第18話 孤独な男
男は一人、いつもの様に買取所へ向かっていた。
くたびれたスーツを羽織りった、覇気のない顔の男。
(俺は今まで、ずっと繰り返しだった)
勉学に励んだ。
毎日同じ時間に学校へ向かった。
毎日、同じ活動範囲で行動した。
下校時間も一緒。
小学生の頃から、運動に打ち込んだ記憶が無いのも一緒。
それは、学校という場所を出ても。
社会に出ても同じだった。
出社時間、残業の毎日、帰宅時間。
どれも、毎日同じ。
食事の内容も色は無く、着ている服もいつも同じ。
(いつも、俺の人生は同じだった)
だって、そう習ったから。
真面目な両親から。
学校の先生から。
同じ学校に居た、同じ塾に通っていた友人もそうだったから。
そんな理由で。
それが正しいと。
信じる物がそれだけだった。
(それだけじゃない。
いつも騙されて……)
彼、
彼の人生にはいつも『嘘』があった。
『俺たちってさ、友達だよな?』
『だから、ちょっと金貸てくれね?』
『今度驕るからさ、ここだけ出しといてくんね?』
『俺テストの点数マズいんだって』
『頼むから、テスト中にカンニングさせてくれ』
『お前は優秀だろ? 良くできた後輩だ』
『だから頼むよ、俺の仕事変わってくれ』
そんな言葉を、彼はただ信じて来た。
頷いていた。
よく考えれば……
今となっては……
それは嘘だったのだと分かる。
そんな願いに答える意味は何処にも無いと分かる。
それでも男は『嫌だ』と言えなかった。
(弱い人間だよな、俺……)
台車を引いていると、そんな思考に頭が染まる。
(でも、最近は変わった気がする)
人混みの中で台車を引く。
そんな目立つ事はしたくない。
そんな性格だった筈なのに。
どうしてだろうか。
仕事を辞めたからか、それともあの経験のお陰なのか。
余り、人目を気にする事が無くなった。
どうせ自分の事など誰も見ていないと。
そう思えるようになった。
(早く、戻らないと)
そう思い直し、横断歩道を渡っていく。
そのまま彼は買取所に入り、バックの中身を換金した。
売却金は105万7000円。
その大金を封筒に入れ、懐に仕舞う。
そのまま、目立たない様に買取所の外に出た。
(あの人……いや龍は俺を騙してない。
騙す理由が無い。
俺が何でも言う事を聞いてるから。
そんな人間を騙す理由が無いんだ)
そんな、普通なら嫌なハズの感覚。
けれど、夜宮久志はその状態を心地よく感じている。
(もっと役に立てば、友達になってくれるかな)
こんな子供染みた事、良い歳で考えて……馬鹿か俺は。
と、自分の思考を鼻で笑う。
一時は死のうとさえ考えていた男。
けれど、今はその気は全くなくなっていた。
人生の中に、一つだけだが楽しみを見出せたからだ。
「ふふ、探索者証も手に入れた。
これで大出を振ってダンジョンに入れる。
荷物持ちでも、パシリでも何でもいい。
ダリウスさんの役に立てるなら」
人は簡単には変わらない。
変われない。
変わろうと思えない。
それでも、男は満足していたのだ。
金も家も無く、友人も恋人も居らず、食べ物だって満足に食べているとは言えない。
(でも、ダリウスさんと喋るのは楽しい。
早く戻って、探索者の事ももっと調べて、ダンジョンの原理とか……
力じゃ何の役にも立てないけど、情報収集とかなら得意だし)
そう意気込んだ、その時だった。
彼を見つめる視線がある。
その人物は近づいて来て、彼の肩を叩く。
「久志君……?」
そう、声を掛けて来たのは若い女だった。
高級バッグを肩に掛け、高そうなアクセサリーに身を包む。
厚化粧で茶髪を腰まで伸ばした、気さくな雰囲気の女。
「貴方は……」
それは、男が世界で一番会いたくない女だった。
「久しぶりだね」
「お久しぶりです。
それでは失礼します」
そう言って、立ち去ろうとする久志。
けれど、その肩が掴まれる。
そのまま、振り向かせられた。
「なんで逃げるの?
