第12話「依頼」
その日の夜、倉田はハルにDMを送った。
こういうのはなるべく早い方がいい。
本当は帰宅してすぐがよかったのだけれど、きっと仕事中だから邪魔だろう。
だからおそらく仕事を終えた後であろう夜の8時頃にメッセージを飛ばすことにした。
『こんばんは、ソースケです。
先日はありがとうございました。
さて、4月の即売会なのですが、もしよろしければ僕の小説本の表紙を描いて頂けないでしょうか?
もちろんお金は支払います。
ご検討のほど、何卒よろしくお願いします』
送信した後に、緊張の汗がどっと噴き出る。
社会人経験なんて全くないから、傍から見たらこの文章は失礼なのではないだろうか。
もしこれで気を悪くされてしまったら……。
不安で仕方がない。
そもそも彼女が依頼を受け付けているかどうかすら怪しい。
SNSのプロフィールには「依頼は受け付けていません」とは書かれていない。
しかし同時に「依頼はこちらから」という案内もない。
過去誰かのリクエストに応じた形跡もないし、ますます不安になってくる。
「大丈夫、だよな……」
PCの前で冷や汗をかきながら、倉田は彼女からの返事を待った。
心臓がバクバクしていてうるさい。
返事はすぐに届いた。
『ハルです。
この前は楽しかったです。
依頼、でしょうか?
申し訳ありません、人に頼まれて絵を描くことに慣れていなくて、こういう時どのくらいの金額で引き受ければいいのかわからなくて……恐れ入りますがこの件はお断りさせていただきます。
本当にごめんなさい』
まさかの返事だった。
ショックで、ガックリと倉田は肩を落とす。
しかし、そんなことでへこたれてはいけない。
まずは彼女と並び立つ。
それが当面の目標だ。
既に満身創痍だが、再びPCと向き合い、文字を打つ。
まだ諦めてたまるか。
『そこをなんとか、お願いできませんか?
いくらでも支払います』
そう送ると、今度は先ほどの返信よりも早く彼女からの言葉が届いた。
『いくらでも支払う。
あまりそういうことを軽々しく言わない方がいいと思います。
私は単純に好きで絵を描いているだけです。
お金が欲しいわけじゃないんです。
そのことを念頭に入れておいてください。
断った立場ですごく厚かましいとはお思いでしょうが、気になったもので』
グサリと倉田の胸に言葉の刃が刺さった。
今のは自分でも明確に「よくない」とわかる。
必死すぎだ。
そして何も見えなくなってしまっている。
そのせいで、せっかく築き上げた信頼感も瓦解かねない状況になってしまった。
焦るな、俺。
深呼吸をし、再びPCの画面に向き合った。
少しだけ冷静になれた気がする。
『申し訳ないです。少し焦っていました』
『私もちょっと言いすぎたかもしれないです。ごめんなさい』
『いえ、発端はこちらにあるので』
文字を書きながら、倉田は自己嫌悪を覚えた。
相手を不快にさせる文章を書いてどうする。
これじゃ物書きの風上にも置けない。
いや、社会に出た時に恥をかいてしまう。
恥だけならまだしも、相手の顔に泥を塗る可能性だってある。
改めて思う、人間関係は難しい。
『本当に、描いてくれないんでしょうか』
『そうですね……こんな連絡を頂いたのが初めてで、正直戸惑っています。
本当に、私なんかでいいんでしょうか』
『ハルさんだから、いいんです』
自分の想いを率直に伝えてみた。
今度は大丈夫だろうか。
先ほどそれが原因で失敗したばかりだというのに。
今度の待ち時間は長かった。
5分、いや10分経っても返事が来ない。
やはり怒らせてしまったのだろうか。
だとしたら本当に申し訳ないことをしてしまった。
短い青春だったな、と涙ぐみながらPCの画面を見つめていると、また彼女からのメッセージが届いた。
『こういう場合の相場がよくわからないんですけど……今度のソースケさんの売上金の1割で手を打ちましょう。それでいいですか?』
1割、と倉田は呟く。
確か前回の即売会は1冊500円での販売だ。
それで数冊しか売れていないのだから、数千円程度の儲けしかない。
その1割となると、彼女のところに還元されるのはたったの数百円程度だ。
倉田もこういう依頼をするのは初めてだから、相場がどのくらいかをちゃんと理解しているわけではない。
だがいくらなんでもこの値段があまりにも安すぎるというのはすぐにわかった。
まさか、試されているのだろうか?
利益をとるのか、人としての価値をとるのか。
『そんな、いくらなんでも安すぎます。
普通、数千から数万くらいは行くと思うんですけど』
『そうなんですね。
なら、当日に考えましょう。
引き受けさせてください。
よろしいでしょうか?』
まだ不安の残る回答だった。
それでも、彼女から表紙のOKをもらえたことは大きい。
金額に対する申し訳なさよりも、表紙を描いてもらえることへの歓喜の方が大きかった。
『はい! よろしくお願いします!』
倉田は不安よりも激しくタイピングをする。
そのせいでいつもよりも削除キーを押すのが多かった。
椅子から飛び降り、ガッツポーズをする。
もしこれが本当にできたとしたら、実質共同作業なのではないだろうか?
いや、何を気持ち悪いことを考えているんだ。
倉田はブンブンと頭を振り、またPCへと向かった。
『詳細は後日送ります。
お忙しい中ありがとうございました』
『はい。
ソースケさんこそ頑張ってくださいね』
彼女の最後の言葉にハートマークを送り、会話を締める。
そして原稿作成のファイルを開き、ひたすら文章を打ち込み続けた。
今日はテンションが高いから筆が乗る。
いい日だ。
自然と倉田の口元は上向きに開いていた。
せっかくハルが表紙を描いてくれるんだ。
当然、彼女のイラスト目当てで買いに来る人だっているかもしれない。
いや、本当はそのくらいでは売れないかも?
そんな失礼な妄想をするのはよそう。
いずれにせよ、彼女の素晴らしいイラストに相応しいような、繊細でギューッと胸が締め付けられる、そんな作品に仕上げたい。
その一心で倉田はカタカタと文字を打ち込み続けた。
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