第7話 ちょっと待ってろ


 俺はその戦闘を目撃していた。

 スルトに憑依し。

 その視界を共有し。

 思っていた以上の事実を認識していた。


 相手はホブゴブリン。

 Dランクであり、彼等より一つ上のランク。

 魔物にも人間の様なスキルが存在する。

 ホブゴブリンはグールの様な『怪力』と、ゴブリンの『器用』さを併せ持った魔物だ。


 手には大きな鉈の様な武器を持っている。

 それを振り回して攻撃してくるから、若い探索者の中では登竜門の様な扱いをされている。


 けれど、俺の視界に写る光景は……



 ――圧倒。



 ガトリングの様な閃光が、緑の巨体を覆う。

 光に紛れ、闇へ潜んだ影が体術で相手のバランスを崩す。

 膝を落とし、倒れながら反撃してくる攻撃を、ルウが正面から受け止める。

 隙のある頭上から、吸血の牙が襲い来る。


 纏わりつくヴァンを振り払おうと暴れれば、リンとルウからの遊撃を喰らう。


 距離と取ろうとしても、正確無比な光線銃が、その足を止める。


 けれど、この状態を作り出しているのはスルトの指揮だ。

 ポジショニング、角度を付けての攻防。

 戦闘経験の無い俺でも分かる。

 危う気が全くない。


 お互いの視界を完全に補助し合う視界。

 冷静に相手の動きを観察する分析眼。

 崩れた時に駆け付けられる位置を取り、キーパーとして戦闘をコントロールする。


 指揮官。

 間違いなくスルトには、その才能がある。


「リン、左に45度回り込むのだ。

 ルウ、次のは受け流して構わぬ。

 ヴァン、一度離脱。次の攻撃を見てからもう一度吸血だ。

 アイ、一時的に全体の把握を任せる」


「おっけー」


「理解した」


「了解だ」


「フフ、行っていいよ」


 ホブゴブリンを囲い込んだ瞬間、スルトが動く。

 ホブゴブリンの股下をスライディングで抜け、振り下ろされた鉈へ触れる。


 スルトの狙いが俺にも分かった。 

 そして今までの戦闘全てが、その戦術を決める為の布石だった事に驚愕する。


「――収納」


 スルトがそう呟いた瞬間、ホブゴブリンの武器が消失する。


「全員、総攻撃!」


 スルトが声を上げる。


「行くよ」


「ヴォオ!」


「フフフフ!」


「やっとか」


 それに他の四体は思い思いの返答をし、己の武器を振るう。


 リンは足首を掴み。

 ルウは体勢が崩れて下がった顔面を殴りつけ。

 ヴァンは首筋へ食らいつき。

 アイは光線を背中へ連射する。



 ――そして。



 スルトは己の腕を、ホブゴブリンの目玉に突き刺した。


 勝負あり。

 俺でも分かる明確な決着だ。


 彼等は全くの緊張も不安も感じさせず、明瞭痛快に己よりも高いランクの魔物を討伐した。


「よっしゃ」


 小さく、俺はそう呟いた。


「こら神谷! 何ニヤニヤしてる!」


「す、すいません!」


 講義の先生に怒られた。

 斜め前の席から、木葉がくすくす笑ってるのが見えた。


 でも仕方ないだろう。

 俺からしたら、スポーツ観戦で日本代表が優勝した位嬉しい事だ。

 声の一つも出る物だ。



 ――レベルアップ。



 俺の感覚にその知らせが届く。

 高揚するような感じ。

 でも、何度か感じたレベルアップの中で、今回のは一番嬉しい。

 アドレナリンどばどばだ。


 正直、以降の授業内容は全く入ってこなかった。



 ◆



 授業が終わり、昼休みが始まる。

 すると、木葉が俺の元へ駆け寄って来る。


「先輩、今日も一緒にお昼食べましょ?」


「いいけど、木葉って案外友達居ないのか?」


 普通に外見は美人に視えるし、性格も良い。

 モテそうだし社交性もありそうだけど。

 何故、俺なんかと昼を一緒にしたがるのか。


「なんですかそれ、先輩だって友達じゃ無いですか?

