第34話 聖典の執筆者
――雅が俺と復縁とか望んでも、俺はそれを断るよ。
当然だ。
――だって、今の俺にはお前に釣り合う器が無い。
それは、私の方だ。
――もうあんな経験は懲り懲りだから。
ごめんなさい。
――俺が次に誰かを好きになるのは、そいつを幸せにしてやれる実力を備えた後だ。
ごめんなさい。
聖典の所持する高層ビルに帰宅する。
私の目の前は、真っ暗だった。
都合の良い話だと、自分でも思う。
勝手気ままに振り回して。
安い謝罪を口にして。
その心を握って潰した。
前を見て、後ろを見て。
誰も居ない事を確認して。
私の両足は自然と折れた。
「ごめんなさい」
無意味で、身勝手で、自分本位で、優柔不断。
どうして……
いつから私はこうなったのだろう。
いつか……
ずっと昔に誓ったはずなのに。
必ず、幸せにして見せるって。
なのに、私は逃げたのだ。
なのに、私は諦めたのだ。
「何があったんだい!?
天童さん……!」
静かな廊下で嗚咽を吐く。
そんな私の両肩に手が添えられた。
その幼気な顔にはそぐわない、ゴツゴツした掌。
「エスラ……?」
私は、顔を覗き込む彼を自暴気に睨みつけた。
「これで、全部貴方の思い通り?」
そう言うと、エスラはどこか悲しそうに私の肩から手を降ろした。
思えば、最初に私に声を掛けたのはこの男だった。
私が一人で歩いている時、彼は私の前に現れた。
聖典への加入を誘われたのだ。
当前に、私はそれを断った。
探索者になる気なんて無かった。
でも、その次の日。
お父さんが事故に遭った。
病院に行くと、そこにはエスラが待っていた。
彼はまた、私を勧誘した。
次の週は、お母さんが重い病気になった。
すぐ後に真面目な弟が行方不明になった。
どう考えても、その不運の重なり方は普通じゃ無かった。
そして、タイミングよくいつもエスラは居た。
「次は、誰なのかな」
その言葉を私は一生忘れない。
そして、その言葉の矛先に一番最初に思い浮かんだのは昇だった。
父の交通事故の相手は政治家の息子だった。
事件は真面に捜査されなかった。
母は、隣に引っ越して来た人に貰った菓子折りを口にして、病気となった。
でも、そんな人は居なかった。
弟は、監禁されていた。
しかし全く危害を加えられる事も無く、丁重に扱われていたらしい。
相手はそういう相手だった。
正義とか悪とか、そういう物を分別している存在だ。
その矛先が昇に向くのが、どうしようもなく怖かった。
だから、私は問題の解決を諦めた。
屈した。
父の怪我は癒え、母の病は治り、弟は見つかった。
そして、私は聖典に所属していた。
「昇に未練はもう無かった。
これで、私が探索者をする足枷は何も無くなった。
良かったわね、これで私がここを辞める理由ももう何もない」
そう、私はエスラを非難する。
忌々しく睨みつける。
エスラは、それでも表情を変えない。
悲しそうに私を見る。
「僕は聖典のリーダーだ。
だから、仲間が困っているのならなんだってする。
君の苦難は僕の苦難で、君の不幸は僕の不幸だから」
「よくもそんな白々しい事が言えるわね」
「そう思われても仕方ないね。
でも僕は君の味方だ。
絶対に君を裏切らない。
僕は本当に、君の力になりたいだけなんだ」
そう言って、真っ直ぐにエスラは私を見つめる。
意味が分からない。
でも、もしその行動に正当な意味を持たせるのなら。
「まさか……」
「天童さんには悪いと思ってる。
僕は、君に結局何もしてあげられなかった」
「貴方は、私の周りの被害が少しでも少なく済む様に、私をしつこく勧誘していたの?」
「僕にはそれくらいの事しかできなかった。
本当に情けない限りだよ」
そう言って俯くエスラ。
彼が、嘘を言っている様には見えない。
そう思うと、涙と一緒に言葉が勝手に漏れていた。
「私は、彼と一緒に居たかった。
あの時は無理だったけど、強くなって、守れるようになったら戻れるかもしれないって信じてた」
私は強くなった。
聖典を運営する者でも、簡単には私を制御できない位。
私に下手にでなきゃいけない位の実力と知名度を得た。
だから。
やっと。
またせてごめん……と、言える筈だった。
「昇も『待ってろ』って、言ってくれたから」
でもそんなのは妄想だった。
勘違いだった。
「私は最低で……最悪で……
そんな私を待ってくれてる訳無くて……」
自分の都合を。
自分の弁明を。
自分の勝手を。
誰に向けてでも無く、ただ叫びたいように叫ぶ。
本当に、どうしてこんなに落ちぶれたのかな。
でも、そんな私の独白をエスラは強く否定した。
「君が最低なんて、そんな事は無いよ。
君の不幸はただの不運だ。
君はただ選ばれてしまっただけなんだから。
そんな君に責任があるなんて言う奴が居るなら、僕が代わりに殴り飛ばそう」
自分の感情すら制御できず、泣きじゃくる私をエスラは肯定する。
ただ、胸を貸してくれた。
「大丈夫」
エスラはそう言う。
私が泣き止むまでただ、背中を摩り続ける。
どれだけ時間が経ったかも分からない。
メイクが落ちたのが嫌で、膝に顔を埋める私にエスラは背中を向けた。
「僕にはリーダーとしてある権限が与えられている」
「それを使えば、私に何かあるの?」
「それは分からない。
でも、何かヒントが貰えるかもしれない。
もしかしたら、理由を問いただせるかもしれない」
「どんな権限?」
「聖典という魔道具の製作者、つまり執筆者と話す権利だよ」
澄ました顔でエスラはそう言う。
「え……?」
聖典とは予言書だ。
この組織の根底となる、恐らくはこの組織をここまで巨大にした原因となる魔道具。
それを、誰かが作った……?
