第5話「即売会、開幕!」

 入場の時間になり、サークル参加の面々が続々と会場入りする。

 案の定というか、わかっていたことだが、ハルと倉田は同じ長机だ。

 本当に隣のスペースだったんだな、と倉田は改めて実感する。


 スペースの配置が決定した時から、興奮して仕方がなかった。

 だって、初めての即売会参加で、自分の尊敬する人が隣にいることなんて、早々起きないだろう。

 ましてや中の人が超絶に美人ならなおさら。


 周囲を見渡してみた。

 ある人はA3サイズののぼりを出しているし、ある人はお品書きをタブレットのスライドショーで映し出している。

 他にもポップやあらすじ紹介など、いろんな工夫がされている。

 対して、自分はどうだろうか。

 ただ本を並べて、値札を貼っただけ。


「どうされました?」

「いや、僕、ポップとかのぼりとか全然やってなくて。そもそもお品書きも用意してなくて。こんなので売れるのかなって正直不安で」

「ああ……私もそこまで凝った準備はしてないから、お互い様ですよ」

「いや、そうかもしれないけれど……」


 おそらく彼女は「大丈夫だよ」と言いたいのかもしれないけれど、そういうことではない。

 そもそも彼女はちゃんと事前に準備をした。

 イラストを投稿できるサイトでプレビュー版を公開し、ちゃんとイベントの告知も行っている。

 そして頒布する内容もちゃんと面白そうで、今すぐにでも買いたいくらいだ。


「売れる、売れない、だけじゃないですよ、即売会は」


 ハルは微笑を浮かべながら設営を進める。

 よいしょ、とキャリーバッグからおそらく今回頒布するであろう本を長机の上に並べていた。

 どの表紙もSNSで見たことあるものばかりだ。


「自分の『好き』が溢れている場所が即売会なんです。だから、売れなかったからと言って、悲しい気持ちにはならないでほしいなって、少し、思ったんです」

「自分の『好き』ですか……」


 そういえばそうだった。

 元々この即売会に参加したのだって、原作に出てきたこの2人が好きだから自分でも書いてみたいと強い衝動に駆られたのがきっかけだ。

 売れたいとか、認められたいとか、そんな欲求じゃなく、純粋な「書きたい」という願望として。


 あっという間に即売会開幕の時間になる。

 会場スタッフのアナウンスと共に、周囲から盛大な拍手が聞こえてきた。

 会場内はもちろんだが、外の方からも聞こえてくる。

 なんだか、みんなが一体になっている感じがしてとても好きだ。


 どっと人が会場に入ってくる。

 しかし倉田の目の前には誰も止まらず、壁際のサークルに早くも行列が出来上がっていた。

 確かあのサークルはネットでも大人気の絵師のサークルだ。

 フォロワーも10万人いて、人気なカップリングをいつも描いているから界隈での評価も高い。

 信じられないのが、これだけ人気と実力があるのに専門職に就かずに趣味として絵を描いている、というところだ。


「うわ、すごいな……」

「私たちが並ぶ頃にはもう売り切れてしまいそうですね」

「え、本当に?」

「はい。いつも完売しますよ。通販がありますから大丈夫ですけど」


 そっかあ、と悲鳴のような落胆の息を漏らす。

 今日の目当ての一つだったため、それが買えないとなるとショックだ。

 だからコミケの徹夜組が減らないわけだ、と倉田は納得してしまった。


 最初は全く人が来なかったけれど、徐々に倉田たちの前にも人が通りかかるようになる。

 おそらくあの壁サークルから帰ってくる人たちだろう。

 つまり本番はここから、ということだ。


「すみません、試し読みしてもいいですか?」

「はい、構いませんよ」


 ハルに一人の若い男性が話しかける。

 彼女はにこやかに答え、1冊のサンプルを手渡した。

 どんな内容なのだろうか、倉田自身も少し気になる。


 男はサンプルを返し、答えた。


「新刊ひとつください」

「わかりました。500円です」


 トレイに500円玉を置き、男は新刊を手に取って立ち去る。

 もうこれで1冊売れてしまった。

 自分のスペースには見向きもされなかったのに。


「もう、売れたんですね」

「そうですね。今回はいつもに増して早いペースです」


 彼女自身も少し驚いているようだったけれど、特に気にしていない様子だ。

 やっぱり大人だな、と倉田は彼女の横顔を見て思う。


 それからいろんな人が来た。

 大抵は素通りするか、見向きもしない。

 たまに「試し読みしてもいいですか?」と声をかけられるけれど、結局それだけで購入されることはなかった。

 対して隣のサークルは、飛ぶように、と言えるほどではないにせよ、5分に1冊は売れている。

 反対側も似たような感じで、なんだか倉田だけが別の世界に置き去りにされているような感じになった。


 才能ないのかな、俺。


 ふと独り言ちてみる。

 今回頒布するのは10冊。

 開場から既に1時間が経過したが、誰も買おうとはしない。

 サークル初参加の倉田にとって、現実というのはあまりにも厳しかった。


「大丈夫ですか?」


 ハルが声をかける。

 顔が近い。

 まつ毛が長く、目鼻立ちも整っている。

 ああ、瞳は黒じゃなくて茶色なのか、綺麗だ。


 ……なんて気持ち悪いことを考えているんじゃない。


「大丈夫です。少し考え事をしていて」

「そうですか?」

「はい。わかってはいたけど、やっぱり悔しいなって」


 ははは、と乾いた笑いが飛んだ。

 それを見たハルの口端も下がる。


「一度、休憩されてはどうですか?」

「休憩ですか?」

「はい。お買い物です。即売会ですし、ソースケさんも欲しい本だってあるでしょうし。あの壁サーの本はもう無理かもしれませんが……荷物は私が見ておきますからどうぞ気兼ねなく」

「はあ……では、お言葉に甘えて」


 折角の申し出だ、断らない手はない。

 倉田は財布と同人誌用の手提げ鞄を手に、会場をうろうろと散策し始めた。

 やはりまずは一番気になっていた壁のところだが、既に新刊は売り切れてしまっていた。

 が、まだ既刊は残っているみたいなので、並んで待つことにする。


 大体3分くらいだろうか。

 ようやく倉田の番になった。


「すみません。残っているのがこの既刊1種類だけなんですけど、それでもよろしいですか?」

「え、あ、はい、大丈夫です。それください……」

「500円です」


 倉田は財布の中から1000円札を取り出し、お釣りとしての500円と、既刊を1冊手に入れた。

 待ち望んでいたものではなかったが、それでも初めての薄い本だ。

 興奮しないわけがない。

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