第30話 腹の奥まで
あれほど遠く感じられたライ林も、とぼとぼ歩いていればいつかは着く。
気づけばライ林は目と鼻の先にあった。
「はっはっは! さすがにオレの音速ダッシュにはついてこれなかったようだな!」
「ベアボウだけだぞ、本気で走ってたの」
「ぴょーに」
ベアボウはふんぞり返ってニシシと笑う。勝ち誇ったように笑う。ものすごく笑う。
これ、自分の足の速さを自慢したかっただけなのでは……。フェアもポンカ様もすねなくても大丈夫ですよきっと。
「それにしても、空気が重いな」
「そうすね。嫌な予感しかしません」
三人があれこれ言い合いをしているその向こうに目を移す。
黒い針葉樹が茂る中、ところどころに赤や黄色に紅葉した広葉樹が目を引く。歩いてきた道は見慣れた草しか生えていなかった分、異様な雰囲気に圧倒される。
ライ林は僕の目線よりもずっと高く、そして僕の視野よりもずっと広い。
「さてと。手早く退治してやるとするかぁ?」
そう言いながら、既にベアボウの足はライ林の土を踏みしめていた。くしゃりと落ち葉が崩れる音がする。
「これ以上一般オバケに迷惑をかけるのはやめていただこう」
ドラゴンお得意の悪い顔。かろうじて宿っている目の光が消えると、悪いのはどっちなのか分からなくなる。
「ジブンもドラゴンに同意ー」
「ぴょーん! ぴょにー!」
ベアボウとドラゴンに続いてポンカ様も心地よい音を立ててライ林に入る。
「サザナミクン、いこっか!」
「もちろんです!」
フェアの十八番の笑顔を見て気持ちを落ち着かせたところで、僕も中に入る。
ここからはもう、戻れないし、戻らない。
一旦中に入ってしまうとすぐ、こぢんまりとした広間にたどり着いた。大きな木が真ん中にあるだけで、周りは木々が囲っている。
どこからか木漏れ日が差し込んでいて綺麗な場所だ。
「管理者の皆さん! 本日はわざわざこんな辺境までお越し下さりありがとうございます!」
「?!」
やたらとハイテンションな声が聞こえたかと思うと、いつの間にか真ん中の木の枝に誰かが座っていた。容姿を見る限り人間のようだけど……。
「ここはライ林……いわば僕、ナオの家です! ここのことならなぁんでも知ってます。だから、皆さんのこと、しっかりご案内できると思いますよぉ」
肩まである髪を左右二つにまとめ、ゆったりとした白い着流しを着ている男、ナオ。格好こそドラゴンと似通っているが、ぱっちりとした目はどこか残酷に輝く。
「おめぇ……オレにビビって出てこなかったくせに、どういう面して出てきてんだぁ? あぁ?」
「あらら、ちょっぴりご機嫌斜めですか?」
とびかかる寸前のベアボウを見ても、ナオは僕たちを小馬鹿にしたような態度をとる。
「ぴょにに……」
「オバケとオバケが争うのは無駄な事ですよ? オバケ同士くらいは仲良くしましょう?」
「仲良くって! キミが一般オバケを傷つけてるんでしょー!」
……さっきから。気のせいかもしれないけど、ナオと目が合っている。僕を見て、ニヤニヤ笑っている。
しかもこいつ、オバケ同士くらいはって言った。それじゃここに他の種族がいるみたいな言い方だ。
「おい、お前」
搾りかすのような声が出る。
「ん、何?」
「ここに、来た目的……は、何だ? 気まぐれでも善意でもないだろ?」
分かっちゃいるけど。ナオが喉から手が出るほど欲しいものは、ここにあるんだけど。猫を被っているようだから、その皮引っぺがしてやりたい。
ナオは人差指を口に当て、しばらく考えた。
「うーん……。どうしたらいいかな」
さらに目を瞑り、宙ぶらりんの脚をパタパタと動かした。着流しから真っ白な素肌が見え隠れする。
「おっせぇんだよこのビビり野郎が!」
いよいよ待ちきれなくなったベアボウが獣のうなり声をあげる。狙いを定めるために四つん這いになり姿勢を低くする様子は、実際の熊にしか見えなかった。だからなのか、気づいたときには変な汗が出ていた。
ベアボウは地面に爪を立て、ナオをぎろりと見つめる。いつでも喉笛を掻ききれる準備はできているようだ。
しかし、それを気にすることも無くナオは目を開けた。
「よし! 答えが見つかったよ!」
ひょいと木の枝から飛び降りて、ナオは僕の方にゆっくり歩いてくる。
「僕には求めている大切なものがある。ものすごくね。……それが目の前に現れたら、どうするかって話だよ」
ナオは僕の前で足を止め、腹の奥まで凍り付きそうな笑みを向けた。
「サザナミ!!」
ドラゴンが僕の名前を叫んでいたのに気づいたのは、もう少しあとのこと。
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