そこのを持って帰るとしようか」


 イタチはピンク髪のところに戻ったが、彼女を恐れている様だった。私が負けたイタチが恐れるピンク髪。勝てるわけがなかった。


 ピンク髪が横たわる私を通り過ぎて、青年の方に向かう。一秒とも私を見なかった。誰も私になんか興味関心はなかったのだ。一気に虚しくなった。私は死んでも強くはなれないなんて、あんまりだ。


「さ、顔を上げて?」


 頑なに動こうとしない青年に、ピンク髪がしゃがんで話しかける。だめ、だめだよ、その人は怖がってる。連れていくなんて、


「おらぁああポンカぁ! 根性見せろこの野郎ォォ!!」

「回復は任せて! ジブンの得意分野だからね!」


 ……そんな時聞こえてきた声は、絶対に忘れない。


「……?」

「ポンカさん、遅くなって本当にごめんなさい! でももう大丈夫! 脚はすぐに治ります!」

「ポンカよぉ、そんなに強かったんならもっと早く言ってくれよな?」


 一人で残酷な光景を眺めていることしか出来なかった私に、フェアとベアボウが駆けつけてくれた。魔法か何かで怪我を治したのだろうか、至って元気だった。


「治った脚で、あのイタチに一発食らわせてこい。オレにはできなかったが、お前ならできんだろ。今はイタチも勝ったと思って油断してやがる」

「……ぴょ」


 ベアボウが応援してくれている。私を信じてくれている。あのベアボウが。夢でも見ているんだろうか。この出来事全部が悪い夢なら早く覚めてほしい。


「……よしっ! ポンカさん! オッケーだよ!」

「p、ぴょ?!」


 ベアボウの発言で頭がエラーを起こしている間に、フェアが脚を治療してくれていたらしい。全く脚が生えてきている感覚がなかった。はやすぎるよ、仕事が……。さすがに味方でも怖いよ……。


 でも実際、私の脚は元通り。ちゃんと感覚だってある。


「爆速で治療したぞ! ジブンながら頑張った!」

「オレたちはピンク野郎のところに行く! ポンカ! 信じてるぜ!!」

「……ぴょに!」


 二人は風のようにやって来て、風のように去った。それだけで、私の怒りに食いつくされていた心は満たされた。


 託された思いは、果たさなければいけない。


 イタチは私の斜め前。ピンク髪と青年をじっと見つめている。完全に私を倒したと思っている。強者の余裕。それは、油断にもなりえるんだ。


 極限まで音を立てずに背後に回り込む。まずは足元を蹴って体勢を崩してから、腹に一気に叩き込もう。むやみやたらに蹴っても勝算はない。


 かなり近づいても気づく様子はない。これならいける。さっきの屈辱をお返しだ。


「ぴょにぃ!!!」


 小さな足を横からすくうように蹴る。イタチはすぐにナイフを振るったが、姿勢を低くしていたので空振りだ。


 無防備に浮いたイタチに、カエルの強みである長い脚での蹴りをお見舞いする。


「あれ、何で脚が生えてるのかな……。どこで間違ったかなぁ……」


 自分の置かれている状況とは相対した、緊張感のない声を出すイタチ。その声はイタチが地面に叩きつけられる音でかき消された。



 ドォォォォォォォンッ!!!!!!



「……痛いなぁ、カエルさん強いんじゃん……」

「ぴょにに」


 イタチは反撃することなく、静かに負けを認めて目を閉じた。


「コナミ!!!」


 その時、誰よりも響く叫び声をあげたのは、イタチが負けたことに気づいたピンク髪だった。

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