第7話 胸の痛み

 銀杏坂から詰所に戻るとき、手前にある南浜へと続く道に、見慣れない女の人が立っているのがみえた。

 夜の闇の中でもわかる、月明かりに輝くような銀髪で、すらりと背が高い。

 横顔だけで美人だとわかる。


 そのまま南浜へと向かって歩き出した女性の隣にいるのは、鴇汰だ。

 親し気な雰囲気で、楽しそうに話をしているようにみえた。


(こんな時間に、こんな場所で? まさか逢引き?)


 本命の彼女だろうか?

 遅い時間に人目を避けるように会っているんだから、周りには知られたくないんだろう。

 というか、あんなに奇麗な彼女がいて、歓楽街で遊び倒しているなんて、とんでもないやつだ。


「麻乃隊長? どうしました?」


 立ち止まって南浜へ続く道をみていた麻乃に、岡山が呼びかけてくる。

 鴇汰の邪魔をしても悪い。

 麻乃は急いで隊員たちのところへと駆け、早足でみんなを急かし、その場を離れた。


 夜道を歩きながら、さっきの女性と鴇汰の姿が何度も頭をよぎる。

 そのたびに、なぜか強い胸の痛みを感じた。


――翌日――


 良く眠れないまま、朝を迎えた麻乃は、食堂で隊員たちと朝食をとりながら、鴇汰の姿を探した。

 食堂の中にはいない。

 夕べは、あれから遅くまで、彼女と一緒だったんだろうか?

 だから、今朝は遅いのか……?


 モヤモヤとした苛立ちに、つま先を揺らしながら食べていたせいか、隊の年長者でもある辺見へんみ葛西かさいたしなめられてしまった。

 この二人や、川上かわかみ小坂こさか杉山すぎやまは麻乃の行動や言動に対して、駄目なことは駄目だと、しっかり伝えてくる。

 変に甘やかされないぶん、麻乃もしっかりしなければ、と思わされるばかりだ。

 食事を終え、食堂を出るところで鴇汰と出くわした。


「なんだよ? もう食い終わったのか? 早くねーか?」


「あんたが遅いんでしょうが。あ、それより、銀杏坂の姐さんたちから伝言預かったんだよね。あんたに顔を出してほしいんだってさ」


 ピリッとした緊張感が、麻乃と鴇汰のあいだに流れた気がした。

 見あげると、鴇汰は目を反らしている。


「……気が向いたらな」


「行くも行かないも、鴇汰の勝手だけどさ、あんた、だいぶ噂になっているみたいじゃない? 変なトラブルに巻き込まれないように気をつけなよ?」


「おまえには関係ねーよ」


「そうだけど……あんた、か……」


 彼女持ちでしょ、といおうとして、やめた。

 もしも隠しているんだとしたら、きっと誰にも知られたくないだろうし、見られたくもなかっただろう。

 急に黙った麻乃に、ようやく鴇汰の目が向いた。


「なんだよ?」


「いや……とにかく、伝言は伝えたからね」


 いうだけは言った。

 これで問題はないだろう。

 麻乃は急いでその場を離れた。


 逃げるように詰所の個室に戻ると、ソファに仰向けに転がって天井を眺めた。

 モヤモヤした感情は広がるばかりで、収まる気配を感じない。


「……修治に会いたいな」


 修治は今は、梁瀬の部隊と北浜にいる。

 島の真逆まで、まさか会いに行くわけにもいかない。

 いつも一緒にいた相手と、会議で週に一度は顔を合わせるとはいえ、二週間も離れているのは妙に不安だ。


 修治も歓楽街に行くことがあるのは知っている。

 それでも、「まあ、そういう付き合いもあるもんね」と、漠然と思うだけなのに、鴇汰が通い詰めているというのは、なんとなく嫌だ。


「あーっ! もう!」


 頭を掻きむしって腕を組むと、そのまま横になって窓の外を眺めた。


「――ちょう? 隊長?」


 どのくらいそうしていたのか、突然、肩を叩かれて驚いて飛び起きた。

 呼んでいたのは小坂で、怪訝そうに麻乃をみている。


「……なに? どうかした?」


「あ、起きていたんですね? 何度呼んでも返事がないので、目ぇ開いたまま眠ってるのかと思いましたよ」


「そんな器用な真似、できっこないでしょ! それより、なに?」


「なんもかんもないでしょう? 今日、会議ですよね? 長田隊長がおもてで待ってますけど」


「うわ! ホント!? 忘れてたよ……マズい……すぐ仕度するからって、鴇汰にもう少し待っててくれるように伝えてよ」


 小坂が鴇汰のところへ行っているあいだに、机の上の資料を適当にカバンに詰め込み、着替えを済ませて詰所を飛び出した。

 癖毛がボサボサになっているのを慌てて手ですく。


「ごめん、すっかり忘れていて……間に合うかな? 会議」


「大丈夫だろ? 今日は午後からなんだし。飯、早く食ってるから忘れてるとは思わなかったけどな」


 鴇汰がやけに柔らかな表情で笑い、麻乃は思わずその顔に釘付けになった。


「……? なんだよ? 早く乗れよ」


「あっ、ああ、ごめん……それじゃあ、小坂、行ってくるからみんなを頼むね」


「わかっていますよ」


 小坂にあとを頼み、助手席に乗り込むと、鴇汰はすぐに車を走らせた。

 黙ったまま、中央までの道を進む。

 シートに深く体を沈め、正面を流れる景色を眺めた。


 チラリとハンドルを握る鴇汰の手をみた。

 すぐに反らすものの、今度は肘の辺りに視線が向く。


 また反らし、わずかに顔を動かして、二の腕、肩、と視線を移したあと、横顔をそっと見つめた。

 正面を向いたままの鴇汰は、運転に集中しているのか、真顔のままだ。

 それをいいことに、チラチラとその横顔を、何度も盗み見た。


「……さっきから、なんなんだよ?」


「えっ?」


「え、じゃねーよ。チラチラ見てんの、なんでよ?」


「みっ、見てないし!」


「見てんじゃん。映ってるから。ミラーに全部。で? なによ?」


「……ううん……なんでも。今度話す」


 今度話す、なんていっても、話すことなんて特にはない。

 そう言っておけば、なにか用ができるまでのあいだ、ごまかせると思った。

 鴇汰はしつこく、なんなんだ、と聞くけれど、麻乃が黙ってしまうと、大きくため息をついた。


「わかった。そんじゃあ、また今度、ゆっくり話そうぜ」


 諦めたようにいった鴇汰に、麻乃は黙ったままうなずいた。

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