第3話「偶然」

 これは一体どういうことだ? と倉田は一瞬だけ足を止めたが、すぐに状況を理解した。

 なるほど、たまたま同じ方向に用事があっただけなのか。


 よく見ると他の人もみんな大崎駅の方に向かっている。

 大崎駅から山手線に乗って、新宿だったり池袋だったり、東京に向かうのだろう。


 駅の改札を通り、倉田はりんかい線の案内板を確認した。

 倉田の隣にいた彼女もまたりんかい線に向かっている。

 こういう偶然もあるのか、と倉田はとりあえず彼女についていくことにした。


 彼女はキャリーバッグを抱えていた。

 どこか泊りがけで旅行でもするのだろうか。

 他人のプライベートに足を突っ込むつもりはないが、ほんの少しだけ気になった。


 電車が到着する。

 目的地の新木場方面だ。

 さすが東京、既に多くの人でいっぱいだったが、気にせず倉田は満員に近い電車の中に乗り込む。


 あの人も同じ電車に乗っていた。

 まさか、この後の目的地まで一緒……ということはさすがにないだろう。

 いや、ひょっとしたら……そんな一抹の希望が倉田の心に宿る。

 ただの考えすぎかもしれないけれど。


 普段乗らない路線というのは、それだけでも新鮮味があった。

 窓の外を眺め、外の景色を眺める。

 普段住んでいるような田舎町とはかけ離れた都会は、彼の冒険心をくすぐるのには十分すぎた。


「ここが、東京……」


 オフィスがいくつも立ち並んでいる。

 広い道路が通っている。

 高速道路が蜘蛛の巣のように張り巡っている。

 梅田も似たようなものだけれど、そことはまた違うお洒落な都会らしさをなんとなく感じ取っていた。

 どう違うのか、と問われたら少し返答に困ってしまうけれど、でも確実に大阪とは違う何かが東京にはあるのだ。


 電車に揺られること約15分。

 目的地である東京国際展示場の最寄り駅である国際展示場駅を降りる。

 出口まで行列ができていた。

 しかし予想よりも人はいない。

 コミケのニュースではもっと多くの人が改札からどっとあふれ出ていたけれど、それよりは幾分か少なかった。


 そういえば、あの人はどこだろう。

 行列に飲み込まれながら、きょろきょろと彼女を探す。

 しかしどこにも見つからない。

 やはり路線が同じだっただけで別の駅に行ってしまったのだろうか。

 まあ、現実なんてそんなものだろう。


 改札を出てすぐのところにコンビニがあった。

 ここで朝食を買おう、と倉田は人の波から抜け出し、コンビニに入る。

 店内もそれなりに混んでいて、いつも利用しているコンビニと規模はそこまで変わらないはずなのにとても狭く感じた。


「……お、デニッシュがある。結局こいつが一番美味いんだよな」


 そう言って手に取ったのは、ホイップクリームとカスタードクリームが注入されたデニッシュだった。

 この商品を見かけたら迷わずに即買いしてしまうくらいには好きなパンだ。

 そのパンと水を手に取り、レジに並んだ。


「あ」


 倉田の隣に彼女が立っていた。

 見間違いなどではない。

 顔、背格好、そして服装。

 何から何まで全て記憶の中にある彼女そのものだから。


 彼女の方は気づいていない様子だった。

 クラフトコーヒーを購入し、颯爽と店を後にする。

 倉田も会計を済ませ、彼女の後を追った。


 声をかけようか。

 いや、気持ち悪がられてしまうだろう。

 それにどうやって声をかけたらいいんだ。

 今まで人付き合いをあまりしてこなかった彼にとって、見ず知らずの人に声をかけるということはあまりにもハードルが高すぎた。


 どぎまぎして、彼女の後ろをついていくことしかできなかった。

 これではまるでストーカーだ。

 とぼ、とぼ、と歩くスピードが遅くなる。


 と、その時。


「あの、もしかしてサークル参加の方ですか?」


 綺麗な声だった。

 その声に倉田は聞き覚えがある。


 顔を上げると、彼女が目の前に立っていた。

 近くで見れば見るほどやはり美人だ。

 突然の出来事に倉田は委縮して肩が上がる。


「あ、あの、えっと……」

「あれ、違いました? すみません」

「いえ! ちがわ、ない、です……」


 風船がしぼんでいくみたいに、倉田の声も小さくなっていく。

 こんなに綺麗な人に話しかけられると、緊張しない方がおかしい。

 しかしこれはせっかくのチャンスだ。

 こんな機会、滅多に訪れないだろう。


 彼女は、ニコッと微笑む。

 その笑顔が倉田には眩しすぎた。


「よかったです。まだサークル参加の時間まであるのでご飯でもどうかなと思ったんですけど」

「ご飯、ですか?」

「はい。すぐ近くにマクドナルドがあるんですけど……もしかしてご迷惑でした?」

「いや、全然全然! そんなことないです」


 ブンブンと、倉田は首を縦に振る。

 彼女が美人局であるという可能性は微塵も疑っていなかった。

 むしろ、こんな綺麗で優しそうな人が美人局であるはずがないという確証のないバイアスさえかかっていた。

 たとえ罠だとしても、こんな夢のような時間を過ごせるのなら構わない。


 行きましょう、と彼女が歩き出した。

 それに置いて行かれないように、倉田も彼女の後ろを歩く。


 歩くこと5分弱、2人は店舗の中へと入った。

 早朝だが、やはり即売会であるためか多くの人がここを利用している。

 イートインスペースもほぼいっぱいで、座れるかどうか怪しい。


「人、多いですね。どうします? ここで食べますか? それともテイクアウトにしますか?」

「僕はどっちでも大丈夫ですけど……」

「いえ、私が誘ったんですから、私の意見よりもあなたの意見を尊重します」


 そんなことを言われたら断るわけにもいかなくなる。

 彼女と一緒なら、どこでもよかった。

 座れそうな場所もあったし、テイクアウトにしても問題はないけれど、寒空の中会場入りまで何時間も待たなければならないと考えると少々堪えるところがある。


「……イートインにします」

「わかりました。じゃあ、メニューを考えておきましょう」


 彼女はスマホのアプリを開き、メニューを倉田に見せた。

 この時間は朝マックになるようで、あまり馴染みのないメニューばかりが並んでいる。

 が、待たせるのも悪いのでベーコンエッグマフィンサンドセットを選んだ。

 対する彼女はホットケーキを注文し、モバイルオーダーというこれまた初めて見る機能を使って注文していた。

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