もしかして怒ってる?」
「いいえ、怒って何ていませんよ。
ただ、話す事も無いと思いますけど」
「悪かったわよ。
でも、しょうが無いでしょ?
本当に、お母さんが病気だったんだって」
「そうですね。
それで、今はご無事なんですか?」
「うん、半年前くらいからハワイで旅行してるよ」
半年前。
それを聞いて、久志は難色を示す。
拳を震わせていた。
「ちょっと前まで、付き合ってた仲じゃない。
そんな邪険にしないでよ」
そう言って笑う女。
久志は彼女の為に尽くした。
久志は母親が病気で死にそうだという彼女の言葉を真に受けた。
手術費として1億を死ぬ気で搔き集めた。
そして、彼女にそのお金を上げた。
それから、一週間ほどで久志は別れを告げられた。
借金の事が会社にバレ、クビになった。
残ったのはよれたスーツと暴利だけ。
そして、久志が女に金を渡したのは三ヵ月前だ。
半年前から旅行中だとすれば、時系列がおかしい。
いや、そんな証拠など無くとも分かって居たのだ。
また、いつもの様に騙されただけ。
「俺は、別に貴方を恨んでたりしませんから。
でも、流石に関わる気にはなれないだけ。
だから、離してくれませんか?」
そう言って、肩の手を退かす。
それを見て、今度は女が顔を顰めた。
「何それ……
恨んでない?
強がってんじゃないわよ」
「何を言って……」
「1億も借金して、会社もクビになったんでしょ?
その様子じゃ服買う金も無さそうだし、家も無いんじゃ無いの?
何余裕そうな顔してんの?
それでかっこつけてるつもりな訳?」
「別に俺はかっこつけてなんて……」
久志の言葉を遮って、女は興奮した様子で話し続ける。
「馬鹿じゃ無いの……金も無くて、頭も悪くて、強くも無くて、顔も悪い。
そんなアンタが、私みたいな女とちょっとでも一緒に居れた。
でもそれは、ただアンタが騙されてただけ」
「分かってますよ」
「じゃあ、もっと恨むでしょ。
馬鹿みたいに、許してとか、ごめんとか、この野郎とか。
もっと反応ってもんがあるだろうが」
「……もういいですか?」
そう言って、久志は振り返る。
そのままダリウスの待つダンジョンまで戻る。
その予定だった。
「おぉ、どうかしたのか?」
前から、手を上げてそんな声が掛かる。
見える男は、身体が大きく筋肉をアピールする様な服装の男。
それが、手を上げて声を掛けているのは久志では無い。
「待たせちまって悪いな」
「良いわよ、お願い聞いてくれるならね」
「あぁ、なんでも言えよ。
お前は俺の女なんだからよ」
それを見て、久志は逃げようとした。
けれど、その判断は遅すぎた。
男が久志の肩を掴む。
「それで、お前は何だよ?」
夕日が落ち始め、空が暗く、黒く染まっていく。
「あっちで話そっかね、おっさん」
◆
「ガハッ!」
裏路地の壁に、久志は背中を叩きつける。
腹を男から蹴られたからだ。
「やめろ、こんな事して許されると……」
「うるせぇよ」
立ち上がろうとする久志。
けれど、地面に沈める様に男の蹴りが腹を何度も穿つ。
何度も蹴られ、横たわる。
喧嘩なんて生まれて一度もした事が無い。
そんな久志にとって、この状況は絶望的な物だった。
「これ、何かしら」
女が呟いて、何かを拾う。
それは、久志が胸ポケットに入れていた筈の封筒だった。
「あ、返せ!
それは大切な……!」
焦った声を上げる久志を見て、女は黒い笑みを浮かべる。
そのまま何食わぬ顔で封筒を開けた。
「何よこのお金……
百万近くあんじゃないの?」
「それは預かってるだけだ!
