第2章「騒がしい女」

第11話「商業という選択」

 翌日、大学に訪れた倉田は、その時の出来事を友人である岡元泰おかもとやすに話す。

 高校の頃からの付き合いで、今回の小説の表紙も彼が描いてくれたものだ。


 学食のてりやき定食を食べながら、岡は呆れた目を倉田に向けた。


「高望みしたらあかんで。多分やけど相手にされてへん」

「た、高望みってなんだよ! 別に、あの人とはイベントで知り合っただけで、それ以上でもそれ以下でもないっていうか、そもそも知り合ったばっかだし、俺があの人と釣り合うとか、全然思ってないから……」

「俺まだなんも言ってへんねんけど」


 岡は箸を持つ手を停めなかった。

 倉田の話など耳に入れるだけ無駄だと判断し、パクパクと食事を進める。

 色恋沙汰は他所でやってくれ、巻き込むな。

 そう告げるように睨んだが、肝心の本人は全く気付いていない。


「で、これからその人とどうなりたいん?」

「どうって……仲良くなりたいって思ってるけど」

「アバウトだな」

「仕方ないだろ。何にも考えてないんだから」


 ふうん、とどうでもよさそうに岡は返事をする。

 恋愛沙汰なら他所でやってくれ、というのを抑えるように、てりやきを咀嚼する。


「次、イベントいつ出るん?」

「4月」

「その時に『小説の表紙描いてください』ってお願いしたらええやん」

「それだ! サンキュー、ヤス」

「浮気者」


 一気に声色が明るくなる倉田の様子を見て、岡は少し引いてしまった。

 ここまで恋愛煩悩だったか? と首をかしげたくなるが、そもそも彼の好きなジャンルが恋愛モノであるため、必然と言ってしまえばそうなのかもしれない。

 それにしても適当に言ったことを真に受けるあたり、彼が患った恋の病は意外と重症なのかもしれない。


 そうとは知らず、次の一手を得ることができた倉田は目を輝かせたままコップ一杯の水を飲み干す。

 いつもよりも水が上手い。

 そういえば自分もかつ丼を頼んでいたんだった。

 冷める前に早く食べておかなければ。


 先に食事を済ませた岡は、スマホを開いてハルのSNSを覗く。

 フォローしている人間ではなかったが、たまにイラストが流れてくることがあった。

 ああ、この人か、とどこか納得しながら岡は彼女のメディア欄を見る。

 ほとんどイラストばかりだ。

 それ以外の情報がない。

 面白味などないが、逆にこういう人は好感を抱きやすい。

 あくまで岡の中での判断基準ではあるが。


「しっかし、ホンマ上手いなあこの人の絵。二次創作辞めるん勿体ないで」

「次はオリジナルにチャレンジするんだってよ」

「ほーん、なら商業デビューも視野に入れとるわけや」


 商業、という言葉を聞いて、倉田は箸を止めた。

 いい響きだ。

 しかし、簡単な道ではないことくらい倉田にもわかっていた。

 それでも彼女は、そんないばらの道に突き進もうとしている。

 すごい人だ。


「俺も、商業デビューしてぇよぉ」

「なれたらええよな、応援しとるで」

「お前は、プロにはならないの?」

「まだ考え中。でも、俺は趣味で描く方が一番いいかな」


 ふうん、と倉田は相槌を打ちながら、かつ丼を胃袋に流し込んだ。

 イラストというジャンルなら、岡はもう既にプロの領域に入っていると言っても過言ではない。

 しかし彼の描くジャンルは基本的にモノトーンなものが多く、ゆえに人を選ぶ作風となっている。

 が、実力は本物で、SNSでイラストを投稿した際は多くの賞賛コメントが寄せられる。


 元々岡はプロになりたかったわけではないらしい。

 絵を描くのも自分がやりたいだけで、それで生計を立てたいとはあまり思っていないようだ。

 以前その話を聞いたとき、もったいないとほんの少しだけ倉田は憤慨した。

 才能はちゃんと利用するべきだ。

 でなければ、才能のない人間が惨めになってしまう。


 また嫌なことを考えてしまった。

 倉田は頭を垂らし、重たい溜息を漏らす。


「何?」

「才能あるやつが羨ましい」

「努力すりゃええんとちゃう?」

「それで賞が取れたら苦労しねえよ」


 自分でも甘い考えだというのは百も承知だ。

 しかし愚痴りたくなってしまう。

 持たざる者の気持ちなど、持つ者にはわからないのだろう、と。


 呆れた、と言わんばかりに岡も息をついた。


「このままの空気面倒くさいから、話変えるで。お前が夜行バスで出会った人の話やけど」

「それ、変える必要ある?」

「ある。お前からかった方がおもろいもん」


 その割には口調はつまらなさそうだった。

 むしろ軽蔑さえしているだろう。


 急にハルの話を再び振られたので、倉田は顔を真っ赤にしてしまった。

 やはり弄りがいがある。

 そんなことを想いながら、岡は質問を続けた。


「お前さ、商業やりたいってうたやん」

「ああ」

「で、お前が言うてたその人も商業志望」

「みたいだな」

「そしたら、お前とその人が手ぇ組んで、コミカライズ作れば良くない?」

「お前は天才か」


 またしても倉田の表情が明るくなる。

 一喜一憂が忙しい奴だ。


「そうだよ! 一緒にやりゃいんだよ。たとえコミカライズが無理でも、表紙描いてもらうとか……ヤス、ありがとな! やっぱ持つべきものは友達だわ」

「お前はただアドバイスが欲しかっただけやろ、現金な奴」

「うるせえ」


 呆れてまた岡はため息を漏らす。

 柱にかかってある時計を見ると、午後1時15分を指していた。


「俺、もうすぐ授業だから行くわ。まあせいぜい後悔のないように頑張れよ」

「おう、ありがとな」


 岡は空になった皿を乗せたお盆を返却口に戻し、食堂を出た。

 倉田もかつ丼を食べ終えたので、同じ返却口に戻して食堂を出る。

 今日はもう授業がないからとっとと帰ろう。

 下宿先までは歩いて5分もないところにあるから、こういう時に家から近いととても便利だ。


 帰ったら、まずは4月に向けた小説を書こう。

 そして余裕があればオリジナルの小説も書こう。

 アイデアはいっぱいある。

 やりたいことがどんどん湧いてきた。


「さ、やるぞ」


 家に帰るまでの足取りはとても軽かった。

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