成長

藤川麻乃

第1話 気をつけろと言われても

麻乃あさの!」


 突然、ドアがバーンと大きな音を立てて開き、鴇汰ときたが飛び込んできた。

 ドアが取れるんじゃあないかと思うほどの勢いだ。


 蓮華になって三年目になった麻乃は、軍部に割り当てられた自分の個室で、小坂こさか辺見へんみ川上かわかみとともに、前回の戦争での反省点をまとめていた。

 動きに不安のある隊員たちを鍛えるため、そのメニューを組んでいるところだった。


「鴇汰? そんなに慌ててどうしたっていうのさ?」


 ゼーゼーと息を吐きながら、麻乃の机の前にきた鴇汰は、相当急いできたようだ。


「ちょっと……大丈夫? 水でも飲む?」


「平気。それより……おまえ、あの野郎の世話をするってホントか?」


 先だっての庸儀ようぎの襲撃で、敵兵が去ったあと、海岸に倒れた骸の中に、生き残りがいた。

 数カ所の切り傷と、足の骨折で、今は医療所に入って治療を受けている。

 鴇汰のいう『あの野郎』とは、そいつのことだろう。


「世話……っていうか、変な動きをしたり、逃げたりしないように、っていう見張りでしょ?」


 まれに敵国の諜報がもぐり込むことがあるという。

 麻乃が蓮華になってからは、生き残りがいたことも、取り残された敵兵がいたこともない。

 昔、何度かあったらしいとは聞いている。


 いつも怪我の治療をしたあと、術で記憶の一部を奪い、薬で眠らせたうえで大陸の近海まで連れていき、近くからボートで流すらしい。

 残された兵から情報を取れることは皆無に近いから、そうしていると聞いている。

 処刑してしまうのは、忍びないからだろう。

 その後、その兵がどうなるのかは、知らない。


 これもまた、ごく稀に、泉翔に残る敵兵もいるらしい。

 泉翔人の暮らしぶりや生き方に触れ、争うことが嫌になるそうだ。

 滅多にあることではないけれど、そうやって受け入れることがあるからか、大陸では『泉翔人は甘い』とか『泉翔人はぬるい』とか言われている。


「見張り……? けど、なんだって麻乃が、その見張りをするんだよ?」


「さぁ? 上層は特に理由は言わなかったけど……」


「それをするなら、庸儀戦に出ていた神田かんださんか、トクさんじゃねーのかよ?」


「それをあたしに言われても……二人とも、大きくはないといっても怪我を負っているし、たくみさんは三人目の出産だし……ほかにいないからじゃあないの?」


「それにしたって……見張りってんなら、上層でも神官でもよさそうなもんじゃんか!」


「だから、それをあたしに言わせる?」


 言ってはなんだけれど、上層や神官では、敵兵に手向かわれたとき、場合によっては止められない。

 すでに現役を退いて長い上層と、身を守る程度の腕前の神官じゃあ、やられる姿しか想像できない。


「ぐ……それもそうか……」


 鴇汰は麻乃の指摘に、ようやく納得したようだ。


「それにさ、あたしにだって持ち回りがあるんだし、ずっと見張っているわけじゃあないよ」


「だったら……まあ……けど、おまえ、本当に気をつけろよ?」


「気をつけろって……あたしがそう簡単にやられるわけがないじゃあないか」


「そうじゃあねーよ! 相手、男なんだし……」


「男が相手だからって、後れを取るようなことはないってば」


 鴇汰は麻乃が簡単に敵兵に抑えられると思っているんだろうか?

 そんなわけないのに。


 クシャクシャと頭を掻きむしった鴇汰は「とにかく気をつけろ」といって、部屋を出ていった。

 小坂たちも呆気にとられた様子で、鴇汰が出ていったほうへ目を向けている。


「なんだってんだろうね? あいつ。急にきて、気をつけろなんてさ」


「まあ……長田隊長が気にするのも、わからないでもないですけどね」


 川上が苦笑して答えた。

 見れば小坂も辺見も、同じようにうなずいている。

 なにをわかるというんだろう。


「取り残された敵兵、なにやら男前らしいですからね」


「男前?」


「中央の看護師たちで、話題になっているみたいですよ」


「そうそう。花丘はなおかの姐さんたちにまで噂が広まって、そっちも妙にソワソワしていますから」


「そうなの? 男前ねぇ……」


「やっぱりそう聞くと、隊長も気になります?」


 辺見が意地悪な目つきで麻乃をみた。


「馬鹿馬鹿しい……悪いけど、あたしはそんなの、興味ないね」


 顔が良かろうが悪かろうが、そういう問題じゃあない。

 好きなのはただ一人だけだ。

 けれど……叶わないのなら、ほかに目を向けることも必要なんだろうか。


 修治しゅうじも最近は、高田たかだの娘の多香子たかこといい雰囲気だ。

 二人が一緒になってくれたら、凄く嬉しいと思う。

 大切な兄のような修治と、姉のような多香子。

 二人には、幸せになってほしいと心から思っている。


 対して麻乃は――。

 いいやつは大勢いるけれど、そんなふうに心が動かない。

 この先もきっと、そんな気がする。


「……もう諦めたほうがいいのかな」


 いつか南浜みなみはまでみた、鴇汰と銀髪の女性のことを思い出し、ギュッと目を閉じてそれを振り払った。

 ポツリと呟いた声が届いたのか、辺見が「どうかしましたか?」と呼び掛けてきた。


「いや……なんでも。それより、メニュー決めないと。明日からは北だし、その準備もあるもんね」


「そうですね。次の週は休みですから、そこを訓練にあてましょう」


「うん、そうだね。でも週の半分は、休むようにしないと。疲れが溜まっちゃあ、余計に危ない」


「わかりました」


 メニューと日取りをしっかりと決めると、辺見たちはほかの隊員への連絡に出ていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る