第5話 中央医療所

 リュがリハビリを始めてから、麻乃は上層の命で、ほぼ付きっきりになってしまった。

 今のところ、大陸のどの国からも侵攻がないからだろう。


 さすがに毎日、隊員たちを伴ってくるわけにはいかず、今日は麻乃一人で来た。

 医療所の先生の話では、もう一人で歩けるくらいには回復しているという。


 隊員たちは持ち回りで、今は西区だ。

 本当なら、麻乃も一緒に西区で過ごしていたはずなのに。

 万が一、襲撃があっても、すぐに対応できないことに不安を感じる。


 動き回れるようになったことで、上層は逃げられる可能性を考えているようだけれど、泉翔を出るには船が必要だ。

 そう簡単に、逃げ切れるとも思えないのだけれど。


――退屈で仕方ない。


 今も医療所の廊下を、リュと看護師が歩き回っているのを後ろから眺めているだけだ。

 リュは時折、窓の外へ目を向けている。

 少し寂しげなのは、庸儀へ戻りたいからだろうか。


 ひょっとすると、リュも退屈しているのかもしれない。

 一カ月以上、室内で過ごしていれば、そうなると思う。

 窓枠に寄りかかって足もとに視線を落とし、今度、本でも差し入れてやろうか、などと考えていた。


「退屈そうですね」


 不意に声を掛けられて驚いた。

 いつの間にか、リュが目の前にきていた。

 看護師の姿はみえない。


「すみません、こんなことにまで、つき合わせてしまって」


「いえ、お気遣いなく」


「……きっと、お忙しいんでしょう? 私がいるせいで、手をわずらわせてしまっていますよね……」


 麻乃の隣で、窓枠に手をつき外を眺め見ているリュは、やけにしおらしいことを言った。

 こうも下手に出られると、悪いことをしているような気持になる。


「別に……煩わしいなんてことは……それより、あなたのほうこそ退屈なのでは?」


「私は看護師のかたがたが良くしてくれるので……話を聞いていただいたり、本をお借りしたり……」


「……本を?」


「ええ……いけませんでしたか?」


「いけない、ということはありません。ですが、一応、本のタイトルだけ見せていただけますか?」


 本を読むことというよりも、なにを読んでいるのかが問題だ。

 看護師たちが渡したなら大丈夫だとは思うけれど、泉翔の内部が知れるようなものだとまずい。

 リュに手を貸し、病室まで戻った。


 途中、何度も転びそうになるリュを支えてやるたびに「すみません」を繰り返す。

 病室に着くころには、麻乃のほうが申し訳ない気持ちになった。


 ベットの脇の棚に置かれた本は、植物や動物の写真集に図鑑、それと、泉翔人に良く読まれている、昔ばなしをまとめた本だ。

 サッとタイトルをメモ書きしながら、これなら特に問題はないかな、と思った。


「ありがとうございます。ところで今日はもうリハビリは?」


「先ほど、看護師のかたが、今日はもういいだろうと仰っていました」


「そうでしたか。疲れたでしょうから、ゆっくり休んでください」


 ベットに腰をおろそうとしたリュは、突然ガクンと麻乃のほうへ倒れ込んできた。


「危ない!」


 慌ててその体を支えた。

 抱き合うような格好になってしまったことにドキリとした瞬間、ほんのりと、甘い花のような香りがして、耳もとでリュがなにかつぶやいたのを聞いた。

 ただ、それは言葉として認識できなかった。


「大丈夫ですか?」


 支えた体を起こしてやり、改めてベットに座らせてやると、リュは驚いたような表情だ。


「どうかしましたか?」


「あ……いえ、なんでも……面倒をお掛けしてばかりで、本当にすみません……」


 リュの「すみません」は、もう聞き飽きた。

 ずっとかしこまってばかりで、疲れないんだろうか?


「こんなところで転んで怪我でもしたら、また動けなくなるかもしれませんよ。無理をせず、しっかり休んでください」


 なんとなく、ソワソワするような、急かされるような気がして、麻乃は「また来ます」と断って、病室を出た。

 帰る旨を伝えるため、看護師たちの詰所へ立ち寄る。

 みんな仕事中だからか、机に向かったままで誰もこちらを見ない。


「すみません、今日はこれで失礼します。また明日、来ますので……」


 麻乃の声に誰も反応しない。

 そんなに集中しているのか?

 もう一度、大きな声で呼びかけてみると、全員がハッと顔を上げて麻乃をみた。


「あ……藤川さん、どうかしましたか?」


「いえ……今日はもう帰るので……あとのこと、よろしくお願いします」


 うなずく看護師たちは、急にあくせくと動き出した。

 その様子は、いつも医療所で見る光景だ。

 さっきはなぜ、みんな黙り込んでいたのか。


 なにか、問題でもあったんだろうか?

 重い病の患者さんでもいるんだろうか?


 なんとなく、妙な気持ちになる。

 やっぱり誰かを一緒に連れてくるべきだったんだろうか?


 歩きながら疑問ばかりが湧いてくる。

 あの甘い香りはなんだったんだろう?

 あのとき、リュはなにを言ったんだろう?


 どうにも釈然としないまま、麻乃は報告書を作るために軍部へと走った。

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