「これが、執筆者への直通転送符だ」
そして、彼は私に一通の便箋を差し出す。
「僕は、この権限を今まで使わなかった。
君以外の僕等は、聖典に入った事を悪い事だとは思っていなかったから。
僕は、理不尽を滅する権利を。
シュレンは、貧困からの脱出を。
忍は自由を手に入れている。
聖典は、僕等にとっては恩恵だった」
けど……そう切って、エスラは私の肩にもう一度触れた。
「君にとって聖典は呪いなんだろう?
だったら、僕はこの現状を許せない。
定員は一人、僕が行って来てもいいけどどうする?」
そう言われて、私の答えは一つしか無かった。
「それを私に頂戴。
私が直接行くに決まってる」
「あぁ、君はそう言うと思ったよ」
エスラが去った後、私はゆっくりと便箋を開く。
封を切った中の用紙を広げる。
そこには円と、それを上下左右に分かつ十字線が描かれていた。
その紋章に触れる。
その瞬間、私の視界は一瞬で書き換わった。
◆
「ようこそ、天童雅様」
それは洋館の玄関だった。
けれど、窓の外は真っ暗な夜空が視える。
日本じゃない。
それを察しながら、私は立ち上がる。
目の前に居るのは使用人服の男。
蜥蜴の様な鋭い瞳と、黒い髪が特徴的だ。
執事?
それに、私の名前を知っている?
「私が来る事が分かって居たの?」
「それが、お館様のお力ですので」
「自称予言者って訳……?」
皮肉気に言ってみるが、使用人が意に介したような雰囲気はない。
「お館様がお待ちです。
こちらへどうぞ」
そう言って、指し示す方向に使用人は歩き始める。
ここまで来て立ち往生しても仕方ないか。
彼の後を着いて行くと客間へ通される。
部屋の中へ入る。
中央に有る西洋風の豪華なソファとテーブル。
ソファの片方には、既に一人の人物が腰を下ろしていた。
「貴方が、私達にあれこれと命令している張本人という訳かしら?」
この屋敷の装飾とは似つかわしくない古びたローブ。
それを纏った性別も分からない者。
「少し、驚くかもしれないが……このまま話すというのも失礼という物だ」
そう言って、彼はフードを取る。
――その中身は、人間では無かった。
「んっ……!」
思わずそんな声が出た。
悪魔。
そうとしか形容できない姿。
獣の様な顔立ち。
鋭い角と牙。顔の一部からは内部の骨が露出している。
歪の極み。
生物と形容していいのかすらわかない異常性。
探索者として、色々な生物を見て来た。
そんな私でも、息を呑むほどの異形な外見だった。
「天童雅……やはり貴様が来る事になったか」
私は、ここへ来た理由を思い出す。
ここで、引くわけにはいかない。
「まるで、私が来るのが分かっていた様な言い回しね。
それも、予言という訳?」
そう言って、私はそれの対面に腰を下ろす。
「貴様と会うのは初めてだ太陽の巫女よ」
「何かしら、その呼び方」
「我等にとって、貴様はそういう存在というだけだ。
それで、貴様は我等に様々と聞きたい事があるのだろう。
だが、ただで教えてやると言うのも面白みに欠けるとは思わぬか?」
「どういう意味かしら」
私の言葉に怪物が答える前に、部屋の扉が開く。
使用人の男が何かを持って現れ、それを机の上に置く。
「チェス……?」
それは、チェス盤と駒だった。
「そうだ。ここに居ると退屈でな。
相手も居らぬから新鮮な相手と対局したくなる」
「そんな遊びに付き合ってる暇は……」
「雷道シュレンを貴様の破局に同行させたのは我等だ」
「は……?」
「貴様に接吻させたのもな」
……確かに、雷道は何故か私が昇と別れようと思ってる事を知ってた。
協力すると言って来たのも、不自然だとは思っていた。
木葉ちゃんが言ったのかとも思ってたけど……
「なんで……そんな事……?」
「知りたければ勝って見せよ。
そうだな……もし貴様が負ければ神谷昇を殺す様指示を出す。
……というのは、本気を出す理由になるだろうか?」
悪魔は、私に嗤い掛ける。
クソみたいな笑顔で。
「――殺すわよ?」
