第7話 覚悟

 夕暮れにはまだ少し早い時間、街の通りをゆく人たちは買い物へ行くのか帰るのか、同じように忙しなく歩いている。

 その中を進みながら、鴇重は焦りと喪失感で感情が定まらず、ただひたすら歩き続けた。


 つい、口をついて出てしまった。

 二人はあれを聞いてどう思っただろうか。

 万が一にも二人の口から街の人々へ情報が流れたら……おととい詰め寄られたように……いや、それ以上に危険なことになってしまう。


 本当に、ここへなにをしに来たんだろうか。

 来る前はこんな失敗をするなど想像もしていなかったのに!


 だんだんと足早になり始めたとき、シャツの背中を掴まれた。

 驚きのあまり飛びのいて、振り返りざまに間合いを取ると、右手を中段に構えた。

 視線の先にいたのはレリアだった。


「すみません……驚かせてしまいましたね」


 確かに今は、心臓が体から飛び出していそうなほど大きく鳴っている。

 手には嫌な汗を握っているし、全身が冷たくなっている気がした。

 それでも、レリアに心配をさせたくなくて、「いいえ、大丈夫です」と答えてしまう。


「街なかを、お一人で行かれるのは危ないと思ったので……それと……もしもお時間があれば少しお話しをしたいと思いました」


 時間はある。

 無いのは心の余裕だけだ。

 一体なんの話しがあるというのか、促されて連れてこられたのは、初めて出会った場所だった。


 そこから少し離れた川の土手にレリアは腰をおろし、鴇重もその隣に座る。

 川の向こうはなにもない拓けた大地が広がり、遠くに山がいくつか見える。

 一番近い山に、誠吾たちはいるはずで、もう下山してふもとに戻っているのだろうか。


「……さっきのお話しなんですが」


 手もとに視線を落としたまま、レリアが話し始めるのを、鴇重は黙って聞いていた。


「クロムが言っていたのは本当で……ティーノさんがこの街に住んでくれたら嬉しいのに、と……」


 嬉しいと思ってもらえるのは、鴇重にとっても嬉しいことだけれど……。

 落ちていく太陽のオレンジ色が濃く空に広がっている。


「本当に明日には帰られてしまうのですか?」


「……はい」


「またロマジェリカへ来られることはあるのでしょうか?」


 鴇重はハッとして周囲を見渡した。

 このあたりに人はみえないけれど、どこかで式神が聞いているとも限らない。

 レリアは鴇重に笑みを向けた。


「大丈夫。今、私たちの周りには結界が張ってあります。会話が漏れることはありません」


「ですが、こんなところで一緒にいるのをみられたら……」


「見えませんよ。大丈夫です」


 袖のたもとから小さな杖を出して揺らして見せた。

 巫者は治癒の力が強いだけじゃあなく、結界の術も使えるのか。


「次にいつ来られるかはわかりません……今回、俺はろくに仕事がこなせていないんです。来られたとしても、数年後……あるいは十数年か……」


 それに残ったとして、鴇重になにができるだろうか。

 パオロの手伝いをしたとしても、一人で暮らしていくほどの稼ぎを得られるのか。

 なにより、泉翔人丸出しの容姿で、ここで暮らしていけるのかも疑問だ。


「例えばこの街ではなくても、ほかの街なら……私も一緒に……」


 一緒にこの街を出ようと言ってくれるのか。

 だからといって、まさか泉翔へ連れ帰る訳にはいかないだろう。

 さっきよりも濃い夕焼けの色が、レリアの姿を赤く染めている。


「それは駄目です。この街でレリアさんの存在は、みんなに必要とされているじゃあないですか」


 巫者としてはもちろんのこと、この人柄も好まれているんだと思う。

 街の上役でさえも、レリアとクロムには一目置いているようなのに。


 泉翔の巫女たちは女神さまに仕える身として、基本的には独身でいる。

 巫者も同じなのではないだろうか……?

 疑問を見透かすかのように、レリアは鴇重をみつめている。


「巫者は……巫者でも結婚できるんです」


「え……あの、ちょっと待ってください」


 鴇重はギョッとしてレリアをみた。

 話しの展開が唐突過ぎて思考が追いつかない。


「私はできればティーノさんと――」


 レリアの腕を取って引き寄せると、そのまま口づけをして言葉をさえぎった。

 その先を言わせてはいけない、そう思ったのに――。


「一緒に暮らしたいと思っています」


 離れたとたん、間髪入れずにそういわれてしまい、鴇重は自分の行為がたまらなく恥ずかしくなった。

 突然だったのに、こんなときは驚きで黙るものじゃあないんだろうか。


 ただ、今ので自分の気持ちがわかってしまった。

 言わせないというのなら、ほかにもいくらでも方法はあったのに、口づけで唇をふさいだのは鴇重がそうしたかったからだ。


「私はきっと、初めて会ったときからティーノさんを……」


「いや、あの! お願いですから、ちょっと待ってください!」


 両腕をギュッと掴んだままレリアをみつめ、少し大きめの声でいった。

 次の言葉を発する前の、少し唇が開いたままでレリアがうなずいた。


 このまま残るといったら誠吾や里田はなんと言うだろうか。

 泉翔の仲間たちにはなんと伝えればいい?


 パオロたちも、鴇重が残るのを許してくれるのだろうか。

 この街のロマジェリカ人たちは、新しく泉翔の外見の人間が増えるのを快く思うのか?

 考えなければならない問題が多すぎて、なにをどうしたらいいのか悩ましい。


「あの……」


 黙ったままになっていた鴇重をみるレリアは、とても不安そうな顔をしている。

 もう、なるようにしかならないと、覚悟を決めた。


「俺は……初めてレリアさんに会ったときに、レリアさんを愛してしまいました」


「良かった……私も同じです。ティーノさんを愛しています」


「ありがとうございます。ですが……俺はここへ仕事で来ています。残ることができるかはわかりません」


「そのときは、私も泉翔へ連れていってください」


 そこまで考えていてくれるとは……。


「残れるよう、努力はしてみます。結果は明日、必ず伝えに行きます。それまで待っていただけますか?」


 鴇重はうなずくレリアをそっと抱きしめた。

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