第4話 揺れる感情
北区までの道のりがやけに遠く感じて、比佐子はスピードを上げた。
医療所へ着くと、入り口に一番近い場所で車を止め、受付に飛び込んだ。
「すみません! 上田隊長の部屋は!?」
「一番奥の――」
最後まで聞き終わらないうちに一番奥の部屋へと急いだ。
近くまで来たところで、ボソボソと話し声が聞こえてきた。
嫌な想像しか浮かばなくて、勢いよくドアを開けた比佐子の目に飛び込んできたのは――。
「あれ? あんた確か巧のところの……?」
「比佐子……? どうしてここに……?」
ベッドの背を上げて寄りかかるようにして起きている穂高と、その脇で椅子に腰をおろした鴇汰の姿だ。
目を覚ましていないと聞いてきたのに、しっかり起きている。
のほほんとした穂高の表情にカッとなり、ズカズカと病室へ入ると、そのまま穂高の顔を思いっきり平手打ちした。
「おい! あんたいきなり、なにやってんだ!」
「うるさい! 上田隊長! あんたなにしてんのよ!? こんな怪我をして……目を覚まさないって聞いて心配で来てみれば……」
立ちあがった鴇汰を制して、比佐子は穂高の胸ぐらをつかんで怒鳴りつけた。
「ごめん……けど、わざわざ報せることじゃないと思ったんだよ」
「だったら、人の夢にまで出てくるんじゃないわよ!」
穂高を責めながら涙が止まらなくなり、その場にへたり込むと、ベットに突っ伏して大泣きしてしまった。
温かい手が比佐子の頭を撫でる。
「えっと……穂高、俺、そろそろ中央へ行かなきゃなんだけど、二人にして大丈夫か?」
「うん。みんなにも、もう大丈夫だって伝えておいてくれよ」
「わかった。とりあえず、会議が終わったらすぐに戻ってくるから」
鴇汰が病室を出ていっても、しばらくのあいだ、比佐子の涙は止まらなかった。
なんでこんなに泣けるのか比佐子自身もわからないでいる。
穂高の手は比佐子の頭に置かれたままで、その温かさがやけに胸に沁みた。
「比佐子、今日はわざわざ来てくれてありがとう」
そう言われても、嗚咽で答えられずに頭を振った。
「心配させちゃったなら本当にごめん。けど、俺はもう大丈夫だから、比佐子ももう戻りなよ。腕だって、まだ完治していないんだろう?」
ハッとして顔を上げた。
今の穂高の言葉に、涙も引っ込んだようだ。
穂高は比佐子を帰そうとしている。
「あ~……そうね。私がこのままここにいたら、彼女がきたときに困るもんね? 勝手に来て悪かったわね! もう二度とこないから安心してちょうだい!」
立ちあがった比佐子の手を穂高がつかむ。
その力は弱々しくて、軽く手を引けば振り払えそうなのに、そうすることができなかった。
「ちょっと待って、彼女ってなに?」
「なによ? とぼけなくていいじゃない」
「とぼけてなんかいないよ。誰がそんな話をしたの?」
「誰って……だってあんた、予備隊の子にいい寄られて一緒にどこかに……」
「予備隊……あぁ、あのときの……食事に誘われたけど、あれは俺、ちゃんと断っているから」
「断った!? なんでよ? だってあんた、押しに弱いって――」
「だって俺、何度も言っているよね? 比佐子を好きだって。確かに押しに弱いところもあるけど、好きな人がいるのにほかにいくなんて、あり得ないよ」
いい切る穂高は真剣な表情で比佐子を見つめ、嘘をついているようにはみえない。
となると、あれは早とちりで、比佐子の勘違いだったのか……。
ずっと燻ぶっていた胸の奥がスッとした気がする。
返す言葉が見つからなくて、ただジッと穂高の顔を見つめ返していた。
こんなに長く誰かと見つめ合っているのは初めてかもしれない。
まつ毛が長いな……顔立ちも、確かに自分で言うだけあって悪くないし……。
「比佐子? どうかしたの?」
そう問われた瞬間、急に恥ずかしくなってカッと体中が熱くなった。
全身から汗が噴き出しているような気がする。
「別に……なんでもない」
「そう? それならいいんだけど……まだ本調子じゃあないんだろう? さっきも言ったけど、もう戻ってちゃんと休んで」
誰かがこんなふうに比佐子を気遣ってくれることなんて、あっただろうか?
少なくとも付き合ってきた人たちには、なかった優しさだ。
『穂高はいいやつだよ。少なくとも、あんたが付き合ってきたどの男よりも』
麻乃の言葉が蘇ってくる。
本当にいいやつなんだろうけれど、それならなおさら、比佐子なんかにどうして構ってくるのか。
「……本当に大丈夫? さっきからぼんやりしているけど、熱でもあるんじゃ……」
「なんでもないったら! もう帰るから安心して」
「うん、本当に今日はありがとう。巧さんの休みが明けるのは数カ月先だろうけど、勘も取り戻さなきゃいけないんだろう? 一日も早く全快するといいね」
「馬鹿じゃないの? 私より、あんたのほうこそ早く良くならないと駄目じゃないの。また明日も様子を見に来るから、しっかり休みなさいよね!」
「え? 中央からわざわざ来なくても――」
「――私、実家が北区なのよ。当分はこっちにいるつもり。だから気にしないで」
ずっと握られたままの手をそっと解き、比佐子は病室をあとにして中央へ戻った。
会議が終わるまでに荷作りをして修治を待ち、車のキーを返したあと、鴇汰を呼び止めて北区まで乗せてもらった。
しばらく穂高のそばにいてみよう。
そうしたら、いちいち揺れる気持ちがなんなのか、きっとわかる。
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