第58話 諦めて


「全てが揃った」


 静かに。

 老人は描き始める。

 雅の描くそれと同じ。

 円と十字の魔法陣を。


「止めろ!」


「止めて!」


 俺の声と雅の声が重なる。

 それは、指示となって彼等に響く。


 けれど。



「――動くな」



 そう言って、杖が俺を向く。

 いや、正確には俺の後ろに居た。


「シャーロット先生?

 何やってんすか……?」


「なんで……?

 身体が勝手に……」


 俺の腕がいつの間にか、彼女に取られ。

 首筋に龍化した爪が宛がわれている。


竜人クォーターには、支配の術式を組み込んでいる。

 そもそも、お前達を逃がしたのは我等の手引きだ。

 001・シャーロット・ヨグル。神谷昇を連れて来い」


「神谷君……これは私の意思じゃ……」


「それは、何となく分かります。

 でも、大分不味い気がするっすね」


「ごめんなさい」


 謝罪の言葉と共に、彼女は俺を抱えて運んでいく。

 その間にヴァイスを呼び出す魔法陣は完成。


「もうこの死体は要らんな」


 老人はこと切れる様に、白衣の男と並んで倒れた。


 既に、魔法陣の上にはヴァイスが召喚されている。


「一つ、それが明確に存在したという証明、つまり我等が記憶。

 一つ、それを構成する身体的なデータ。つまり遺伝子情報。

 一つ、その能力を再現する為に必要な、魂の質。つまり、亜人とクォーターの生贄。

 一つ、術式の発動に必要な大量の魔力。つまり」


 ヴァイスの手から溢れる様に魔石が零れ始める。

 収納に蓄えられた大量の魔石が、床に転がっていく。


「そして、貴様だ。

 天童雅……貴様さえ居れば我が主の願いは叶う」


「ヴァイス、止めて。

 まだ、そんな事をしても貴方は幸せにはならない」


 雅の言葉を受けて、ヴァイスは高く笑った。


「ハハッ、何を言っている。

 我の幸福よりも主の幸福、それが召喚獣として当然の在り方だ」


「……違うわよ。

 だって、貴方には知性があるじゃない」


「……お前が口から吐いた言葉の中で、初めての理解できぬ物だ」


「だから、ゆっくり知ってもらうつもりだったのに」


 雅の言葉を遮る様に、スルトも口を挟む。


「貴様は間違えている。

 それは、我と同じ間違いだ」


「……では、対局と行こう。

 貴様がこの男を失っても、同じ言葉を吐けるのか」


「……止めろ」


「無理な相談だ」


「……頼む」


 初めてだ。

 スルトが、俺以外の誰かに願うのは。

 遜るのは。

 それだけ、状況が絶望的って事なんだろう。


「お前達は動けない。

 神谷昇コレが最大の弱点だと、我等が最も知っている」


 ヴァイスは余裕の表情で用意を始める。

 檻に入ったシャルロットを出して、髪を引きずる。


「いたいっ! いたいってば!」


 激しく悶えるが、意味は無い。

 檻から出てもその首には、俺が付けられた物と似たような拘束具があるのだから。


 ヴァイスは悲鳴を無視し、シャルロットを部屋の中央。

 巨大な魔法陣の上まで引っ張る。


「見損なったぞ、ヴァイス!」


 ヴァンが叫ぶ。

 今にも斬りかからんと、刀を揺らして。


「それでも貴様は動けんよ。

 所詮貴様も……召喚獣なのだから」


 巨大な魔法陣。

 スルトたちと対極にはファイたちが並ぶ。

 雅たちと対極には魔石が置かれ。

 スルトの前に俺とシャーロット先生。

 雅の前にシャルロットが押さえつけられる。


「さて、準備は完了した。

 それとな……」


 ヴァイスの視線が、虚空へ向く。


「柊木葉、雷道シュレン。

 それ以上近づけば、神谷昇を殺す」


 そう言われて、虚空の中から木葉と雷道が出て来る。


「バレてましたか」


「ッチ……」


「聖典の能力は全て把握している。

