藤川麻乃
第1話 東区の噂
午前中の演習が終わり、
今日は近隣の道場と合同演習で、ノルマは
腰に
一本でも足りなかったら大変だ。
「……八、九……十っと、ちゃんとある」
森から出ると、師範の
「塚本先生!」
「おう、戻ってきたか。どれ……」
麻乃から組紐を受けとると、本数を数えている。
「よし、しっかりあるな。それじゃあ、おまえの組紐をみせてみろ」
腕に巻かれた紐を外すと、それも塚本に渡す。
塚本は入念に紐をチェックしてから、ようやく笑顔をみせた。
ここで、万が一にも紐の一部でも斬られていようものなら、お昼ご飯は抜きになり、ノルマを達成できなかった子たちと一緒に居残りになってしまう。
「こっちもオーケーだな。じゃあ、道場へ戻って、
「はーい」
聞くまでもなく、一番に戻ってきたのは自分だとわかる。
修治とは同じ道場だったから、対戦したこともないし、演習でも敵かたに回ることはなかった。
本当は、一度、確かめてみたかったと思う。
勝てる気はしないけれど、負ける気もしなかった。
その修治も、去年の洗礼で
「張り合いがないな……」
これまでずっと一緒にいたのに、急に遠くに行ってしまったようで寂しい。
それでも麻乃は来年の洗礼で、自分も三日月の印を受けるだろう自信がある。
そうしたら、きっと修治の部隊に入って、また一緒に過ごせるんだ。
道場へ戻ると、まだ表では、師範の
戻ったことだけを伝え、麻乃は裏口へ回った。
手伝う、といっても調理はしない。
それだけは、どうにもうまくなくて、魚や肉をさばくことはできても、火を通せば生焼けか丸焦げになるし、味付けをすれば濃すぎたり味がなかったり、なにを入れたかわからないような味になる。
多香子は丁寧に教えてくれるのに、どうしてなのか、同じにならない。
誰もが「どうしてこうなった?」というけれど、そんなの、麻乃にだってわからない。
「多香子姉さん、なにか手伝うことある?」
「あら? 麻乃ちゃん、もう戻ったの?」
「うん、今日はいつもより楽だったかも」
「そうなの? それじゃあ……先に食堂にテーブルを並べてきて貰えるかしら?」
台拭きをもって食堂へ入ると、長机を並べて拭きあげた。
食器の確認をすると、箸やスプーンはたくさんあるけれど、お椀や平皿が少し数が足りていない気がする。
汁物の大鍋を置く台まで設置して、また台所へと戻る。
「食堂、準備してきたよ。お椀とお皿がちょっと足りないみたいだけど、あたし洗おうか?」
「いいの? それじゃあ、お願いするわね」
多香子に褒められたり頼られたりするのは、麻乃にとってすごく嬉しいことだった。
出会ったころは、まだ両親を亡くしたばかりで、うまく話せなかった麻乃に、怒るでもなく苛立つわけでもなく、いつも優しく接してくれた。
時には怒られることもあるけれど、それはいつでも他人に迷惑をかけたときや、命に係わる危ないことをしたときだけだ。
多香子が見守っていてくれる、と思うと、強くなれるような気がしたし、なにより麻乃にはない優しさや女性らしさに、とても憧れていたから。
食器を洗い終え、食堂の棚に並べていると、ちらほらと道場の仲間たちが戻り始めていた。
年少組の稽古の片づけや、多香子のところからおかずを運んでくれている。
人手が増えると、準備はあっという間に終わる。
やがて年少組も稽古を終えて、手洗い場がごった返していた。
麻乃はすでに台所で手を洗い終えていたから、早々に食堂へいき、みんなのご飯や汁物を給仕した。
すべての準備が整うと席に着き、師範の
ざわざわと賑やかな声が響く中、麻乃の目の前に座った同じ十五歳組の
「藤川、最近さ、東区に強いヤツがいるらしい、って話、聞いたか?」
「東区? あそこは……戦士目指してるヤツ、少ないでしょ? 強いって言っても、たかが知れてるんじゃないの?」
「いやいや、それがな、そうでもないらしい」
矢萩の従弟が南区に住んでいて、最近、南区と東区は道場同士の交流が増えていると聞いたという。
そのせいか、どちらの道場でも子供たちの腕が上がっているそうだ。
「へぇ……地区別演習でもないのに、ほかの地区と交流できるのは羨ましいかも……」
「だろ? 従弟もさ、腕が上がった気がするって言ってるんだよな」
麻乃の周りに座った十五、十六歳組がざわつき始めた。
そういえば最近は、南区が強くなっていると、誰かが噂をしている。
「東区、まず当たらないもんねぇ……」
「けど、強くなっているせいで中央区じゃあ東区の道場を選ぶ子が増えてるってさ」
「そうなの?」
中央区にも住人は多いし、子どももそれなりに多いけれど、城や商店、軍部などといった、公的な施設が多いせいで道場はない。
中央の子どもたちは、みんな東西南北の中から通う道場を選んでいる。
区の境にも道場があるおかげで、通うのは苦ではないと聞いていた。
「いいな……西区でも、東は真逆だから無理としても、北や南の道場と、交流したいよねぇ」
羨むようにいう麻乃の言葉に、みんなが同意した。
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