第16話 わたしを見て

「ぐあっ……!」


 後ろからどつかれ緊張がぷつりと切れると、過剰なほどに漂っていた煙は一瞬で消え去ってしまった。


「いったぁ……」


 何度も何度も倒れ込んだので、もう痛みには耐性がついてきた。いや、それでも痛いのには変わりないのだが。


 手から離れたナイフがカラカラと音を立てて転がる。まだおぞましいオーラはまとったままだった。


「イタチのナイフ……。どういう仕組みでもわもわが出てるんだぁ? オレあんまり考えごとはできなくてよぉ」


 ベアボウはかがんでまじまじとナイフを見つめる。そしてあろうことかツンツンと指でつついてみたりもしている。


「ちょっと、危な」

「だーいじょうぶだってんだ! オレくらいの実力がありゃあ」

「危ないですって!」


 むくりと起き上がってベアボウに忠告した、ちょうどその瞬間、


 ナイフがベアボウの腹めがけて動き出した。


「?!!」

「あぁ?! 何だっ、この野郎!!」


 すんでのところでベアボウはナイフをぶん殴った。さすがとしか言いようがない。予測していないことにも暴力で対応する。


「てかっ、ベアボウさん手! 手ぇ! 大丈夫ですか?!」

「んあぁ?! こんくらいへでもねぇよ!」


 そんなことを言って。刃の部分思いっきり殴ってましたよね。


 千鳥足でベアボウのそばに寄る。ベアボウは強がっているのか、僕が来るとスッとナイフを殴った右手を隠した。


「なぁんでこっち来んだよお前はよ!」

「確信犯じゃないすか……」

「お前! オレの近くに来るのはセクハラ認定するけどいいのか! いいんだな! オレ一生覚えとくからな! 嫌ならこっち来んな! こっち見んな!」


 焦りが非常に分かりやすい。ひっじょ~うに。ベアボウさんあなたセクハラされる立場じゃないでしょう。諦めてきっちり手当てしておきましょう。悪いオバケにやられますよ。


「今負傷すると、全力でオバケ退治できなくなりますよね? 怪我をしたならフェアさんに治してもらえばいいと思うんですけど」

「そうだな! オレもいつかはお世話になるつもりだ。しかぁし! オレは怪我なんてしてねぇ! だから用なしだな! ガッハッハ!」


 笑い方が無理矢理すぎて。なぜか気の毒になってくる。管理者だって弱みくらいありますからね。認めましょう。


「ええと」


 ベアボウはかしこまって後ろで手をつなぎ合わせる。


「とりあえずお前も疲れただろうし! オレも急用を思いだした! だから、今日の訓練はおしまいだ!」

「やっと認めましたね」

「何をだぁ? オレは死ぬほど溜まってる書類整理を思いだしただけだがぁ?」

「……はい」


 このまま通していくらしい。


「……」


 しかし、急用があると言ったばかりのベアボウは微動だにしない。あっちやこっちを見ていかにも気まずそうだ。


「あれ、書類整理は」

「もちろんやるが! ちょっくら先にドラゴンのとこ戻っててくんねぇか?」

「何でですかー。僕ベアボウさんがいたほうが心強いのにー」

「エレベーターくらい一人で乗れるだろうが!」


 ふむ。エレベーターでボタンを押すときに手が見えるのが嫌なんだな? 何でだよ。拳の傷はベアボウの恥なのか? さすがの僕でもそろそろ引き下がろうかと思えてきた。


「あ、あと」


 潔く帰ってやろうと足を進めたら、すぐに呼び止められた。


「何ですか?」

「この、ナイフだが。オレが持ってても刺されて具合悪くなる未来しか見えねぇし、お前、持っててくれねぇか」


 はい?


 待ってくださいよ。僕に持たせたら何オバケ倒すか分かりませんよ。さっき見ましたよね。ナイフが動くところ。暴走したらジエンドですよ。


「無理です、僕は」

「でもお前、普通に持って戦えてただろ? 少なくともオレが持つよりは安全だ」

「持ては、しましたけど……」


 すっかりオーラは消えはてて、さびだらけに戻ってしまったナイフ。見るだけで寒気がする。


 それをベアボウはひょいとつまんで僕の手のひらに押し付けた。


「?! や、僕死にたくないです! やめてくだ」

「ほら、何もないぜ?」


 僕をさえぎってベアボウがつぶやく。


 今だけかもしれないですよ。ベアボウさんがいなくなった瞬間にぶっ殺しにくるかもしれないですよ。


「オレの勘だが、お前はイタチと何かしら関係がありそうだ。これはなぁ、震え上がるほど当たるぜぇ?」

「……イタチなんて会ったことありませんけど」

「まあぐちぐちいうな! さっさと帰れ!」


 強引にエレベーターの前まで押された。無理して立ち止まるとずっこけるので下手に抵抗はできない。


 結局、ナイフを押し付けられたまま自分の部屋に戻ってくることとなった。



 ???


「シュルルン! シュルゥ!」

「あ、やっと口を開いてくれた?」


 かわいいイタチ。何がどうして今更騒ぎだしたの? あなたはもうこの空間の外になんていけないの。ずっと一緒に遊ぶの。とっくに諦めたと思っていたのに。


「でもどうせ外の世界のことでしょう? わたしのことなんて気にかけちゃいない」

「シュルルン!シュルル!」

「何がそんな……」


 お兄ちゃん? お兄ちゃんに会いたいの?


 わたしよりお兄ちゃんに会いたいの?


 わたしはあなたのことしか見てないのに。


 せっかく二人になれたのに。


「コナミ!」


 わたしを。



 わたしを見て。












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