第73話 ナイフは未だに戻らない

「……ささ、ってる、何か、何なのこれ……?」


 衝動的に叫んだミャルメンは、傷口が開かないように小声に戻る。そして八本ある足のうちの上四本を力なく動かして、兄を頼った。


「どうしたらいい? 痛い……。ねぇ、早く来てよ、わたし……動けなくなる、よ……」

「…………ミャル」

「痛いよぉ……いっぱい血が出てる……。こんなの、やだ、こんなので負けたくないよ……」


 洞窟の奥深くでミャルメンがぽつぽつと綴る言葉を一言も逃さないよう、ミャチメンは妹を見た。向かってくるドラゴンを荒っぽく腕で跳ねのけ、その場に立ち尽くす。


 僕も地面を練り歩くアリの視点でミャルメンを見ていた。血の色に染まっていた。ナイフは依然背中に突き刺さり続けている様で、痛みに悶える表情は消えることがない。


 さっきイタチ、コナミが言っていた。「油断が一番怖い」と。だからナイフは敵を突き刺してなお抜けることは無い。確実にとどめを刺してから僕の元に帰ってくるのだろう。


「ミャル、落ち着け。そこを動くなよ、傷が深くなる……」

「うん、分かってる、だから早く来て……こっちに、来て」


 ミャチメンはすぐ隣にいるドラゴンにガンを飛ばし、即座に妹に寄り添う。


「大丈夫だ、二度も死にはしない。ここはオバケどもの世界だからねぃ。怖がる必要は何もないさ。ミャルをぶっ刺したモノも今あっしが取ってやるからねぃ」

「うん、うん……。お願い……すごく痛いから……」

「どれ、ちょっぴり痛いかもしれねぇが我慢してくれぃ」


 ミャチメンは四本の足で妹の身体を支え、二本の足で血がこびりついた顔をぬぐってやる。こんな時でさえ揺らぎのない声だが、もう血のついていない場所を何度も何度もさすっているのが目に映った。


 ナイフは未だに戻らない。


「あぁ、これだねぃ。本体は小さいナイフだが、何かしらの力で刀身が伸びている……。小賢しい真似をしてくれるねぃ」


 顔をぬぐう二本のうちの片方の足をナイフに伸ばす。


 ナイフは未だに戻らない。


「サザナミがやったんだねぃ。まず回復を封じれば勝てるだろう、って」


 ナイフが纏うオーラにとうとう触れようというその瞬間、ミャチメンは不意に手を引っ込めた。


「いや待てよ。サザナミはどうやってミャルを刺した」



 ナイフは未だに、戻らない。



「ゔあぁああああああぁああぁあぁぁああぁ!!!!!」



 確実にとどめを刺すまでは、絶対に。



「……みゃ、る」

「うああぁぁぁ、あああああぁあああぁぁっ……!」


 僕がさっきまで想像していた景色が、ここにある。コナミのナイフがミャルメンの胸を貫く、この景色が。


 辛うじて二足歩行を保っていたミャルメンが、ミャチメンの腹にくずれていく。妹に寄りかかられて兄も倒れかけたが、何とか立て直し、そして抱きしめた。


「っ……」


 流れ出した血は兄の身体を伝い、妹の腹に染み込んでいった。


「ミャル、おいミャル」


 細い足で妹を包み込んだ兄はか細い声で何度も名前を呼ぶ。いつの間にか、僕の元にはナイフが戻ってきていた。すでにオーラはなくなっている。


「返事くらいしたらどうなんだ? 死なないことは分かってても、寂しいぜぃ」

「……」

「なぁ。戻るんだろ? 生き返るんだろ? なぁ……」


 ミャルメンの丸く可愛らしい瞳は、重く閉じられたままである。それでもミャチメンは呼び続ける。


「ミャル。こんなところで負けちゃあいられないぜぃ。だからせめて目ぇだけでも開けてくんねぇかねぃ?」

「……」

「……」


 ミャチメンは黙る。名残惜しそうにミャルメンから目を離すと、次に彼の視界にいるのは僕たちだった。


「……妹の一大事だ。もっとそばにいてやりたいさ本当に」


 ミャチメンはミャルメンを抱え、洞窟の壁に優しく寄りかからせる。


「そりゃあ、当然のことだねぃ? あんたらもきょうだいがいれば分かるだろう。辛いよ。傷ついた妹の手当てすらまともにできずに戦わなきゃいけないのは」


 ナイフで刺された痛々しい傷を見て目を細めたミャチメンは、ゆっくりと、でも確実に僕たちに向かってくる。


「それなら、お互い同じような状況ってことだな。フェアじゃないか」

「……ドラゴン、さん?!」

「……あぁ。なるほどねぃ。ドラゴン、あんたは仲間であるサザナミがミャルの立場になるわけだ。そうだねぃ、確かにフェアだねぃ」


 洞窟の浅い方にいたドラゴンもまた、ミャチメンの方に向かう。そうだ。ミャチメンを回復するミャルメンが動けない今なら、ドラゴンの攻撃も十分に通用する。絶好のチャンスなんだ。


