第7話 言葉にすること

 隆紀が女の鬼神がいると話したあと、麻美は顔を強張らせたままになってしまった。

 隆紀自身、まさか自分の子どもに……と思うのに、他人の麻美が思わないはずもない。

 やっとできた家族の絆を手放したくないと思うのは、きっと隆紀のエゴだ。


 麻美には幸せになってほしい。

 そう告げた直後、麻美の平手が飛んできて、隆紀は椅子ごとひっくり返った。


「い……いきなりなにするんだ!」


「あんたが私の気持ちを勝手に決めるからでしょうが!」


 麻美はテーブルを滑るように乗り越えてくると、そのまま隆紀に馬乗りになり、胸倉をつかんで平手打ちを繰り返した。


「勝手にって……そもそも離婚を言い出したのは麻美のほうじゃないか!」


「だからって! それがなんでほかの誰かと幸せになるって話しに変わるのよ!」


「二人ともいい加減にせんか!」


 高田の叱責が居間に響いた。

 高田は房枝に、麻乃の様子をみてきてくれるように頼むと、隆紀と麻美にもう一度きちんと席に着くよう促してきた。


「まず始めに確認しておかなければならないようだな? 麻美、おまえは今後どうしたいんだ?」


「私は……離婚するつもりは……ありません」


「だってさっきは……」


「隆紀が最初から、きちんと話してくれていれば……!」


 また麻美と言い争いになりそうになると、高田が大きく咳払いをして、隆紀も麻美も口をつぐんだ。

 隆紀も同じことを聞かれ、言葉に詰まる。

 一緒にいたいと思う気持ちはあるのに、それを口にしていいのか迷った。


「できるなら……まだ一緒にいてもいいと思ってくれるなら……俺にもう一度、やり直させてほしいと思っています」


 隆紀から視線を外している麻美をみてそういった。

 ふーっと大きくため息を漏らした高田は、腕組をしたまま隆紀と麻美を交互にみた。


「今度のことは、最初に隆紀が話すべきことを話さなかったのが原因だな」


 その通りだ。

 神殿に通うたびに、シタラたちにきちんと話し合えと言われていた。

 それなのに、麻美や高田たちの反応を恐れて言えずにいたのは隆紀自身だ。


「話すことでどう思われるか……それに、麻乃が受け継いでいることを知って麻美がどう感じるのか……それを考えると怖かった……話せなかったのは俺の弱さのせいです。本当にすみませんでした」


「人の目が気になる隆紀の気持ちもわかる。その血筋ゆえに人目にさらされることも多いだろう」


 けれど、だからこそ話さなければならないことや自分の思いを、言葉にして相手に伝えるべきだと高田はいった。

 口に出さなければ、相手にはなにも伝わらないし、伝えようもないのだと。

 察しろなどというのは、相手への配慮に欠ける行為だ、そういわれた。


「隆紀、もっと周りを信用してもいいのではないか? 麻美など、おまえの事情を知ったうえで側にいることを選んでくれたというのに」


 高田にそういわれ、ハッとしてみんなの顔を見た。

 信用していないわけではないけれど、信じ切れていなかったのかもしれない。

 房枝の声がして居間の入り口をみると、麻乃がトコトコと走ってきて隆紀の膝に乗り、首に縋りつくように抱きついてきた。

 愛おしくて涙が出る。


「麻乃。お父さんもお母さんも、まだ大事な話しがあるから、房枝おばちゃんと一緒にお部屋でねんねしていなさい」


 頭を撫でてやって言い聞かせると、不満げに眉を八の字にしつつもうなずいた。

 膝からおろし、房枝に預ける。

 言葉にならない声を上げた麻乃はこちらに手を振る。

 たぶん、おやすみなさい、といったんだろう。


 麻美は両手で顔を覆ってそのまま何度かこすると、もういいわよ、といった。


「結局、私もだけど、麻乃も隆紀のことが好きなのよ」


「麻美……」


「だけど、また今回みたいなことがあったら、今度こそ許さない。それだけは覚えておいて」


「わかってる。ありがとう……本当にごめん……」


 泣けてどうしようもなく、顔をあげられない隆紀の背中を、高田がさすってくれた。


「さて……それでは麻乃の今後について、今度は麻美も交えて話しをしましょう」


 シタラに促されて高田と寛治、麻乃を寝かしつけて戻ってきた房枝も交えて話し合いをした。

 泉翔になにかが起こったときに、麻乃が自分の身を守れるように十六歳までは道場へ通わせること。

 十歳を過ぎた時点で、それと並行して巫女になるための修行も始めること。

 なにかが起きたときには、隆紀と麻美だけでなく、高田たちも含めてどう対処をするか決めること。


「泉翔において、巫女ともなれば争いごとには関りがなくなります」


「その能力の覚醒に、不穏な要素はなにもないのですから、麻美もよくよく安心して過ごすように」


 シタラとカサネにそういわれ、麻美も少しはホッとしたようだ。


 ただ――。


 シタラもカサネもすべてを話したわけではない。

 それを知るのは隆紀だけだ。


 大陸の伝承にまつわる口伝で女の鬼神がなんと呼ばれ、どう関りを持っているか。

 ほかの血筋についてまったくわからない今、話しても余計な心配をさせるだけだ。


 いずれなにかが起こるかもしれない。

 それでも、神殿にいればきっと大丈夫に違いない。

 洗礼のことや細かなことは、麻乃が成長していく中で追々決めていこう、シタラはそう締めくくった。

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