 その友達の中から、私がどの友達とお昼を一緒にしたいかなんて、私が決める事でしょう?」


「そういうもんか?」


「はい。それとも先輩は私とお昼を一緒にするのは嫌ですか?」


 言葉とは裏腹に、自信満々な表情で聞いて来る木葉。

 そういう所も、モテ要素なんだろうななんて適当な事を考えつつ俺は応える。


「いいや、どうせ友達なんていないしな」


 ずっと雅と一緒に居たから、大学に友人と呼べるような間柄の人間は居ない。

 そんな俺からすると、頻繁に話しかけてくれる木葉は結構有難い。


「でしょうね。

 知ってますよ」


「なんだよそれ。

 俺だって、作ろうと思えば作れるんだからな」


「そういう意味じゃ無いですよ。

 けど、先輩が優しいのが他の人に知られるのは少し嫌ですかね」


「俺が優しいか?」


「そうじゃないですか。

 普通は彼女を他の男に取られたら、多少なり病んだり寂しかったりしますよ」


 でも、と木葉は続ける。


「先輩は、腐ってない」


 それは違う。

 自業自得だと納得しただけだ。

 俺が負けているという現状を認識しただけだ。

 選ばれる人間になりたいと思っただけだ。


 雅が居ないのは寂しい。

 俺の日常はかなり変わった。

 でも、あいつが幸せならいいんじゃ無いか、なんて思う。


「冷めてんのかな、俺」


「さあ?」


「っていうか、それが優しい所なのか?」


「自分の都合や想いで、相手に迷惑を掛けない。

 凄く優しいと思いますよ」


 昨日も腰を下ろしたベンチに二人で座って、そんな話をしていた。

 そこに、彼女は現れる。


「昇……」


 彼女は、感情の余り籠っていない様な……

 でもどこか、悲しそうに俺の名を呼ぶ。


 理解できない。

 どうしてそんな顔をするのか。


「雅……」


 同じ大学に居るのだから、顔を合わせる事もあるだろう。

 というか、何度か見かけた。

 けど、態々話しかける事も無かったし、話しかけられる事も無かった。


「何してるの?」


「見て分かるだろ。

 昼飯を食ってる」


 どういう対応をすればいいのか。

 正直、分からない。

 だから素っ気ない返事しかできなかった。


「先輩、私はもう食べ終わったので先に行きますね。

 天童先輩も失礼します」


 一方的にそう言って、弁当を畳みもせず鞄に詰める。

 逃げる様に木葉はどこかへ行った。

 空気を読んでくれた、という事なのだろう。


「もう……新しい彼女ができたの?」


 付き合ってる最中に、新しいを男を作ってた奴が何を言っているんだ。


 そう思った。


 けれど、別に言い合いをしたい訳じゃない。

 まだ、俺はあの男から、雅を取り戻せるだけのスペックを持っていない。


「付き合ってる訳じゃない。

 てか、何か用事があるのか?」


「その……心配っていうか……」


 俯いてそう言う。

 その心配される原因を作ったのも、自分だと雅は分かって居る筈だ。

 雅はいつも冷静で、頭の良い、理性的な女だから。


 だからこそ、どうしてそんなチグハグな事を言いに現れたのか理解ができない。


 けれど、世の中俺の知らない事なんて無限にある。

 雅の考えもその一つだ。

 だから、俺はただ問いに対して答えるだけ。


「心配しなくていいよ。

 彼女が居ない位で、俺はどうにもならない」


 嘘……というか見栄なのだろう。

 悲しくて、辛くて、今にも理由を問いただしたい。

 俺の何が駄目だったのかと。

 どうすれば、また元に戻れるのかと。


 そんな不毛な問いを投げかけたい


 戻って来てくれるならどれだけ良い事か。

 正直、浮気されたから嫌いになったなんて事は無い。


 でも、だからこそ恰好の悪い所を見せたくない。

 傷心していると思われたくない。


「そうよね。ごめん」


 謝った……?

 あの天童雅が?


 彼女を知るからこそ、その行動は不可解に極まる。

 彼女は、いつも自分の中に答えを持つ。

 芯のある人間だった。


 いつも、自分の信念に沿って行動する彼女は、行った行動に後悔しない。

 謝罪が必要になる様な行動をしない。


 俺だって謝罪なんて求めていない。

 そんな言葉で、俺の中にある物は何も変わらないから。

 そんな事、彼女だって分かって居る筈なのに。


「何か、あったのか?」


 知った気になっているだけかもしれない。

 だが、どうしても雅が平常だとは思えなかった。


「座ってもいい?」


 そう言って、雅は木葉の座っていた俺の隣を指さす。


「あぁ」


 俺がそう言うと、彼女は何も言わず腰を下ろした。


「随分、モテるのね」


「また木葉の事か?

 あいつはただの後輩だよ」


「本当に?」


 何が言いたいんだろう。

 そもそも、何故、別れた俺にそんな事を聞く。


「じゃあ、彼女はもう作らないの?」


「付き合いたい人ができたら作るんじゃないか?

 少なくとも、直ぐに作る気は無いけど」


 というか、こっちは雅が居なくなって絶賛落ち込み中だ。

 直ぐ、新しい彼女なんて考えても無かった。

 それに、新しい彼女ができても雅の二の前は御免だ。

 だから納得できる程度には自分を磨きたい。


「そうなんだ……」


 俺は、雅に未練があるのだろう。

 けれど、それは言葉で解決する問題じゃない。


 あの間男の性格はクソだと思うが、実力があるのは間違いない。


 それに負けたのは、俺の過失だ。


「なぁ」


「何?」


「正直、雅が何で話しかけて来たのか全く分からないんだ」


「……」


「でも、一つ俺も言って置く事があった」


「……何?」


「俺、探索者になる事にしたから」


 そう言うと、雅は自分の口元を抑える。

 出て来る言葉を抑える様に。


「自分が許せないんだ。

 あいつに負けてるのが」


「強くなって……勝ってどうするの?」


 もう一回告る?

 いや、それは少し違うか。


「お前に、俺を選んどけばよかったのにってマウント取る予定」


 そう言うと、彼女はお腹を押さえた。


「何よそれ」


 堪え切れずに雅は微笑む。

 それは、俺と一緒に居た頃と同じ笑みで。


 だから、俺も引っ張られて笑ってしまう。


「俺ってほら、元々超いい男なのにこれで探索者としても成功しちまったら、めちゃくちゃモテる様になりそうだろ?

 そしたら、お前は俺を振らなきゃ良かったって後悔する訳だ」


「確かにそうかもね。

 本当にそう……なんか元気でたかも。

 私も頑張るね」


 それが、何に向けた言葉なのかは分からない。

 けれど、前向きになったって事なんだろう。

 それなら、俺も喜ぶさ。


「だから」


「うん」


 そして、俺と雅は同じ言葉を口にする。


「ちょっと待ってろ」


「ちょっと待ってて」


 それは、なんというか凄く曖昧な約束だ。

 明瞭な部分なんて何も無い。


 でも、付き合うとか付き合わないとか、そんなのは関係なく、頑張ろうと思える言葉だった。

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