黒い少女と召喚士 上
全身を黒い服で覆った女は走っていた。
真っ暗な夜の闇の中、月光の灯を頼りに逃走する。
追って来るのは魔物の集団。
「待てって、言ってんでしょ!」
そう声が聞こえた瞬間。
紫の光を放つイカズチが、黒い女の隣の道路に落ちる。
焦げ目どころか、地面が抉れ、小さなクレーターができている。
人の身でそれを受けた場合を想像し、黒い女の額に汗が滲んだ。
(なんで……なんでなんでなんでなんで!
おかしい、こんなのおかしい!)
未来を知っている。
それは、分かった。
だから、それに基づいて計画は修正した。
(なのにどうして、私が追い詰められてるの……)
黒い影が月光を覆う。
天を見上げれば、そこには翼を広げた吸血鬼が舞っていた。
「影纏一閃」
その呟きと同時に、黒い刀が振るわれる。
闇に紛れ、斬撃は飛翔。
(クソ……)
内心毒づきながら、女は天へ手を掲げる。
瞬間、肉が蠢く。
腕が隆起したかと思った瞬間、巨大化。
斬撃を受け止める。
しかし、斬撃の切味は肉を裂き、血を噴出した。
だが、傷はその程度。
片腕に斬り込みが入った程度ならば、まだ逃走は続けられる。
そのまま、巨大な腕で吸血鬼を薙ぎ払う。
「くっ……」
吸血鬼はそれを見て翼をはためかせ。
急停止し、追手の速度は減速する。
そのまま腕で地面を殴りつけると、爆発の様な地震が起こる。
粉塵に紛れ、裏路地まで逃げきった。
「これで……逃げ切れ……」
そう、女が呟こうとした。
目の前、その者達は待ち構える様に陣取っていた。
「来たわ……」
その場に居る存在は2人。
否。1人と1体。
黒髪の女と、フードを目深に被ったモンスター。
「えぇ、ご苦労様」
「後は我等で片付ける」
女が、耳元の通信機にそう話しかけた。
フードを被った怪物は、杖を地面に付けて、そう語った。
「なんなの、なんで私がここに来るって分かってるの……」
女は計画を立てていた。
己が持つ独自の技術と情報。
それは独自のアドバンテージだ。
なのに、その悉くが覆される。
確実に先手を取っているのは、こちらであるにも関わらず。
尋常ではない後手の速度と正確性で、正解へ辿り着いてくる。
(元々、失敗は多かった。
けど、それはただの失敗だった。
未然に防がれているだけの防衛でしか無かった)
けれど、あの時から。
(ペスト君の敗北から、何かが狂い始めた。
相手の思考が一段階上がったような感じ。
私自身の存在について、勘ぐられ始めてる……)
そして、ペスト敗北から半年。
ついに、彼等は自分の元まで辿り着く。
その時にはもう何もかも遅く、いつの間にか自分は追い詰められていた。
まるで、盤上の駒のように。
「貴方ね……」
怪物の横に立つ、澄ました顔の女に呼びかける。
「何かしら?」
薄く笑ってその女は応える。
「そう。暗月の塔の時からよ。
貴方が、聖典の探索者として真面に機能し始めてから。
それから私の計画は失敗続き」
「そうかもしれないわね?
