第4話「待ち焦がれた場所」
注文してから5分もしないうちに品物が出来上がった。
「奢りますよ」
「そういうわけにもいきません。せめて、僕が頼んだ分は僕が出します」
その後どちらが払うか少し揉めたが、結局割り勘という形で収まった。
あまり腑に落ちないが、これ以上揉めても仕方がない。
イートインのとあるスペースで、2人は向かい合って座る。
「そういえば自己紹介がまだでしたね」
と、彼女はホットケーキを口にしようとして、はにかんだ。
少し子供っぽい仕草だったけれど、それがたまらなく可愛い。
「えっと……ペンネームの方がいいですよね。私、ハル、という名前で漫画を描いてます。今日のスペースはG-07で──」
「G-07?」
「そうですけど、どうされました?」
きょとんとした目でハルは倉田を見つめる。
彼はスマホを開き、メールに届いたサークル通知の案内を確認する。
「僕……G-08です」
「本当ですか?」
「はい。隣通しのサークルなんて……こんな偶然、あるんですね」
まだ現状を受け止めることができない。
たまたま相席した美女が、今日参加する即売会の隣のサークル主なんて。
それにハル、という名前もどこかで──。
「あ」
今度はSNSのアプリを開いた。
いろんなアカウントのイラストをたくさんブックマークしていたから、探すのにほんの少しだけ苦労したけれど、何とか見つかった。
線のタッチが繊細で、儚げのある絵。
そしてついつい引き込まれてしまう世界観。
数ヵ月前に発見してから、秘かに追っていた二次創作である。
「もしかして、ハルさん?」
「はい、そうですけど……?」
「本当ですか? えっと、その、初めてこの漫画見た時、なんかすごい心に来るものがあって、あの、とても解像度高くて、すごいなって……」
自分の語彙力のなさが情けなくなる。
本当はもっと言いたいことがあるのに。
ここの言い回しが好き、ここのヒロインの表情が好き、このコマの使い方が好き……いろいろあるけれど、いざ実際に口にしようと思うと頭が真っ白になってしまう。
彼女はあたふたと言葉を紡ごうとする倉田を見て、フフ、と小さく笑った。
「嬉しいです。そんな風に直接言ってもらえるのは初めてですので」
「そ、そうですか……それは、よかった……」
顔を赤くしながら、倉田はマフィンを食する。
朝マックだからか、油の感じが少なく、さっぱりとした味わいだった。
早朝に食べるには丁度いい食感だ。
「あの、僕、ソースケっていう名前で活動してます……」
「知ってます」
「そ、そうですか。恐縮です……」
またしても倉田は縮こまってしまう。
自分が認知されていることがとても嬉しかった。
だって、相手は自分が尊敬する絵描きで、憧れで、目標だから。
まさかそんな人と一緒に食事をするとは思わなかったけれど。
そこから2人は今から参加する即売会の元作品について語り合った。
この作品は内気な女子高生が、一人の男子と出会い、互いに惹かれ合う、という青春ラブストーリーだ。
元々はアニメからこの作品を知ったのだが、その映像美と、視聴当時高校生だった倉田と重なる部分があり、今となっては「自分を構成する作品」として挙げられるくらいには好きな作品だ。
そしてハルがメインで描くのは、主人公の部活の後輩と、その先輩、というカップリングだ。
こちらも中々人気のあるカップリングで、先輩に対しては少し生意気だけど実は作中で誰よりも乙女なヒロインをしている、という後輩と、そんな後輩をいつも軽くあしらっているけれど内心ドキドキして仕方がない、という純情な先輩というキャラクター性がたまらないらしい。
「ふふ、って微笑ましくなる中で、どこかきゅーって胸が締め付けられるものがあって、読む人の心を掴んで離さない感じが、私好きなんですよね」
「それ、僕もです。すごく甘酸っぱくて、でもどこか儚く切なくて。僕、恋愛なんてしたことないですけど、なんか2人の気持ちにすごく共感できるっていうか。すごく感情移入できるっていうか」
「ですよね。すごいなー。私もこんな恋愛をしてみたい」
「僕もです。できるものならですけど」
今まで生きてきて恋人の一人もできたことのない倉田にとって、恋愛をするということはとてもハードルが高いことだ。
望むなら今目の前にいる彼女としたいものだが、そんなことを初対面でいきなり口に出そうものなら嫌われること間違いない。
それに「好き」という感情なんて、実際に経験したことがないからよくわからない。
創作からはたくさん学んだけれど、きっと読んだものよりも強い感情があるのだろう。
食事を終えた2人はその後もその作品についていろいろ語り合う。
しかし時間制限というのは存在していないにしろ、今日みたいに混んでいると店員がやってきて退去を求められることもあるそうだ。
30分ほどの滞在だったけれど、とても有意義な時間だった。
できることならもう少し時間を潰していたかったけれど、そうも言っていられない。
「さて、そろそろ行きましょうか。続きは開場の待ち時間で」
「そうですね。これ以上長居すると待っている人たちに申し訳ないし」
2人は店を出て、目的の場所へと向かった。
この幸せな時間は、さっきで終わりじゃない。
即売会の隣同士のサークルと分かったのだから、夢のような時間はまだ続く。
だんだんと、国際展示場のシンボルである逆三角形が見えてきた。
東京ビッグサイト、とも呼ばれるここは、8月と12月に行われるコミックマーケットの会場でもある。
「でっか……」
見上げて、倉田は呟いた。
想像していた以上に建物は大きくて、感動すら覚える。
ここが、待ち焦がれていた場所……!
「感無量です。ここに来ることが、やりたいことの一つでしたから」
「そうなんですね。それは、よかったです」
入口の手前で2人は並んだ。
まだ朝早いためそこまでサークル参加の人は少ない。
しかしここに来る途中で見かけた一般参加の数はそれなりにいた。
ざっと見ただけでも数十人はいただろう。
それくらい、全国から同じ目的の人が集まっているということだ。
そう思うだけで、ワクワクしてきた。
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