「であれば、その前に聞くべき事を聞かねばな?」
後悔させてやる。
私は今まで、知恵比べで負けた事なんて一度も無い。
「知っているさ。
だが我等のそれは人伝の物でな。
故に、一度見て見たい物だと思っていたのだ」
「御託はいいわ。
早く始めましょう」
「太陽の巫女の本気が漸く見れる。
長生きはしておくものだな。
さて、対局前に名乗って置くとしよう。
我が名はヴァイス・ルーン・アンルトリ」
「知ってるだろうけど、天童雅よ」
そうして、対戦は始まった。
「貴様がここへ来ると知っていたのは、ただの予想だ。
他の者達には我等と話す理由は無い。
現状に満足しているだろうからな。
そして、エスラ・ディラン・ルークの性格を考えれば、通行書は貴様に渡るだろうという簡単な推理だ」
手を動かしながら、ヴァイスはそんな事を話す。
「話すのは、勝った後じゃ無かったのかしら?」
「無言で遊戯をするのも退屈だろう。
興味が無いのであれば聞き流せばよい」
そう言って、ヴァイスは話しを続けた。
「我等は確かに予言者としての地位を持っている。
聖典は我等の知識を書き記しただけの物だ」
「一緒じゃない、未来の事が書かれてるんでしょ?」
「概ねはな。
だが、我等が知る未来は一つだけだ。
全ての者が、一つしか知れぬ様に」
「…………」
「我等の知る未来では、二週間前。
暗月の塔の暴走によって、貴様は既に死亡している」
「私にそういう揺さぶりは無駄よ?」
「事実だ。
貴様と神谷昇が破局していなければ、貴様等は泊まりで出かけていた。
そして、事件に巻き込まれる事となっていた。
神谷昇を庇い、貴様は命を落としていたのだ」
あぁ、ウザい。
頭が勝手に回る。
あの事件は日曜日の朝だった。
10月22日。
あの日の日曜日は、もし続いていたら、付き合い始めて4年目の記念日だ。
一緒に出掛けていた可能性は大いにある。
「意味が分からない。
まさか、私の命を救うためだったなんて言う気?
それを知っているなら、他に方法は幾らでもあったでしょう?」
「貴様の命の問題ではない。
神谷昇が、一刻も早く覚醒する為だ。
神谷昇が探索者として動き出すため、貴様が邪魔だった。
故に、雷道シュレンを使って貴様を退けた」
「昇に何をするつもり……?
いや、何をさせるつもりなの……?」
「賢くて助かるな、人間。
だが、何もする必要は無い……
ただ、神谷昇は直に魔王へ至る。
それだけの事よ。
最初からその順風満帆な君臨だけが、我等の望みなのだから」
魔王?
彼とは対極の評価だこと。
君臨?
そんな事、させてたまるか。
ムカつく。
イラつく。
外野がワラワラと。
人の不幸を嗤っている。
人の不運を願っている。
それを知って、普通で居られる程、私は大人じゃない。
私は最後の駒を動かした。
「チェックメイト。
私が、貴方の思い通りにさせなければいいだけの話でしょ?」
「全力でやったのだがな、やはりこうなるか……」
「約束、守ってくれるんでしょうね?」
「当然だ。我等の知る全てを話そう。
そうしてどうするべきか、貴様に委ねる。
それが、この結果だ」
ヴァイスから、私は全てを聞いた。
彼の知る全ての未来を知った。
それは、今とは全く違なる物だった。
もう既に、この世界は聖典という媒体を使って、ヴァイスが大きく歴史を修正していたからだ。
でも、彼がそうした理由も全部知って。
そうして、私は思ってしまった。
昇は私の幸せをずっと願ってくれた。
私の身勝手な振る舞いに文句の一つも言わなかった。
私はただ、自分の幸せを願っていただけだった。
やっぱり、昇は凄い……
だから。
私は彼に嫌われる勇気を持つ。
――私は昇を倒す。
――彼を魔王になんてさせない。
そう、決心した。
《???》
言われた事をただやるだけならば、それは思考停止と変わらない。
しかし彼等は、既にそれに慣れ過ぎた。
故に彼等は託すのだ。
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