第9話 呼び名
時が過ぎていくのはあっという間だ。
鴇重がロマジェリカに残ってから二年が過ぎた。
最初のうちは街の人々や上役たちも、酷く冷たい態度を示していた。
レリアの仕事を優先に考えて、住む場所がパオロたちと別だったせいもあるんだろう。
ただ、構えた住居の周りがヘイトや庸儀の容姿が多い一角だったこともあり、鴇重が受け入れられたのは比較的早いほうだったらしい。
午前中はパオロたちを手伝って狩りや釣りに出かけ、午後はクロムを手伝って薬草の仕分けと調合をする。
そんな日々を続けているうちに、無害な人間だと認定されたのだろうか。
通りから仕分けをしている姿がみえるからか、周囲の人たちが好意的な態度で挨拶をしてくれる。
そういえば、最初に手伝ったときからそうだった。
今にして思えば、こうなることを見越して窓を開け放っていたんじゃあないかと思う。
レリアのところへ通ってくるロマジェリカ人たちも、早い段階でこの街の住人であることを認めてくれたようだ。
まだ暗いうちに家を出て、今日はパオロたちと山沿いの街へ出かけた。
もうすぐ豊穣の時期で、今年も誠吾がくるだろう。
去年、誠吾と里田は
てっきり近くの人けがないところで会うと思っていたのに、そんな格好で堂々と現れたものだから、家に招いてから鴇重は思いきり笑ってしまった。
「この格好なら、怪しまれずに訪問できるじゃあないか」
「そりゃあそうだろうけど……二人のそんな格好、初めてみたからさ」
「来年もその次も、これで訪ねて来られるように手配してもらったんだ。そう笑ってくれるな」
憮然として里田が言う。
パオロの計らいで、山沿いの街に暮らす諜報たちが用意してくれているそうだ。
今年もそろそろ来る誠吾たちのために、連絡と準備をしに行ってきた。
レリアとは去年、正式に結婚をし、誠吾が訪ねてきたときに紹介した。
今年は先月産まれたばかりの子どもがいる。
先だって手紙を書き、誠吾には子どもの泉翔名を考えてくれるように頼んだ。
「ティーノ、いるか?」
クロムとともに摘んできたばかりの薬草を吊るしていると、マッテオが顔を出した。
「今年も行商さんたちが来たぞ」
「えっ? 今年は少し早いんですね」
マッテオの後ろから、誠吾と里田が現れた。
背負った荷物は木の実や茸などでいっぱいだ。
早速、家の中に招く。
「久しぶり」
「元気そうだな」
クロムが誠吾と里田の荷を眺めながら「おや、この茸は煎じて薬にできる」などと嬉しそうにしている。
マッテオと一緒に軒先へ簡易机を出して、二人が持ってきたものを並べた。
こうしておくと、レリアのところへ通ってくる人たちが買っていってくれるからだ。
「手紙で知らせていた通り、先月、男の子が産まれてね」
お茶を出していると、レリアが子どもを抱いて部屋に入ってきた。
「どうぞ、抱いてやってください」
里田と誠吾に代わる代わる抱かれても、スヤスヤと眠っている。
子どもの外見は、レリアのロマジェリカの血が強かったようで、栗色の髪に琥珀の瞳だ。
今は眠っているから瞳の色は見せられないけれど、髪の色と肌の白さが泉翔のそれとは違うと、一目でわかる。
面立ちはわずかに鴇重に似ているように思っているが。
「人の出入りが多い家だからか、
「ああ。これだけ動かされても、ぐっすり眠っている」
「名前はなんとつけたんだ?」
「うん、リベルタだ」
「そうか……こういってはなんだが……パッと見て泉翔人に見えないようでホッとする」
「……うん」
鴇重もそれは感じていた。
自分に似ていたら、今後、生きにくくなる可能性がある。
「ところで、頼んでいたことは、考えてくれたか?」
「ああ。これだ」
封筒を手渡され、中を確認した。
真っ白な紙に筆文字で『
「鴇……いや、ティーノの名前から一文字取った」
「そうか……ありがとう」
この街へ来ると、誠吾も里田も鴇重を『ティーノ』と呼ぶ。
どこで誰が聞いているかわからないからだ。
鴇重も、ここにいるあいだは二人の名前を口にしない。
なかなか不便ではあるから、いずれ二人にもここで使う名前を考えてやったほうがいいだろう。
「レリア、それじゃあ、二人を送ってくるよ」
「はい。お二方、今日はありがとうございました。道中、お気をつけて」
「みなさんもお元気で。また来年、寄らせていただきます」
鴇重は誠吾と里田を車に乗せ、上陸ポイントに近い街まで送った。
これなら誰かにつけられたとしても、怪しまれることが少ないからだ。
道中は三人で雑談をしたり、泉翔の今の状況を聞いたりしている。
それに――。
車の中ならば、堂々と互いの名前を呼び合える。
ロマジェリカにいると、誰も『鴇重』の名前を呼ばない。
ティーノと呼ばれることに慣れ、自分の名前を忘れそうになる。
レリアは最初のころ、気を遣って鴇重の名前を口にしたけれど、周囲に洩れたらレリアとクロムまで危険が及ぶかもしれない。
だから鴇重自身が、それを止めた。
今、この名前を耳にするのは、このときだけだ。
「それにしても、なぜ泉翔名をつけようと思った? 子どもには必要なさそうに思うが」
「うん、確かにそうなんだけどな。この先、なにがどうなるかわからないだろう? いずれ大陸と泉翔の関わりが変わるかもしれない。息子が大人になったときには、交流ができているかもしれないじゃあないか」
「まあ……可能性はかなり低いがな」
「考えたくはないけれど、逆の可能性もあるだろう?」
「逆?」
「ここでなにかあって、俺が家族を連れて泉翔へ戻ることも……」
誠吾と里田は難しい顔をして黙ってしまった。
可能性として大きいのは、後者のほうだろうから。
「それじゃあ、誠吾、里田さん、また来年」
「ああ。次に来るときには、なにか子どもが喜ぶようなものを持ってくる。鴇重も達者でな」
街の手前で二人を降ろし、歩き出す背中を見送ってから、鴇重はもと来た道へと車を走らせた。
-完-
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