でも、情報は出揃ってるから、後は式を組むだけだったわよ。
未来の情報と知識。ヴァイスの集めた情報。魔術の理論。
色々と情報を混ぜ、貴方に辿り着いただけ。
私はただ、そこに在った数字を使って計算しただけ」
まるで、大した事も無いと言わんばかりに女は語る。
(なによそれ。
私は私の存在が明るみにならない様に、細心の注意を払ってた。
絶対に私の元に辿り着くのは不可能な筈なのに……)
そんな、黒い服の女の思考を読んだ様に。
「隠し過ぎなのよ。
要するに、現実的な可能性と有り得無さそうな可能性を逆転させて、一番有り得無さそうだけど、可能性はあるって所を調べればいい。
こっちの捜査や推理を操ろうとしたんだろうけど、そういう特性を理解されれば無意味よね」
怪物の隣に立つ。
いや、この女も同じ様な化物だ。
戦慄し冷や汗が流れる。
きっと、こういう相手を天才と呼ぶのだろう。
けれど、仮にそうだとしても。
(こっちにだって、貴方に知られてない力はまだ山ほどあるの)
「ヴァイス、何かしようとしてるわよ」
「分かっている」
フードの方が杖を掲げる。
その先から、先ほども見た紫色の電流が走る。
しかし、その威力は先の一撃以上。
雷の奔流が、極太のレーザーの様に襲い来る。
「がっ、ががががががあああああああああ!」
女の叫び声が夜の街に木霊する。
けれど、その一帯は既に封鎖済み。
路地の外を見ても、通りすがりの人間一人すら歩いていない。
シュー。
と、焦げた音が響く。
肉が黒ずみ、身体から煙が上がる。
倒れた女は首だけを動かし、二者を。
いや、より強く女の方を凝視した。
「天童雅……覚えておきなさい」
女の名を、天童雅と名を呟いた瞬間。
黒を纏った彼女の身体は、風船の様に内から弾けて消失した。
「身体を変形させる能力……
自分を小型化して、下水道から逃げられた……」
爪を噛む仕草をしながら雅は呟く。
それを見て、ヴァイスが諭した。
「追い詰めているのは確かだ。
奴の手札も暴かれつつある。
チャンスは座していればやってくる。
焦るのはお前の悪癖だぞ、天童雅」
そんなヴァイスに向けて、天童雅は怒りの表情を抑えて呟く。
「分かってるわよ。
直ぐにこの近くの下水道の入り口を封鎖して」
「あぁ、もう通信している」
しかし、どれだけ人員を尽くしても、逃げた女が見つかる事は無かった。
◆
「おはよう神谷君、今日も頑張って行こうか」
未来の俺と戦った頃から、4カ月程。
俺は今、家の近くにあるカフェでバイトをしている。
友達が増えた事で遊ぶ機会も増え、結果掛かる金も増える訳で。
それを相手に払わせる訳にも行かない。
何なら俺が奢りたい。
女の前ではカッコつけたいのが男の性という物だろう。
雷道とエスラ以外には基本奢ってる。
まぁ、その度に雅も木葉も先輩にも笑われるけど。
因みに雷道には奢らせてる。
お前は金持ってんだからいいだろうが。
「おはようございます店長」
俺がこのカフェをバイト先に選んだのは暇そうだから。
実際、客の数はそんなに多くない。
けれど、だから暇かと言われれば微妙な所だ。
バイトは俺一人しかいない上に、店長は今年75歳。
身体もバキバキだから、基本俺が一人で回している。
客が少なくても、これじゃあ意味がない。
しかし、入ってまだ一月程度。
俺が辞めれば店長一人。
経営が成り立たなさそうで、辞めるに辞められない。
まぁ、給料がそこそこいいってのも理由の内だが。
「それじゃあ、外の掃除してきます」
季節もあってか落ち葉が多い。
それを片付けるのも俺の仕事の内だ。
時刻は朝の7時20分。
箒と塵取りを持って店先に出た。
すると。
――黒い服の女の人が、行き倒れていた。
「あの、大丈夫っすか?」
返事がない。
「おーい!」
死んでる。
いや、生きてるけど。
爆睡だ。
「こんな所で寝てると風引くっすよー!」
全然起きねぇ。
この野郎。
「おい、ゴスロリ女」
「は?」
長い黒髪の中から、ダーク系の化粧を纏った顔が起き上がる。
「なんで今起きるんだよこんチクショウ」
「誰君」
「こっちの台詞だ行き倒れ」
「行き成り人をゴスロリ女呼ばわりする人に名乗る名前は無いかも」
立ち上がりながら、女はそう言った。
黒いドレスを着た奇妙な女。
真っ白い肌に黒い服。
妖怪みたいと言えばいいだろうか。
でも、雪女みたいな美人系だ。
「まず君の名前を教えてくれたら、私の名前も教えて上げる」
「……神谷昇です。
ゴスロリ女呼ばわりしてごめんなさい」
「あら、案外素直。
でも、私は嘘吐きだから名乗らない」
この女嘗め腐りやがって……
まぁ、先に失礼したのは俺の方だ。
多めに見てやろう。一回だけ。
椎名先輩よりは丁寧な口調。
でも、雅に比べるとぶっきらぼう。
木葉よりも明るくない。
そんな感じの女。
そんな風に勝手に決めつけるところから初めていると、低い音が鳴った。
――グゥゥ。
それは、女の腹の蟲だった。
「何、腹減ってんですか?」
「うん、そうみたい。
燃費悪いんだよね、私の身体」
「じゃあ何か食ってく?
