第10話「また、いつか」

 バスは途中でSAやPAをいくつか挟みながら、出発した大阪のバスターミナルまでやってきた。

 途中一瞬だが記憶がなかった時があるので、完全に眠れていないわけではないのだろうが、やはりガッツリ「寝た」という感覚がないので身体は前日の疲労感のままだ。

 そもそも出発したのが2日前という感覚すらない。


 けれど、見知った建物が立ち並んでいるのを見ると、なんだか心が落ち着く。

 たった数日しか離れていないのに、懐かしい気分だ。


「よろしければ、駅までご一緒しませんか?」

「え、あ、はい。いいですよ」


 彼女の申し出に、倉田は二つ返事で快諾した。

 もしかしたら駅から先も一緒なのではないか。

 実はご近所さんだったりしないだろうか。


 そんな淡い期待は、ことごとく砕け散った。

 彼女は梅田から地下鉄に乗って自宅に帰るらしい。

 倉田は環状線を使うので、ここでお別れだ。

 本当は地下鉄を使っても帰れないことはないけれど、環状線を使った方が実は安上がりなのだ。


 朝早いというのにJR大阪駅の御堂筋口は既に多くの人が改札を通っていた。

 あの改札を通ったら、もう彼女とは会えない。


 これで、本当に終わってしまう。

 楽しかった。

 全てがあっという間で、まだ夢を見ているのではないかと思ってしまうくらいに。


「昨日は……まだ昨日って感じじゃないですけど、ありがとうございました。本当に楽しかったです」

「僕もです。いろんな経験ができて、勉強になりました」


 やはり終わりの雰囲気が出ている。

 それもそうだろう。

 イベントが終わって、また赤の他人同士に戻るのだから。


 …………本当にそれでいいのか?


 まだ終わりたくなかった。

 せっかく創作という趣味を通じで知り合った仲間だ。

 ここで「サヨナラ」なんて、あまりにも薄情ではないだろうか。


「あ、あの」


 最初に会話した時より、声が出なかった。

 過去一番緊張している。

 だって、断られたらしばらくは立ち直れそうにないから。

 だとしても、次に繋げたい。


「もしよかったら、SNS、教えてもらえませんか?」

「はい。構いませんよ」


 快諾だった。

 本当は飛び跳ねてしまいたくなるくらい嬉しかった。

 けれどその気持ちをぐっとこらえて、倉田は自身の創作アカウントを見せる。


「これ、僕のアカウントです」

「ちょっと待っててくださいね」


 彼女もスマートフォンを取り出し、アカウントを見せる。

 見たことあるアイコンだった。

 そういえば彼女がハル本人だということを確認するのはこれが初めてだ。


「本当に、ハルさんだったんですね」

「そうですよ。まさか、今の今まで信じてなかったんですか?」

「いや、逆です。今まで当たり前にハルさんのことをハルさんだと信じちゃっていたから、そういえばまだその証拠を見てなかったなって」

「ホントだ。私も忘れてました」


 彼女は笑って、彼のアカウントを検索し、フォローする。

 同じタイミングで倉田のスマホがピコンと鳴った。

 ハルからフォローが来た証拠だ。

 既にハルのアカウントはフォローしているので、これで相互フォローだ。

 相互、という響きだけでなんだかワンランクアップしたような気分になる。


 向こうにとってはなんてことのないことかもしれないけれど、倉田にとっては世界が変わった瞬間でもあった。

 だから、ついこんなことを口走ってしまう。


「また、どこかで会いましょう!」


 人目もはばからず、倉田は叫んだ。

 周囲の人がチラリチラリと2人の方を見る。

 言った直後に倉田も気づいた。

 穴があったら入りたい。


 ハルは最初きょとんとしたけれど、すぐにまたいつもの優しい柔和な表情に戻り「はい」と返事をした。


「また会いましょう。多分、そう遠くないうちに」

「はい!」


 お疲れさまでした、と言って2人は別れる。

 倉田は改札を通り、駅のホームへと向かった。


 ホームでは既に大和路快速の電車が停車していた。

 これを逃すと次の電車まで少し待たなければならない。

 数分から十数分のラグとはいえ、なかなか大きなラグだ。

 少し急いで電車の中に入る。

 本当は駆け込み乗車は危険だからあまりしたくはないけれど、焦るとついやってしまうものだ。


 空いている座席に座り、何気なくスマホを弄る。

 眺めていたのは先ほど彼女と交換したSNSのアカウントだ。

 新しいフォロワーの欄に、彼女のアカウントが追加されている。

 その画面を眺めるだけで、倉田の口元はにやけてしまう。


 するとまたピコンと通知が届いた。

 彼女からのDMだ。


『ハルです

 昨日はありがとうございました

 おかげで楽しい時間を過ごすことができました

 ソースケさんも創作活動頑張ってください』


 短い文章だったけれど、文豪の長編小説を読んだ時くらい、心にじんと積もるものがあった。

 メッセージをくれただけでも嬉しいのに、こんなにあたたかい言葉をかけてくれるなんて。

 彼女は聖母マリアの生まれ変わりなのではないだろうか。


 はしゃぐくらい嬉しかった。

 けれど今は電車の中、こんなところで騒いでしまえばすぐさまネットに拡散され手一生恥晒しのレッテルを貼られることになってしまう。

 そうなればせっかく築き上げた彼女からの好感度も一気に崩れ去ってしまいかねない。

 すう、はあ、と呼吸を整えて、倉田も返信を考える。


『ソースケです。

 こちらこそありがとうございました。

 次、お会いできるのは4月の京都ですかね?

 それまで新作を頑張って作りたいと思いますので、応援よろしくお願いします』


 送信ボタンを押すとき、少しだけ指が震えていた。

 こんな文章を書いて、嫌われたりしないだろうか。

 いや、あの人のことだから、きっと寛大な心で許してくれる。

 そもそもこの文章に嫌われるような要素なんてどこにもない、はずだ。

 けれど……。


 考えれば考えるほど怖くなる。

 しかし迷っても仕方ないので、ポチっと送信ボタンを押した。


 返事はなかった。

 しかし、既読したことを伝えるハートマークはついた。

 ブロックもされている様子は今のところない。

 よかった、と倉田は息を吐き、肩の力を抜く。


 夜行バスで出会って、一緒に即売会に参加しただけなのに、既に彼女のことで一喜一憂してしまっている。

 これを、世間一般では「恋」というのだろうか。

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