第71話「当たり前」
動物園を出た倉田たちは、近くの公園に立ち寄る。
てんしば、と呼ばれているここは、芝生広場が広がっているだけでなく、カフェ、コンビニなどが備わっている他、フットサルのコートも設備されている。
カフェの中は木調の家具が並べられており、心が落ち着く。
「ここ、こんな場所だったんですね」
「私も初めて来ましたけど、いいお店ですね。静かですし、すごくリラックスできます」
窓の外を眺めると、小さな男の子が楽しそうに芝生の上を駆け回っている。
その様子を見て、晴海は微笑ましそうにコーヒーを一口飲んだ。
「私も、あんな風に家族と一緒に、走り回った記憶があります。もう随分と小さい頃の話ですけど」
「子供の頃のハルさんって、どんな感じだったんですか?」
「普通の子でしたよ。本当に特徴的なものなんてない、普通の子供でした」
懐かしむように彼女は語る。
平凡な家庭に生まれ、平凡に育つ。
勉強はそこそこ出来て、運動もそれなりに出来た。
高校も平均より少し上のランクの学校で、特に何か秀でた成績を修めたわけでもなく、普通に卒業。
その後は大阪の専門学校に進学し、漫画を始め、絵やイラストの勉強をするも、その道に進むことはなく一般企業に就職。
そして現在に至る。
今までの経歴を、晴海は淡々と語った。
なんだか自分の経歴と似ていた。
普通に生まれて普通に育つ。
劇的な何かがあったわけでもなく、のうのうと今まで生きてきた。
多分、この国に生きている人たちはそういう人が多い。
「でも、こうして生きているのも、実は裏で頑張っている人たちがいて、みんなが幸せに暮らせるのも、そうなるように努力している人たちがいて。私たちの当たり前って、実は当たり前ではないんだなって、最近思うようになったんです」
それは、家族を失ったからだろうか。
ずっと側にいると思っていた家族がいなくなった。
その喪失感は想像に難くない。
震災の時だってみんな無事だった。
だから、この先も大丈夫。
そんな根拠のない自信が彼女の中にひょっとしたらあったのかもしれない。
「僕も、祖母が死んだ時にそう思ったんです。側にいてくれるのって、当たり前じゃないんだって。いつかその人たちとも別れが来るから、ちゃんと大切にしようって、思ったんです。と言っても、最近はあんまり家族のところに帰ってないですけど」
「なら、今年のお盆に帰ってあげてください。お盆じゃなくても、何でもない休みの日、1日だけ顔を見せるのもいいと思いますよ」
「そうですね。そろそろ春休みですし、そうします」
去年の春休みはずっと下宿先で小説に明け暮れていたか、バイトをしていた。
アルバイトがあるから長く戻ることは出来ないけれど、1日、2日くらいなら実家に戻ることは出来るだろう。
それまでに、4月の即売会のための原稿は完成させておきたい。
お待たせしました、と注文していたパンケーキが届く。
美味しそうに食べる晴海を写真に収めたくなる。
そんなことをしてしまえばきっと一生彼女に恨まれそうだからしないけれど。
今、当たり前のように晴海といる。
だけどそれは、彼女の言う通り当たり前ではないのだろう。
こうして幸せな時間を一緒に過ごせるのは、実は奇跡なのだと、今はそう実感している。
だからこそこれからの彼女との日々を大切にしたいし、その上で彼女がいる毎日を当たり前のものにしたい。
「何かあったら、すぐに呼んでください。僕じゃ頼りないかもしれないけれど、いつでも駆け付けますので」
「それじゃあ、私がこの先困ったことがあったら、すぐに助けに来てください」
「わかりました。約束します」
ふふふ、とお互い笑い合って、パンケーキを頬張った。
メイプルシロップが甘くて美味しい。
これは、バイト終わりに少し立ち寄ってみるのもアリかもしれない。
一息ついた2人は、外に出ててんしばの中を散策する。
冬の風が気持ちいい。
身体の中を全て洗い流してくれているようだ。
「ソースケさん、今度の即売会、行くでしょう?」
「はい、もちろんです」
「私も、サークル参加してるんです。お互い頑張りましょうね」
ニコッと彼女が笑った。
2人が言っている即売会は、1月に東京で開かれる。
丁度1年前、倉田が晴海と初めて会ったあの日だ。
そして、彼女が「二次創作を辞める」と言ったあの日。
1年ぶりに彼女が二次創作をするとわかり、気分が高まる。
「そういえば、今回は私に表紙を依頼しませんでしたけど、大丈夫なんですか?」
「はい。ヤスに頼んでるので、問題はないです」
「そうですか。私はお払い箱ですか」
ムスーっと晴海は膨れっ面を浮かべる。
そんな反応をするとは思っていなかったので、動揺してしまう。
「そ、そんなわけないじゃないですか! ただ、ハルさんが大変そうだったから、あまり負担をかけたくないなって思って、遠慮しただけで……」
「それでも一言くらい声をかけても良かったんじゃないですか?」
「それは……すみません」
やってしまった、と倉田はシュンと肩をすぼめた。
そんな様子をにんまりとした様子で眺めていた晴海は、耐えきれなくなって遂に吹き出してしまった。
「あっははははは、冗談ですよ、もう。私のこと気づかってくれたの、ちゃんとわかってますから」
「いや、冗談キツイですって」
ホッと胸を撫で下ろした倉田は、脱力感で芝生の上に寝転がった。
空が青い。
彼女の心のように綺麗に澄み渡っていた。
「また、ハルさんの作品が見れるの楽しみです」
「期待しててください。まだ何も出来上がってませんけど……」
「なら、今から超頑張らなきゃですね」
「はい。超頑張らなきゃです」
その後2人は芝生の中を周回し、程よく時間が経ったところで別れた。
夕食も一緒にしようかと思ったけれど、仙台から帰ってきたばかりだからさすがに体力的に疲れていることだろう。
あまり無茶はさせられない。
帰りの電車で1人、倉田は今日のことを思い起こす。
いろんな彼女を見れた。
泣いている彼女、笑っている彼女。
その全てが愛おしくて、だからこそ幸せにしたいと思った。
クリスマスは失敗に終わってしまったけれど、次こそは……!
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