第6話 不穏な外出

「あの庸儀の男、藤川はどう見る?」


 ある朝、上層たちから会議室へ呼び出された麻乃は、まず、そう聞かれた。


「どう……というのは?」


「昨日、医療所から連絡があり、そろそろリュの外出を認めても大丈夫だろうと言われているのだが、藤川はなにも聞いていないのか?」


「はい。昨日も、医療所へ伺いましたが、特になにも……」


「そうか。で、どう思う?」


 どう、と聞かれても、なんと答えればいいのか。

 そもそも、医療所の先生は、なぜ外出の許可など出したんだろう?

 なにかしらの問題が起これば、麻乃だけでなく、医療所側も責任を問われることになるかもしれないのに。


 それでも、上層たちの中で、リュの外出を認めることは決定事項のようだ。

 ひょっとすると、このままリュを、泉翔に受け入れるつもりなんだろうか?

 それを見極めるつもりで、麻乃に付き添わせているのかもしれない。


「そうですね……恐らく、問題はないかと……」


「では、さっそく今日にでも、花丘辺りを案内してやるといい」


「リハビリがてらの付き添いということで、目を離さないようにな」


 やっぱりそうなるか――。


 仕方なしに、麻乃はそのまま医療所を訪れた。

 看護師たちに断ってリュの病室のドアをノックした。

 中ではリュが、熱心に泉翔の昔話の本を読んでいる。


「おはようございます。体調はどうですか?」


「おかげさまで、ようやく問題なく歩けるようになりました」


「そうですか」


 麻乃はリュに、医療所の先生から外出の許可がおりたことと、リハビリがてらに医療所の近くを散歩できると伝えた。

 リュは本を閉じ、麻乃をジッと見つめた。


「体調に問題がないようでしたら、気分転換に出かけてみますか? とは言っても、あたしも付き添わせていただきますが」


「ぜひ、お願いします」


 リュは食い気味に答えた。

 やっぱりずっと病室の中で過ごすのは、退屈なんだろう。

 看護師に頼んで外出用の服を借り、許可を取りつけて玄関をでた。


「いきなり遠くへは出かけられないと思うので、とりあえず、医療所の周りを……」


「あの、病室からみえている森へ行ってみたいんですが」


 リュのいう森は、医療所の裏手にあり、右へ行くと花丘へ、左に行くと神殿と泉の森へと通じている。

 手入れのされている森だから、リュの足でも問題ないはずだ。


「では、森へ行きましょう。医療所の裏手なので、すぐですよ」


 リュの歩幅に合わせて、ゆっくりと数歩後ろを歩いた。

 珍しいものを見るように、木々のあいだからこぼれる日差しに目を細めている。


「庸儀では、こんなに緑がある場所は、今はとても少ないんです」


「そうですか」


 以前も、戦争ばかりで土地が荒れていると言っていたし、徳丸と梁瀬も同じようなことを言っていた。


「こんな環境に身を置いていれば、きっと幸せなんでしょうね」


「大陸でも緑を育めば、こうした森を広げることも可能だと思いますよ」


 リュの表情が、一瞬、曇ったようにみえた。


「ですが、それをするには、長い年月が必要でしょう?」


「そうかもしれませんが、荒れていくのを放っておくよりは、いいのでは?」


 麻乃の返しに、リュが答えることはなかった。

 緑を増やすのは、長い年月がかかるから、だから泉翔が欲しいんだろうか。

 大陸の人間の多くは、そう考えているのかもしれない。


「水の音が聞こえますね」


「……ええ。もう少し先に、川があります」


 川岸には、曼珠沙華の花が咲き誇っている。

 その赤さが、自分と重なって見えることがある。


「この花は、麻乃さんに似ていますね」


 唐突にリュにそう言われ、麻乃はドキリとした。

 今、考えていたことが見透かされているんじゃあないかと思った。


「そう……ですか?」


「ええ。凛として美しい」


 ジッと見つめられ、気恥ずかしさに視線を反らした。

 顔が熱いのは、赤くなっているからだろう。

 あんなセリフを真顔で言われれば、麻乃でなくてもそうなるはずだ。


「この花は、摘んでも構わないんでしょうか?」


 麻乃がうなずくと、リュは曼珠沙華を三本、摘んだ。

 それを病室に飾るという。


「いつでも麻乃さんの側にいるような気持になれるので」


 次から次へと、よく口の回る男だ。

 言われて嫌な気はしないけれど、心に響かない。


 それからも、ほとんど毎日のように、リュに付き添って森を散歩したり、花丘へ出かけたりした。

 こんなことをしている場合じゃあないのに、と思う反面、のんびりした時間は気持ちを和らげる。

 敵襲も、今はまったくない。


「麻乃さんは、泉翔人にしては髪の色が赤いんですね」


 医療所の裏手の森にきた何度目かのとき、前を歩いていたリュは、振り返ってそういった。


「以前、読んだ泉翔の昔話にあった鬼の話……赤い髪の――」


「あれは、男だけの話です。あたしには関係ありません」


 グッと両手を掴まれて引き寄せられた。

 勢いでリュの胸に寄りかかるようにもたれた。

 また、甘い香りを薄っすらと感じる。


「そうですか? 私はてっきり、麻乃さんが伝承の鬼神なのかと……」


「今、なんて――」


 あの昔ばなしだけで、鬼神にたどり着けるはずはない。

 リュはどこで知ったんだろうか?


 そのまま抱きすくめられ、またリュがなにかをつぶやく。

 耳障りな音にゾッとして、麻乃は思わずリュの顎に頭突きをした。

 グッとくぐもった声を出して離れたリュの腹に、そのまま膝蹴りを食らわせて倒す。


「――今後、外出は、少し控えたほうがよさそうですね」


 揉み合ったときによれたシャツを直しながら、触れられた肩や腕を払った。

 木に寄りかかって座り込んだままのリュが動かない。

 近寄ってみると、気を失っていた。


「あー……やり過ぎちゃったかな……? まぁ、いいか」


 医療所のすぐ裏で良かった。

 麻乃は看護師たちを呼びに行き、倒れたリュが担架で運ばれていくのを確認してから、宿舎へ戻った。

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