第6話 泉の森

 夕飯を食べながらでも話は弾み、時間が経つのがあっという間に感じた。

 気がつけば、もう二時間以上、経っている。


 戦士であることで、共通の話題があるからか、聞いているのも楽しいし、比佐子が話すことが通じるのも嬉しい。

 怪我を負ってから退院するまでは、彼のことも気になって食欲がなかったけれど、久しぶりに満腹感と満足感を得た気がする。


「比佐子、このあとは用事ある?」


「別にないけど、なんでよ?」


「あと少しだけ、つき合って欲しいんだけど、いいかな?」


「いいけど……」


「ホントに? じゃあ、すぐ行こう」


 穂高は比佐子が財布を出す隙もないほど素早く会計を済ませると、手を取ってそのまま店を出た。

 花丘の大通りを、どんどん奥へと進んでいく。


「ちょっと……! ねぇ! お会計! っていうか、どこに行くのよ!」


「うん、ちょっとね。この時間、結構いいんだよ」


 なにがいいんだかわからないまま、小走りでたどり着いたのは、泉の森だった。

 湖畔に沿って散策路があり、疲れた人のためにベンチも設置されていて、朝は戦士たちがランニングをしていることもある。


 暗闇の中に広がる水面には、神殿の松明の光が移り込んでいた。

 それだけでなく、小さな光がたくさん舞っている。


「なによ、これ……ホタル? こんなの見たことないんだけど……」


「うん。奇麗だよね? 夜に泉の森に来る人って少ないから、意外と知られていないんだよ」


 幻想的な風景に見惚れていると、穂高は「すぐ戻るから、ちょっと待ってて」といって、一人でどこかへ走っていってしまった。

 帰ってしまおうかとも思ったけれど、食事のお金も渡していないし、なによりこのホタルをもう少し見ていたかった。

 近くのベンチに腰をおろし、しばらく泉を眺めていると、いつの間にか穂高が戻ってきて後ろに立っていた。


「どう? たまにはこういうの、見るのもいいだろう?」


「まぁね。北区でも見られるところはあるけど、ここまで見事じゃなかったもの」


「気に入ってくれたなら良かった」


「それよりあんた、どこに行っていたのよ? 私、食事の支払いも――」


 振り返った比佐子の目の前に、真っ白い大きな百合の花束が差し出された。

 甘い匂いにむせ返りそうになる。


「また花束? あんたも懲りない男ね……花はもういいって言ったじゃないのよ」


「だけど、手ぶらで言うのもなんかね。格好つかないじゃあないか。指輪を贈るにはさすがに早いだろうからさ」


「指輪って……あんた、なにを言ってるのよ?」


「比佐子のことが凄く好きだ。俺とちゃんとつき合って欲しい。もちろん、結婚するのを前提として」


 比佐子の目をみつめている穂高は真剣な表情をしていて、本気だというのがわかる。

 だけど――。

 一体、比佐子のどこをみて、そんなに気に入ったというんだろう?


(あぁ……そういえば、最初に『顔』って言ってたっけ……)


 それだけで結婚前提とかまで言われるのは、比佐子としては不本意なんだけれど。

 決して嫌だというわけでもない……むしろ嬉しいと思っている。

 ただ……ここで受け入れてもいいのか、迷う。


「あ、そうだ! さっきの食事代!」


「え? 今それ? いいよ……俺が誘ったんだから」


「駄目よ。こういうの、私はちゃんとしたいから」


 渋々受け取った穂高は、無造作にポケットに突っ込み、比佐子の手を取った。


「返事、欲しいんだけど」


「……ごめん、私、正直いうと迷ってる。私が戦士たちのあいだで、なんて言われているか知ってるでしょう?」


「うん、まぁ、ほんの少しだけどね」


「もしかすると、迷惑をかけるだけかもしれないし、あんたまで変な噂を立てられるかも……」


「俺は別にそんなのは気にしないよ。そんな話じゃあなくて、比佐子がどう思っているのか知りたい」


「どうって言われても……」


「前に、大っ嫌いって言われたけど、本当に俺のこと、嫌い?」


「嫌いなんてことはないけど――」


「それなら、つき合ってよ。それでどうしても駄目だとか、違うとか思ったら、振ってくれて構わないから」


 比佐子の手を両手で包むように握りしめる力は強いのに、どこまでも穏やかな口調で、変に胸に沁みる。

 最初はあんなに嫌だと思っていたのに、いつの間にか一緒にいるのを楽しいと感じている。


「わかった。いいよ。ただ――」


 まだ返事の途中で、穂高は比佐子が手にしていた花束を取ってベンチに置くと、ギュッと抱きついてきた。

 背中に回された手が温かい。


「良かった……断られるかも、って思っていた。絶対に後悔させないし、幸せにするから」


「それはいいんだけど、駄目だと思ったら、本当にすぐ別れるからね?」


「うん、わかってる。そうならないようにするよ」


 穂高の肩越しに、さっきよりもたくさんのホタルが舞っている。

 先のことはわからないけれど、たった今は、本当に幸せな気分だ。


「それから、俺たちは戦士だから、持ち回りとかであまり会えないこともあるけど、できるだけ会う時間を作るから」


「気にしないで。それは私もちゃんと、わかっているから。それにあんた――穂高は隊長なんだから、私に会う時間を作るより、隊員たちを優先して。怪我も……できるだけ気をつけて」


「うん」


「もしも死んだりしたら、絶対に許さないから。死んでも私がぶっ殺してやるからね」


 比佐子の背中に回された腕が解かれ、体を少し離した穂高は、今までに見たことがない優しい笑顔で「わかった」といった。

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