第5話 花丘の夜
穂高が退院するまで、二週間ほどのあいだ、比佐子は毎日医療所へ通い続けた。
怪我を負ったと知ったとき、五日も経っていたことを考えると、休んだ期間は長い。
穂高と巧が抜けたぶん、蓮華たちの持ち回りは大変だったようだけれど、シタラの采配でうまく回っていたようだった。
「忘れ物はない?」
「うん」
退院後、すぐに中央に戻るという穂高を助手席に乗せ、比佐子も一緒に宿舎へと戻った。
毎日少しずつ話をしたおかげで、なんとなく穂高の人となりがみえてきた気がする。
いいやつなのはわかったし、比佐子をぞんざいに扱ったり、手を上げたりもしない。
麻乃に言わせると、比佐子はいつも女に手をあげるような相手ばかりを選んでいるらしい。
そんなことはないと思っていたけれど、思い返すとみんなろくな相手ではなかった。
比佐子が思うほど気持ちを向けられている気がしなくて、いつも苛立っていた。
どうにかして比佐子だけを見て欲しくて『聞き分けのいい女』のように振舞っていた気がする。
単に『都合のいい女』でしかなかったんだな、と、今になってわかった。
穂高といると、不思議と気持ちが荒れることがない。
噛み合わない話や考えかたの違いで腹の立つことはあるけれど、理不尽な思いに捕らわれるこもない。
ただ真っ直ぐに比佐子だけを見てくれて、理解しようとしてくれる。
一緒にいる相手が違うだけで、こんなにも自分の感情に影響が出るなんて、考えたこともなかった。
来るときは遠く感じた道のりが、今は早く感じるくらいに楽しい。
人といることが楽しいと思えたのは、今までは麻乃くらいだっただろうか?
六番のみんなとも、軋轢はなく楽しく過ごせるけれど、その楽しさとは少し違う。
「ねぇ、もうすぐ中央に着くけど、直接、宿舎に行っていいの? それとも軍部の前のほうがいい?」
「そうだなぁ……宿舎に行っちゃうと、出るのが億劫になりそうだし、軍部前にしてもらっていいかな?」
「わかった」
軍部の前に車を停め、荷物をおろすのを手伝った。
八番の隊員たちが数人、迎えに出てきていて、手分けをして穂高の荷物を部屋や宿舎へと運びこんでいる。
前もって頼んでいたわけでもないのに、こうして出迎えてくれているところを見ると、隊員たちともいい関係を築けているんだろう。
「それじゃあ、私も帰るわね」
「あ、比佐子、今夜、時間ある?」
「そりゃあ……私、まだ復帰もできないし……」
「それならさ、夕飯、一緒に花丘に食べに行こうよ」
「別に構わないけど」
サラッと誘われて深く考えずに返事をしてしまったけれど、その場にいる八番の隊員たちは若干不満そうな表情だ。
戦士たちのあいだで比佐子の評判が良くないのはわかっている。
きっと、穂高に関わって欲しくないんだろう。
やっぱり断ろうかと口を開きかけたと同時に「じゃあ、適当な時間に迎えに行くから」と言い残して、穂高は隊員たちと去っていってしまった。
追いかけていって断るのも、それはそれで隊員たちの反感を買いそうな気がして、仕方なく宿舎へと戻った。
部屋を空けていたせいで、埃っぽい気がして窓を開け、荷解きをしながら掃除をした。
一瞬だけ、麻乃の部屋かと思うほど散らかったけれど、一時間も経つと部屋はスッキリ整った。
気分が良くなってベッドに横になっているうちに眠ってしまったようで、目が覚めたらもう夕方だ。
「やだ……思いっきり寝てたわ……」
慌てて飛び起き、出かける仕度を済ませた。
適当な時間にくると穂高は言っていたけれど……。
「適当な時間って何時なのよ?」
夕飯を、といっていたから遅い時間ではないだろうけれど、誘うなら時間くらいハッキリ伝えてくれればいいのに。
落ち着かない気持ちのまま、小一時間ほど待って、やっと穂高が訪ねてきた。
「遅いじゃないの!」
「え? まだ十七時だよ? 早過ぎたかなって思ったんだけど?」
「ちゃんと時間を指定しないから悪いのよ。待ってるこっちの身にもなってよね」
「ごめん……とりあえず、花丘にいこうか」
穂高が運転席に収まろうとしたのを制して、比佐子の運転で花丘へ向かった。
不本意そうな顔をしているけれど、退院したばかりで無理はさせられない。
花丘では、大通りの中ほどにある店へと連れていかれた。
比佐子は花丘で食事をするとき、入り口に一番近い店を使っているから、ほかの店が凄く新鮮に感じる。
この店も、入り口に一番近い店ほど大きくはないけれど、個室がいくつかあり、その一つに通された。
「この店、良く来るの?」
「鴇汰か、うちの隊員たちと来るくらいかな? 蓮華のみんなで来るときは、入り口に一番近い店を使うから」
「やっぱりあの店なんだ?」
「うん、みんなで入れる個室もあるし、美味しいしね。比佐子は? いつも六番の人たちと?」
「そうねぇ……たまには行くけど……麻乃と二人でとか……でも、大抵は一人かな。部屋で済ませることのほうが多いから」
「部屋で、ってことは自炊してるんだ? 凄いなぁ」
感心した様子で見つめられ、恥ずかしさに視線を逸らせた。
「そんなの普通でしょ? 戦士のほとんどが自分で作っているんじゃない?」
「そうかもしれないけど、俺は外で食べるほうが断然多いよ?」
「男女の違いもあるのかもね。私が知っている限り、まったくやらないのは麻乃だけかしら? まぁ……あれじゃあねぇ……」
麻乃に食事を作らせると、酷い。
部屋が隣同士のこともあって、一度、一緒に作ったことがあった。
材料を切るところまでは普通なのに、味付けの段階になって、とんでもないことが起こった。
材料も調味料も、普段、比佐子がやっている通りに準備したし、麻乃は手順通りに作っていたようだったのに、出来上がったのは、恐ろしく不味いものだった。
「あー……確かに、麻乃のはちょっと凄いよね」
「あんたも食べたことあるんだ?」
「ん……演習のときに。あれが最初で最後かな」
さすがに味まで思い出すことはないけれど、食事の前に話すことじゃないと、ほかの話題に変えた。
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