 そんな時に、かすかに声が響いた。



「わたしの『お兄ちゃん』……は……まけ、な……」



「……ハハ」


 その声をまさかミャチメンが聞き逃すわけがなく。


「そう……。そうなんだ。確かにフェアなんだがねぃ。そっちの手負いは所詮赤の他人。それに対してこっちは妹。ねぃ。何が言いたいか分かるかぃ」

「知らん。お前が何と言おうと興味はない」

「……残念、って感じだねぃ」


 ミャチメンは勢いよく宙にはばたく。広げられた翅はところどころ赤で塗りたくられていた。


「あんたたちのあっしらを倒そうという『意思』は、あっしの妹を傷つけられた『怒り』に比べれば、笑っちまうくらいどーうでもいいもんだってことだよ!!」


 凶暴な毒針をあらわにしたミャチメンに、ドラゴンはたまらず舌打ちをする。しかしそれは、苦し紛れに出たものではない。どちらかと言えば、面倒くさそうな舌打ちだ。


「はぁ~~。そうだな、俺はサザナミと生涯共に生きていくような仲じゃない。お前らの絆? 兄妹愛? に比べりゃあ薄っぺらいものだ。だがな。そのことがお前を敗北に導くんだ。分かるか」


 その時、僕はようやく気が付いた。ドラゴンの手に握りしめられているものが、糸を切る時に使った小刀ではないことに。


「ほう? どういうことだねぃ?」


 ミャチメンは質問を投げかけておきながらドラゴンに毒針の猛攻を仕掛ける。


「まず、ミャルメンが動けなくなった。これによって俺の攻撃が有効になったんだが、それでも正直お前を倒せるか怪しかった。なにせこの攻撃スピードだからな。避けるのに精いっぱいで小刀じゃ傷はつけられん。飛ばれるとなおさらだ」


 至って冷静な顔つきで、ドラゴンは毒針を避け続ける。外から見ていれば毒針を認識するのも難しいレベルだが、管理者のドラゴンにははっきりと動きが見えるらしい。


「しかし、ミャルメンが攻撃されたとき、お前は俺をにらむだけで何もしなかった。そこだ。そこでお前の勝敗は決まったんだ」

「……何を言っているんだぃ? 現に今も避ける事しかで」


 そこまで言って、ミャチメンも気づいたようだった。ドラゴンが手に持っているのは、小刀なんかじゃない。


「お前がミャルメンのところに行っている間、時間が生まれたな。魂を小刀の形から銃に変える時間が」

「……っな、なるほど、ねぃ」

「銃は引き金で一発だ。飛んでいようが関係ない。そしてお前は回復ができない」


 ドラゴンは身をひるがえし、弾を一発ミャチメンの翅に打ち込む。


「ぐぅっ……。このっ」

「はい、もう一発」


 地面にへたり込んだミャチメンの足にも一発。


「……急所外しやがって、遊んでんのかぃ? この戦いはあんたにとってお遊びなのかぃ?」


 依然毒針は出したまま、銃口を向けるドラゴンを見上げながらミャチメンが問う。


「いいや。俺はずっと真剣だ。ただ、お前らがやっていることをちゃんと考えてほしいだけで」

「だから何度も言ってるだろ、あっしらは生き返りたいだけだと」

「でもその結果大事な妹死にかけてるだろ」


 その言葉に兄は顎をカチカチと鳴らす。怒りと虚しさが混ざりに混ざって、胸の中で渦巻いているのだろう。


「道半ばで死んだのは気の毒だと思う。でも」


 その胸に、ドラゴンは静かに銃口を当てる。


「人の命を奪おうと思わなきゃ、こうはならなかったんだぜ」



 銃声が、響いた。



 そこからの記憶は、毒が回ってきたせいか、途絶えている。

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