 性格や行動パターンと共にな」


 正直、多分詰んでる。

 ヴァイスの頭を相手に不意打ちは決まらない。

 俺が人質になっている限り、真向からの戦闘は不可能。


 自分の使えなさに嫌気が指す。


「ごめんなさい。

 私が、支配はもう解けたと勝手に思い込んでたから」


 それは先生のミスってよりは、ヴァイスが上手いって話だ。

 俺だって同じ状況なら、都合よく解釈するかもしれない。

 というか、この状況になる事を読み切る様な化物相手に、頭脳戦で勝てる訳も無い。


「いいっすよ。

 俺の方こそ、勝手に敵扱いして悪かったっす。

 でも先生は、なんでシャルロットを逃がしたんすか?」


「子供が、受けるような仕打ちじゃ無いと、私の気持ちが言ったからかしらね」


「そうっすか」


 だったら、まぁしゃーなしか。

 あぁ、今から俺何されるんだろ。

 死にたくねぇな。


 でもさ。


「はなして! いたい!」


 どっちが、大切だろうか。



 俺:ヴァン。

 ヴァン:主君……申し訳……

 俺:謝罪はいい。

 俺:お前に頼みがある。多分、お前にしか頼めないから。



「「ヴァイス!」」


 雅とスルトが呼びかける。

 けれど、もうヴァイスから返答も無く。


 紡ぐ言葉はただ一言。



「――幻想召喚」



 大きく杖を掲げた瞬間、魔法陣が強く光る。



 俺:行け。



 その光の中を一条の影が駆け抜ける。

 それは、俺に向かってではなく。


 ヴァイスに押さえつけられる少女へ向けて。


「なんだと……?」


 ヴァイスの手の中から、少女を奪い。

 そのまま、魔法陣の外まで駆け抜ける。


 少し間抜けにも思える声が、ヴァイスから出る。


「何故だ……

 何故、召喚獣が主の命よりも他の物を優先する……!?」



 けれど、ヴァンが動いた事でシャーロット先生の腕も動く。

 爪が勢いよく俺の首筋へ。



「――やっぱり、私は嫌です」



 シャーロット先生の更に背中から、何かが飛びつく。

 俺の身体が拘束から投げ出され、何かの手に背中を押される。


「ファイか……?」


 押されながら、俺は後ろを振り向く。

 そこに居たのは、ファイだった。


「貴方に死んで欲しくないと、私が言っていました」


 そう言って、ファイは笑う。

 あぁ、違う。駄目だ。それは俺も同じ。


「何故だ、何故こんな事が起こる。

 支配の術式を無視して、クォーターが勝手に動くなど……

 ファイ……? まさか命名の力は、契約外の存在にも有効なのか……?」


 魔法陣の外まで、俺は足を踏み出す。

 けれど、本能的に俺は手を伸ばす。


「お前達も早く出ろ!」


 眩い光が強まっていく。


「放せ、ヴァイス!」


「させぬ!」


 奥では、ヴァイスがヴァンの足に絡みつくのが見えた。


「駄目です。

 私には、これが限界なんです」


 そう言って、ファイは悲しそうに笑みを浮かべた。


「神谷君、あの子をよろしくね」


 シャーロット先生は、一筋の涙を流して俺にそう言う。


 何だよそれ。

 自分たちは自己犠牲全開で。

 それで、俺を助けるって。

 自分の命が一番大事だろうがよ。

 なんで、俺なんかの為に、自分を捨てようとしてんだよ。



「シャルロット、貴様だけでも外へ!」



 ヴァンは、シャルロットの身体を魔法陣の外へ放り投げた。


 あぁ、そうだよなヴァン。


 何があっても。

 何としてでも。


 まだ終わっていないなら、諦める理由なんかねぇ。


「ふざけんな! 生贄なんかにさせてたまるか!

 先生! ファイ! 勝手に置かれた状況に絶望してねぇで、さっさと俺の手を掴めよ!」


 怒気を孕ませて俺はそう叫んだ。

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