第13話「やっぱり、好き」

 大学生の冬休みは長い。

 1月を終える頃には既にすべての授業は終了していて、2月と3月は完全に休みだ。

 その間は特にすることもないので、バイトをしながら執筆を続けている。


 今日はアルバイトの日だ。

 倉田のアルバイト先は天王寺駅周辺にある書店だ。

 岡もここで働いているが、今日はシフトが被っていないので休みだ。


「随分と楽しそうですね。何かあったんですか?」


 カウンターの隣で、後輩である平野恵に声をかけられた。

 ウルフカットの彼女は無感情でジトーっとした目を倉田に向ける。


「そうかな」

「はい、そうです。一人の時、ずっとニヤニヤしてて気持ち悪かったです」

「ああ……ごめん」


 気持ち悪い、と言われてグサリと心に突き刺さった。

 いくらバイト先の後輩とはいえ、女性から「気持ち悪い」と言われるとやはりショックだ。

 もし相手がハルだったとしたら、一体どのくらいのダメージを負っていただろう。


「俺、そんなに気持ち悪かった?」

「はい。まあ、表情だけだったのでまだマシでしたけど」

「そっか、そっかぁ……」


 ガックリと倉田は頭を垂らす。

 自覚はない。

 けれど彼女の言葉が本当だとしたら、次からは気を付けなければならない。


「それで、何があったんです?」

「え?」

「だから、倉田さんがニヤニヤしてしまうくらい嬉しいこと、あったんでしょう? まさか、彼女でもできました?」

「ち、違う! あの人はその……彼女とかじゃないから」


 あ、とつい口走ってしまった。

 ほう、と平野は顔色を変えずに興味津々で倉田の話を聞こうとする。

 しかしレジ前に一人の高齢女性がやってきたので、平野はレジ対応を行った。


 そこからは彼女と会話する時間はなかったため、また仕事に集中することができた。

 彼女が見ているということは、ひょっとしたらお客様も自分のだらしない顔を見ているかもしれない。

 ちゃんと集中しないと。


 パチン、と倉田は両頬を叩く。

 そこから業務を終える時間まではあっという間だった。


「お疲れさまでした」


 倉田は退勤を切り、スタッフ用の控室へと向かった。

 平野も一緒だ。


「で、お相手はどういう方で?」

「わ、びっくりした……いるならいるって言ってよ」

「ずっと一緒にいましたけど? シフトも一緒ですし」

「ああ、そうか……ごめん、気づかなかった」

「よほど集中していたそうですね。そんなにその人のことがお熱なんですか?」


 淡々と彼女はエプロンを外す。

 ここの書店の制服は基本的に私服の上にエプロンなので、更衣室という概念は存在しない。


 倉田はロッカーの中の荷物を取り出しながら、顔を赤く染めた。

 岡に話したときは喜々として伝えられたのに、逆に尋ねられると恥ずかしくなるのはなぜだろう。


「お熱……なのかな。どうなんだろう。俺にもよくわかんない」

「煮え切らないですね。好きなのか、そうでないのか、ハッキリしないと嫌われますよ」

「うげ、手痛いな……」


 誤魔化すように倉田は笑った。

 そんな彼を平野は呆れた様子で眺める。


「まあ、いずれにせよニヤニヤするのは控えていただきたいです」

「はい、ごめんなさい……」


 それでは、お先に失礼します、と平野は控室から出ていった。

 誰もいなくなった部屋で、倉田は頭を部屋の中央にあるテーブルに打ち付けた。

 少々勢い余ってしまったためにおでこが痛い。


 好きなのか、そうでないのか。

 ちゃんと考えるのはこれが初めてだ。

 いや、本当はその答えを出すのが怖くて逃げていたのかもしれない。

 もし自分の気持ちを認めてしまうと、この後が怖くなるから。


「……帰ろ」


 エプロンを解き、倉田も控室を出た。

 まだ夕方の6時だが、既に外は真っ暗になっていた。

 彼女は……ハルはもう仕事を終えただろうか。


 確か天王寺駅周辺が勤務地だと聞いた。

 だとすると、今のバイト先でひょっとしたら会えるかもしれない。

 彼女は本が好きだから、その可能性は高い。

 しかし今日は会えなかった。

 たまたま会えなかっただけかもしれないけれど、それだけでも少し辛い。


 電車に乗り、自宅へと戻る。

 ここから下宿先までは大体30分程度で着く。

 今住んでいる場所周辺ではなく天王寺にバイト先を選んだのも、この通勤時間で本や漫画、アニメを消費できること、そして定期券を作ることで容易に天王寺まで遊びに行けるようになるからだ。

 しかし今日に限っては倉田はいつものように本を開かず、ぼーっと向かいの窓の外を眺めていた。


 ──ハッキリしないと嫌われますよ。


 平野に言われた言葉を思い出す。

 実はもうハッキリと答えは出ているのだ。

 ただ、それを認めるのが怖いだけで。


「俺、やっぱりハルさんのこと、好きなんだな」


 バッグに顔をうずめ、ギューッとバッグを抱きしめる。


 自覚したのは昨日今日のことではない。

 夜行バスでハルと初めて会った時から、胸の高鳴りが止まらなかった。

 それは彼女と別れてからもずっと続いている。

 次の新刊の表紙を依頼したのだって、もちろん彼女の絵柄に惚れ込んだのもあるけれど、彼女との関わりをもっと増やしたかったからでもある。


 日を重ねるごとに、彼女のことを考えることが増えていった。

 今、何しているだろう。

 好きなことは何だろう。

 休みの日は何しているだろう。

 創作に関することから、くだらないことまで、全部知りたい。

 知って、もっと仲良くなりたい。

 そう思ってしまうのは、やはりエゴだろうか。


 電車内の30分、頭の中はずっとハルのことだけだった。

 自分でもここまで恋愛煩悩だったことに驚きを隠せない。

 もしこれを岡に相談しようものなら、「惚気るなら他所でやれ」と呆れられてしまうだろう。


「……早く会いたいな」


 次に会えるのは4月。

 まだ2ヵ月先とも捉えられるし、たった2ヵ月で会えるとも捉えられる。

 しかし彼女と出会って既に1ヵ月近くが経過した今、その一月というのはあまりのも長く感じた。

 普段なら1ヵ月なんてあっという間の感じてしまうのに。


 最寄り駅を告げるアナウンスが鳴り、倉田は電車を降りた。

 駐輪所で止めていた原付を走らせ、自宅に戻る。

 夜風が冷たい。

 だけどその風が火照った倉田の頬を冷ますには丁度良かった。

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