元山比佐子
第1話 退院
軍部の廊下を急ぎ足で歩いた。
腕のギプスは取れたけれど、ずっと動かさないでいたせいで、自分の腕だと思えないほど重く感じた。
医療所から中央の住宅街、
イラつく気持ちを抑えることもできず、軍部の
「――麻乃! いる!?」
正面の机に座る麻乃と、その向かいに立つ
「あれ?
驚いた顔を見せる麻乃に返事もせず、葛西と小坂を押しのけた比佐子は、そのまま右手で机を叩いた。
「麻乃! あんた! 彼になにをしたのよ!?」
「彼? あぁ……あの男? あたしは別になにも――」
「とぼけるんじゃないわよ! 引っ越していなくなっていた! 私に黙ってそんなことをするなんて……あんたがなにかしたんでしょ!?」
詰め寄る比佐子に麻乃は一瞥くれると、椅子の背に寄りかかって腕を組んだ。
そして深く大きなため息をつく。
変に余裕のある態度に、比佐子は怒りと苛立ちが収まらないままだ。
「比佐子、この際だから言っておくけど、あたしはね、あんたがどんな男と付き合おうが、別に構いやしないと思っているよ」
「嘘! 麻乃がなにかしたんじゃなければ――」
「――いいから、黙って聞きなよ。誰と付き合おうと構わないけどね、今回みたいなことがあると話は別だよ」
「怪我のことを言っているんだったら、それは――」
「黙って聞きな!」
いつになく麻乃が真面目な面持ちで大声を上げ、その圧に比佐子は黙った。
こんなふうに威圧感のある麻乃の姿は、初めて目にするかもしれない。
「比佐子が怪我で休んだせいで、六番のみんなが多少なりとも困るのはわかるでしょ? ただでさえ、巧さんが休んでいて大変な時期にさ。だいいち、比佐子は戦士でもある……あんな一般人相手に、あれだけの怪我を負わされるなんて……それがどういうことか、あんたわかってるの?」
「そりゃあ確かに六番のみんなには迷惑をかけてるって、わかっているわよ。けど、私が怪我をしたことがなんだっていうの!?」
「街の人たちが不安になる。戦士たちは、あんな程度の男に簡単にやられるのか、ってね」
麻乃の指摘に、比佐子は返す言葉が見つけられなかった。
あのとき、周囲には花丘の人たちが野次馬で集まっていた、と思う。
「戦士が弱いなんて思われるのは、とんでもないことだよ。あたしたちは防衛にすべてを注いで、泉翔に住む人たちを守る立場だってのに……比佐子のしたことは、戦士たち全員を
「そっ……そこまで大袈裟な話じゃあないでしょう?」
「大袈裟なんかじゃあないよ。だから巧さんも、出産も近いのに、わざわざ医療所まで出向いたんじゃあないの? それに、誰と付き合おうと構わないって言ったけどさ、あたしは比佐子には、もっといい人がいるんじゃあないかと思う……でもね……」
あの日、隊長の巧が現れたのは、本当に早かった。
以前のこともあってか、相当に怒っていたのがわかったし、比佐子が怪我を負っていなければ、その場で叩かれていたかもしれない。
「今後もそいつと一緒にいたら、同じ目に遭うかもしれない……それでも構わないから、どうしても一緒にいたいっていうのなら、比佐子、あたしは……先ずは戦士をおりることを勧めるね」
麻乃の目は本気だ。
比佐子の返答次第では、本当に戦士をおろされてしまう。
比佐子には、戦士でいることしかできないのに。
「……もういい。わかった」
これ以上、ここにいても仕方がない。
麻乃が彼になにかをしたという証拠はないし、あったとしても、もう離れてしまった彼は戻ってこない。
確かに悪いのは比佐子自身かもしれないけれど、こんなふうに彼と別れることになるなんて、考えてもみなかった。
麻乃や穂高が言うとおり、ロクなやつじゃあないのもわかっていたけれど、比佐子にとっては大切にしたい人だったから。
出会ってすぐのころには、とても優しかったし、どこが良かったと問われれば――。
(私も上田隊長のことは言えないか……)
顔や雰囲気が好きだったんだと思う。
それに、比佐子を肯定していつでも褒めてくれた。
一緒にいて、居心地が良く思えたんだった。ただし、最初のころだけ。
引っ越したといっても、島内のどこかにいるのなら、探せないわけじゃあない。
けれど――。
もういい。逃げたのなら、追ったところでそのあと、うまく付き合っていけるはずもない。
宿舎へ帰ろうと軍部を出たところで、クラクションが鳴り響き、比佐子はついそちらへと視線を移した。
見れば穂高の運転する車が入ってきたところだ。
「比佐子!」
車を止めた穂高はその手に大きな花束を抱えて、こちらへと走り寄ってくる。
あのあとも、毎日のように医療所へ通ってきた。
襲撃があったときは、さすがに来られないようだったけれど、代わりに花丘の花屋さんから一輪の花が届き、そのマメさには言葉がでなかった。
「今、医療所へ行ってみたら退院したって言われて……」
息を切らせて比佐子の前に花束を差し出してくる。
大輪の花が見事で、両手に抱えるほど大きい。
「ちょっと……花はもういいって言いましたよね!?」
「あー、うん、でもホラ、退院のお祝いだから。大きくて奇麗だろ? なんとなく比佐子みたいだって思ったんだ」
とりあえず花でも送っておけばいいだろう、とでも思っているんだろうか?
そりゃあ、もちろん嬉しくないわけじゃあないけれど、そんなにグイグイ押されても、対応に困る。
「
比佐子の返事も待たず、あとから来た
その背中を見つめ、改めて『変なヤツ』だと思った。
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