ちゃんと渡さないといけないお金だから!」
「こんな大金アンタに預ける訳無いでしょ。
窃盗でもしたんじゃないの?」
「うわ、このおっさんマジかよ」
「まあいいわ。
今日は、これで勘弁しといてあげる」
そう言って、封筒を持ったまま立ち去ろうとする女。
それを見て、久志は人生で一番大きな声を出した。
「――ふざけるな!!」
ビクリと、女が肩を震わせる。
「な、何よ……」
「それは、お前なんかが触れて良い金じゃない!
あの方が、死ぬ気で稼いだお金なんだ!
返せよ! ぶっ飛ばすぞ!」
拳を構えて、立ち上がる久志。
「ひっ」
青ざめた表情で後退る女。
女が知っている久志とは雰囲気が違った。
怒鳴り声など聞いた事も無い。
本気で怒り、暴力まで視野に入れている彼を見た事は一度も無かった。
だからこそ、それが本気である事が分かる。
「うるせぇな。
てめぇ、誰の女に口利いてんだ」
そう言って、久志の顔面を拳が穿つ。
意識が途切れる寸前、女の声が聞こえた。
「クソ男……」
都会の闇夜に星の輝きは無い。
星光を埋め尽くすほどに、繁華街の光が強いからだ。
「俺は……なんて事を……」
目覚めた久志は、ゴミ袋に埋まっていた。
胸ポケットに触れる。
封筒の感触は無い。
無くした。
奪われた。
頼まれた仕事を大失敗した。
「なんで、なんでなんだよ……
なんで……こんなのばっかりなんだよ……」
裏切った。
信用を裏切ったのだ。
どんな顔をして帰ろうと言うのか。
どんな言い訳を並べようと言うのか。
事実は何も変わらない。
「ダリウスさんを騙す様な言葉なんか、言える訳がない」
最後に殴られた時、砕けた眼鏡。
その縁を涙が伝う。
上を向いても、星の光は欠片も見えない。
「ごめんなさい。すいませんでした。
あは、あはははは……
やっぱり、俺なんか何も出来なくて、誰かに騙されてるのが丁度いいような馬鹿なんだ……
あぁ、ごめんなさい。ごめんなさい……
俺を信用してくれたのに……俺なんかと仲良くしてくれたのに……」
繁華街からの眩い光が男の視界に写る。
誰かと一緒に、何か目的を持って歩く人々。
恋人、友人、親子、兄弟、同僚、先輩、後輩。
彼等がどんな関係で、どんな目的でそこを歩いているのかまでは分からない。
だが、少なくとも彼等は一人で歩いてはいない。
眩い光の中を、誰かと並んで歩いている。
その光景に、どうしようもなく惹かれた。
憧れた。
自分もそこに行きたいと願った。
けれど。
――どうしようもなく、足掻きようもなく。
夜宮久志という人間は。
「俺は……独り……」
――そんな、孤独で卑屈な男に近づく影があった。
「一人は嫌だよね。
辛く、悲しく、不安で、怖い」
ペストマスクを着けた人間。
中性的な声で、男か女かも判断できない。
正体不明。そう呼ぶに相応しい、怪しい存在だ。
真っ黒な衣装に身を包み、レンズの中から覗く感情の無い様な無関心な目。
それはまるで、実験動物でも見ている様だった。
「でも心配する事は無いよ。
君のその病状を解決する特効薬を私は持っている。
私であれば君の居場所を、人間社会の何処にも無いそれを与える事ができる」
黒々しい影は、安心させる様に嘯く。
「君の居場所はここではないよ、元人間。
だから君にとって最適な世界を、この私が提供しよう」
「あぁ、分かるぞ。
どうせお前も、俺を騙そうとしてるんだ」
それが、分かって居ても……
でも、夜宮久志という男にはもう……
もう、縋れる物はそれの嘯く戯言しか残って居なかった。
「ははっ、まぁそれでもいいか」
残虐に響く笑い声を上げて。
カツカツと硬い靴裏を鳴らしながら、それは近寄って来る。
眼前に持って来る手の中には、指先サイズの赤黒い石の様な物が入っていた。
「さぁ、騙されたと思ってグビっと行こうか」
その石が口の中に捻じ込まれる。
拒む力も気力も、もう無かった。
夜宮久志はその丸薬を飲み込んだ。
そして、夜宮久志という人間は、この世界の何処にも居なくなった。
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