カフェだから、ちょっとしたモンなら出せますよ」
「じゃあラーメン」
「ねぇよ」
「じゃあお寿司」
「だからねぇよ」
「しょうがないから天津飯かな」
「ねぇっつってんだろ」
「え、だって日本でしょここ」
「おいコラ流暢な日本語喋りくさりやがって、何人だこの野郎」
「え、日本人だけど」
じゃあ余計に意味が分かんねぇな!
「はぁ、ベーコンエッグとトーストな」
なんか疲れて来た。
「コーヒーも下さる?」
「はいはい」
俺は黒い服の女を、開店前の店内へ入れる。
「店長、少し早いんですけどお客さん連れてきました」
そう声を掛けると、厨房から声が帰って来る。
「あぁ、構わないよ。
注文は?」
「ラーメン」
チョップ。
「うぐっ」
女は涙目で頭を押さえ、訴えかける様にこっちを見て来る。
馬鹿が。
「モーニングのベーコンエッグセット、トーストで。
飲み物はコーヒーがいいらしいです」
「直ぐに用意するよ」
女を席に座らせて、俺も仕事に戻ろうと出口へ向かう。
すると、女が俺の裾を掴んだ。
「何……」
「レディに暇させる気?」
「……はぁ」
溜息を付きながら、外の掃除を諦める。
「店内の準備しながらでいいなら、ちょっと話すか?」
「うん」
「じゃあ、そろそろ名前を教えて貰っていいっすかね。
あんたや貴方って呼ぶのは何かって感じだし……」
「そうだね。
じゃあ、
「茉莉……さんは幾つなんすか?」
「君は?」
「21っす」
「じゃあ私も21」
じゃあって……
「だから、その似非敬語みたいの使わなくて大丈夫」
「……そうするよ」
「店員なのにお客様に敬語使わないんだ」
「開店前だしお引き取り願うか」
「ごめんごめんって、冗談じゃん」
そんな会話をしていると店長が頼んだ朝食を持ってきてくれた。
「楽しそうだね」
「あ、すいません店長。勝手に入れちゃって」
「いいよいいよ友達だろう?
神谷君はいつも頑張ってくれてるからね」
そう言って厨房に戻っていく店長。
背中に俺は頭を下げて感謝を言った。
「ありがとうございます」
それを見て、茉莉は不思議そうに俺を見る。
「君さ、腕の動き……少し変じゃない?」
「え……」
初めてだ。
指摘されたの。
「義腕なんだよ。
良く分かったな」
「ふーん」
俺の話を聞いて、直ぐに興味が失せたらしい。
それとも、余り触れない方が良い話題だと判断したのだろうか。
いや、この女にそんな神経は無さそうだ。
「いただきます」
そう言って、彼女は食事に手を付け始めた。
◆
「あ、お金持って無いや」
「店長ぉ! こいつにバイトさせましょう!」
「いいよいいよ、丁度増やしたかったんだ」
「えー」
それが、俺とこの女の出会いだった。
人という種族の敵。
その正体は――魔物の姫である。
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