第2話 人食いオバケの世界

 心のわだかまりを何とか抑え込んで、女の後を追う。都合よくオバケが現れてくれるなんてないない。


「やっと来ましたね。私の癪に障らないよう努力することをお勧めします。それで、どうしても来ていただきたいところがあるのですが、お手洗いなどは大丈夫で?」

「はい。僕のことは気にしないでも結構ですよ」


 どうせトイレに行きたいと言ってもあとでにしろと返されるだけだろうし。


 そんなこんなで、豪邸の中を練り歩くこととなった。

 さすが豪邸と言うだけある。とにかく広かった。天井には当たり前のようにシャンデリアが並び、赤いカーペットが廊下に隙間なく敷き詰められている。壁の金箔一つとっても手がかかっているのが十分すぎるほど伝わってきた。


「すごいですね……」

「でしょうね。私もここにずっと住んできましたが、全てを見て回ったことはありません。決して不可能なわけではないのでしょうが、あまり気が進まなくて」


 女は珍しく声のトーンを落とした。


「ほとんどは何の変哲もない豪華な部屋です。しかし、どうやらここには地下があるようなんですよ。私もつい最近まで知らなかった」

「地下、ですか。地上だけでもお腹いっぱいなくらい広いですけど」

「別に地下があること自体はおかしなことではありません。最初はそう気に留めてはいなかったんです。でもやはり少し不気味でして」


 しばらくの間沈黙が広がり、辺りを包み込んだ。

 その中にかすかに感じた気配。嫌でもオバケが脳裏によぎってしまう。


 同じことを思ったのか、女は軽く咳払いをした。


「すみません。話をするより実際に見たほうが早いですね。では地下に通ずる道に向かうとしましょう」


 もしかしたら人食いオバケが現れるかもしれません、と、付け足して。


「それにしても、何で僕を連れてきたんですか?街にいる人は他にもたくさんいましたけど」

「ああ、それはいずれ話そうと思っていました」


 女は若干ためらうように目を伏せ、息を呑み込んでから言葉をつづり始めた。緊張した面持ちに反して、足はどんどん先へと進んで行く。焦っているようにも見えた。


「サザナミさんを含め、この世のほとんどの人たちはオバケなど存在しないと思って生きているでしょう。仕方のないことです。だって見えませんから。でも、霊感と言う言葉がある通り、オバケが見える人がいるのも事実です。私もその一人でした」

「聞いたことはありますけど……」

「いいんですよ。経験したことのないことは信じられないものです。それで、偶然街であなたを見つけました。オバケに憑かれている、あなたを」

「え? 」


 憑かれているって、言ったよな。そんなのありなのか? 憑かれたらいくら何でも霊感がない僕でも気づくんじゃなかろうか。


「本当ですよ。私嘘はつきません。サザナミさん、あなた知らないふりしているだけでしょう?先ほどもあなたのすぐ近くにいましたよね」

「いや、でもオバケなんか」

「本気で信じ込まなくてもいいんです。でも私の話をそのまま受け止めてください」


 心当たりはある。確かに声は聞こえた。でも認めたくはない。認めてしまったら、急に些細な出来事が怖くなってしまうから。

 それだけではない。

 あの日、妹が階段から落ちて意識不明になったのも。

 それから意識が戻ることなく死んでしまったのも。

 全部、オバケのせいだったら、もうどうしようもなくなるから。


「顔色が悪いですが、一旦休みますか?」

「っ!」


 気づいたら女に覗き込まれていた。至近距離にほぼ反射で顔を上げる。


「いいえ、心配しなくても……。あなたに霊感があって、オバケが存在しているらしいのは理解しました。でもそこまでオバケにこだわって、退治したいんですか? 親でも殺されたんですか? 」

「殺された、と明言はできませんが」


 女は一切ためらうことなく言った。デリケートな話題だったかもしれない。女の様子を見て逆に気づかされた。


「自分語り、させてください」

「は、はい」


 いくらか歩む速度がゆっくりになった。一つの家の中だというのに、なかなか地下にはたどり着かない。もう少しかかりそうだ。


「私の母は少し前に病気で死にました。それはもう良くも悪くも風化して、受け入れられるようになりましたが、未だに引っかかるものがあります。母が死んでから間もなく、弟もいなくなってしまったのです。地下に行ったっきり。あ、気を使わなくてもいいですよ。慣れっこですから」


 何を言えばいいか分からず黙ったままでいると、女は表情を緩めて手をひらひらと宙に舞わせた。


「サザナミさんは頭がよく回るでしょうし、何となく結末は見えたんじゃないですか?」

「地下は霊感があるあなたが不気味に感じる所。そこに行った弟さんがいなくなった。弟さんの失踪にはオバケが関わっているんじゃないか。そんな感じですか?」

「ご名答。さすがですね。そこでオバケに憑かれたサザナミさんをご招待したというわけです」


 この女のご招待は人を殴って気絶させることなのだろうか。それは置いておいて、とにかく僕がここに呼ばれた理由は理解した。偶然感は否めないが。もちろん僕はオバケが見えるわけも無いし、どうすれば弟さんを見つけ出せるのかもちんぷんかんぷんだ。


「僕を呼んだことと弟さんを救えるかは別問題ですよ?」

「百も承知です。弟が見つからなかったからと言って文句を垂れる気はありません。そこまで私はワガママではありませんからね。……もうそろそろお目当ての場所に着きます。気を引きしめていきましょう」


 いつの間にか目に映っていた装飾は苔むした石の壁に変わり、灯りも細いロウソクが等間隔であるだけになっていた。

 明らかに今までの場所とは違う。肌で感じる。


 暗い一本道をしばらく進むと、朽ちかけた木の扉が現れた。蹴っ飛ばしたらボロボロに壊れてしまいそうなほど年季が入っている。


「弟は、この中に入って行った。きっと生きてくれているはず……」


 女が向こうの世界を読み取るように木の扉に触れる。


「きちんとお願いします。私の名前はミヨ・オクリ。サザナミさん。扉の向こうにいる私の弟を見つけてきてくれませんか」


 オクリ、と呼ぼうか。僕はオバケと縁もゆかりもないと思っていた。でも、もしかしたら。死んだ妹がオバケになっているのなら。向こうで会いたいと思うし、話を聞いて弟さんを見つけ出したいと思う。


「出来る限りを尽くします。が、オクリさんはいいんですか?弟さんを探すなら一緒の方が」

「もちろんそうなのですが」


 オクリはそう言うと、扉を前に引いて開いた。


 ただの壁だった。


「えっ? 何も」

「ありません。なので私はどこへも行くことができません」


 悲しそうに笑った。キュッと胸のあたりが苦しくなる。


「向こうの、人食いオバケの世界に行ける人間は、オバケに連れ去られた者のみ。私の後ろにオバケはいません。しかし、サザナミさん。あなたの後ろには」


 シュルルルン!!!


 あなたを連れ去ろうとするオバケが、います。


























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