第3話 出会い
翌週、もう引っ越しは済んでいるはずなのに、なかなか顔を合わせることができずにいた。
朝も、道場からの帰りも、休みの日にわざと家の前を通り過ぎても、中から誰かが出てくる気配もない。
穂高が通う金井道場はもちろん、ほかの道場に入ったという噂も聞かない。
本当に誰か住んでいるのか、信じられなくなってきたある日の朝。
家の裏手から庭に出てくる男の子の姿がみえた。
手にした籠には洗濯物が入っていて、これから干すんだろう。
声をかけようかどうしようか、迷った。
姉たちも一緒だし、道場へ行くから話をしている時間もない。
「おはようー!」
穂高が迷っているあいだに、姉たちが先に声をかけた。
少し驚いた様子で、男の子は姉たちに会釈で返し、その目が穂高にも向いた。
穂高も姉たちにつられて会釈をすると、男の子もペコリと頭をさげてくれた。
「なに緊張してるのよ」
「ちゃんと挨拶しなきゃ駄目でしょ」
そういって姉たちは穂高の頭を小突く。
「わかってるよ~」
こんなところを見られていたら恥ずかしい……。
そう思って振り返ると、男の子は洗濯物を干し始めていて、穂高をみていた様子はない。
ホッとしたような、ガッカリしたような、不思議な感情が湧いた。
早く話をしてみたくて、今日は稽古に身が入らず、先生や仲間たちから打たれっぱなしだった。
あちこちに痛みを感じながらも、稽古が終わると誰よりも早く道場をでた。
姉たちを置いて、家までの道のりを走って帰る。
あの家の前まできた。
ちょうど男の子が洗濯物を取り込んでいるところだ。
「こっ……こんにちは!」
息が弾んでいたのと緊張とで、声が裏返ってしまって、穂高は恥ずかしさに顔が熱くなった。
男の子は朝と同じように、穂高をみると会釈だけをした。
「俺、上田穂高。この近くに住んでるんだ。ホラ、この先の縦五番の通り」
「縦?」
「うん、ここの地区、通りに名前がついてるんだ」
穂高はこの辺りのことを説明した。
男の子は「へえ」と言ったきり、気のない様子だ。
「ねえ、名前、なんていうの?」
「……
「鴇汰か。俺のことは穂高って呼んで。ねえ、引っ越しの片づけはもう終わったの?」
「まだそんなに……」
「そっか……あのさ、道場――」
「あの、俺、これからまだ家のこと、やらないといけないんだ」
通う道場はもう決まったのか、聞こうと思った言葉をさえぎられてしまった。
鴇汰はまだ洗濯物を取り込んでいる最中だし、片づけもあるんだろう。
「ごめん、邪魔だったよね……それじゃあ、またね」
洗濯物を手にしたまま、鴇汰は手を振り返して家の中へと戻っていく。
人見知りなんだろうか?
あまり馴れ馴れしくしたら、嫌われるだろうか?
といっても、声をかけなければ親しくなるのも無理だ。
やっぱり、まずは挨拶からか。
翌日からも、鴇汰の姿をみつけると、声をかけ続けた。
朝は洗濯物を干しているときが多い。
穂高が道場から帰るときには、鴇汰はたいてい洗濯物を取り込んでいたり、買いもの帰りだったりする。
最初こそ、声をかけづつける穂高に対して、鴇汰は困惑した顔をみせていたけれど、最近は穂高に対して当たりが柔らかくなった気がする。
「ねえ、鴇汰はさ、どこかの道場に通っているの?」
あるとき、穂高は思いきって聞いてみた。
いつも聞こうと思うのに、鴇汰にうまくはぐらかされて聞きそびれていたから。
「俺は……道場には通わないって決めてるんだ」
「なんで? 泉翔ではみんな、十六歳になるまで自分の身を鍛えるんだよ。ロマジェリカから来た人たちも、みんな通ってるし――」
「知ってる。でも俺は通わない」
東区では、戦士を目指す子どもは少ない。
商業区だからか、親のあとを継いで職人を目指したり、農業や漁業を継ぐ子も多い。
けれど、万が一にも敵襲を受けたとき、誰もが自分の身を守れるようにと、十六歳までは鍛錬しているのに。
「でもさ、鍛錬しないと、いざってときに自分の身を守ることもできないよ?」
「そのときは……」
鴇汰はなにかをボソボソとつぶやいた。
穂高には聞き取れなかったけれど、鴇汰の表情がやけに寂しそうにみえて、ドキリとする。
そういえば鴇汰は両親を亡くしているんだった。
たくさんのロマジェリカ人が、ハーフであることを理由に大勢、殺されたんだと、大人たちが話しているのを聞いている。
鴇汰のお母さんはロマジェリカ人だけれど、お父さんは泉翔人だと、母がいっていた。
だとしたら……両親は……。
「とにかく、俺は道場には通わないんだ。叔父さんも、あまりいい顔をしないから」
「そっか……一緒に通いたかったんだけどな。もしもさ、気が向いたら一回、見学してみない?」
食い下がる穂高に、鴇汰は曖昧な笑顔を返しただけだった。
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