第5話 わたしの力

「グルルル……」


 人間の声帯が出せる声ではない。正真正銘、ドラゴンの声だ。


 人はそんな様子を気にもせずに息を切らして僕の元に駆け寄ると、もじゃもじゃの毛皮に倒れ込んだ。


「はぁ、はぁ……。疲れたぁ。こんなに走ったのって久しぶり……」

「?!」


 きょ、距離が近い! お兄ちゃんって言ってたけど絶対知らない人だこれ。この人は淡いピンク色の丸っこいセミロングだが、妹がド派手な髪にするわけがない。二つ結びもためらう妹だぞ。


 そして妹はこんなに密着してこない! これ重要!!


 水色のカーディガンに白のワイシャツ、群青色の長ズボンと、極端に露出が多い服を着ているわけではないが、初対面でこの態度、完全に狙ってやがる。


 い、妹はこんないやらしいやつじゃねえ!!


「お兄ちゃん……ずっと会いたかった……」

「あ、ああ」


 この人は何がしたいのか意味不明だが話は合わせておく。余計なことをしたらまずそうな気がする。僕の天才的な感がそう言っているのだ。


「ごめん、僕記憶が曖昧でさ。お前の名前もよく覚えていないんだ。傷つくのは分かってる。実の兄に忘れられるなんて。でも思い出したいんだ。名前、教えてくれない?」


 嘘だ。妹の名前なんて忘れるわけがない。忘れたくない。今この人がコナミと言わなければ、この人は姿かたちが変わった妹でもなくなる。


 きっと何かを企んでいることが、明らかになる。


「名前? お兄ちゃん忘れちゃったの……? まあここに来たってことは一回死んじゃったってことだから、そういうこともあるよね……」


 人はゆっくりと僕を抱きしめると、さらに毛皮の中に顔をうずめた。恥ずかしいやらこそばゆいやらでぐちゃぐちゃだ。頭の中がかき回される。


 いやここで自分を強くもてサザナミ。魅了されれば相手の思うつぼだぞ。


「コナミだよ。わたしの名前」

「!!」


 いたずらっぽく耳元にささやくと、この人はさらに強く抱きしめてくる。胸が当たっているのを毛皮越しでも意識してしまう。


 やめろやめろ、僕はお前に用はないんだ。今お前は確かに妹の名前を言った。だけど、コナミが何度生まれ変わろうとこんなことはしない。


 絶対に……。


「お前は何がしたいんだ」


 とろけかけていた頭に筋の通ったドラゴンの声が反響したので、ちらりとドラゴンの様子を見てみると、完全に目が据わっていた。ドラゴンも気まずいだろうな……。あ、そういう問題ではない?


「何って、お兄ちゃんと会えたので嬉しくて」

「俺にはそうは思えんな。『お兄ちゃん』をちゃんと見てみたらどうだ? 嬉しそうにしているか?」


 人はドラゴンの言うままに僕の目を真っ直ぐに見つめた。赤茶色の大きな双眼がかわいらしい。微妙に首をかしげるのも狙ってるとしか言えないが、悔しいほど愛おしかった。


「んんー……。久しぶりに会ったからか分かりませんけど、照れてるみたいです」

「そう、か」


 本当に申し訳ないと思っている。ドラゴン、理解してくれ。あんたも男だろう。ちょろいもんなんだよ男は。ちょっぴりあざとくされただけで堕ちてしまうくらい。

 僕はこの人が嫌いなのに。


「すみません、お兄ちゃんと話していたみたいなんですけど、一緒に帰ろうと思います。いいですよね?」


 人は僕の体を強引に引っ張りだした。帰るって、どこにだよ。僕とお前が一緒にいたことなんて一度もないんだ。帰る場所なんてあるはずがない。


 振り払おうとしても、怪我をさせるのが怖くて動けない。


「何をしている。そいつは帰りたいと思っているのか」

「はい。だって兄妹ですよ? 当たり前じゃないですか」


 違う。


「……なあ」


 怪我をさせるのが怖いなら、声を振り絞ればいい。


「お前、兄妹なめんなよ」


 情けない。声が震える。言った瞬間、人の目からきらきらとした輝きが消えるのが分かるから。


「コナミのふりして何企んでるんだ? 回りくどいことしなくていいから、言ってみろよ」


 人は口を固く結んだ。ひどく怯えているように見えた。


「わたし……」


 激しく息継ぎをして続け、


「お兄ちゃんといろんなことしたかった……!」


 泣きそうになりながらも、僕たちを背にして来た道を走って去ろうとした。


 が、


「ロン、行け」


 ドラゴンが逃がしてはおかなかった。


 頭上を風が一気に駆け抜けていく。何か長いものが流れているようだが、急に何が起きた……?


「ガギャギャギャア!!!!」


 小さくなっていく人の背中を、巨大な黒龍が雄たけびを上げて追っていた。一瞬ドラゴンが龍になったのかと思ったが、ドラゴンは僕のそばにいる。


 龍の革はかぶっていなかったが。


「ドッ、ドラゴンさん?! どうしたんです?!」

「どうもしていないが」


 暴風の中、長く蒼い髪をなびかせる姿は様になりすぎていた。いつもは見えない顔もまるで絵にかいたようだ。ファンができるのも納得せざるを得ないだろう。


「というか頭どうしたんですか!!」

「俺の頭が悪いというか!」

「違う!!」


 多分ドラゴンに話を聞いてもらちが明かないので、あとでじっくりと話を聞かせてもらうことにしようそうしよう。


「やめてください! わたし悪いことしてません……!」


 かすかに龍を追い払おうとする姿が見える。何を考えているのか全く分からない。僕に用があったのか? そもそも、妹の名前を知っていたのはなぜだ? ここに来たばかりの僕をどうやって見つけた?


 龍を目の当たりにしたオバケたちがぞろぞろと集まってくる。驚きや不安が波紋のように広がっていく。


「あの龍何? オバケなの?」

「襲われてるの女の子? 人間みたいな格好してるけど」

「結構かわいい子だよな。かわいそう」


 違う。違うんだって。


 この空気を察したドラゴンは、龍に向かって「戻れ」と叫ぶ。でも届かない。オバケたちの声が騒音になっている。


「ロン! 今回はもういい! 戻れ!」


 ドラゴンがもう一度叫んだその時。


 人と龍が消えた。


「?!」

「ロン!」


 ドラゴンが龍を戻したわけではなさそうだ。じゃあ、あの人が自分もろとも消したのか?


「……わけ、わかんねえ」


 ただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。


 ???

「あなたの主人があなたを呼び出せる力があるように、わたし、空間をいじる力があるんですよ。ほかにもたくさん力はありますが……。かわいい龍さん。あなたの主人、あなたがいないと戦えないでしょう?」

「グ……グギュ」

「だからしばらく一緒に遊びましょう。この亜空間でね……」
















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