第6話「好きが溢れる場所」
それ以外のサークルも回った。
自分が書いているカップリング以外にも、様々なものが並んでいる。
夢小説が置かれていた時は驚いたけれど、これも「好き」の一種なのだろう。
そこまで買つつもりなんてなかったのに、気が付けばあれよあれよという間に本は増えていった。
手提げ鞄を持っていて正解だったな、と倉田は自分のサークルに戻って思う。
「お疲れ様です。どうでした?」
ハルはにこやかな笑顔で倉田を出迎えた。
彼女の表情を見て、倉田も口元が綻ぶ。
「楽しかったです、すごく」
「それはよかったです」
ふふ、と彼女は笑みをこぼし、彼を見た。
彼女に見つめられると、そういう気持ちがないとわかっていてもドキドキしてしまう。
そう、楽しかった。
いろんな人の「好き」があって、でもみんな「何かを作りたい」
「何かを生み出したい」という気持ちは同じで、だからこうしてこの場にいる。
その点で言えば倉田もハルや周囲の人たちと同じだと言えよう。
しかし、それでもなお満足できない部分がある。
お金よりも自分の気持ちを優先することは、当たり前かもしれないけれど、実際現実を目の当たりにしてしまうとそうも言っていられない。
やはり売れると嬉しいだろうし、現に売れないと悲しい。
目の前のテーブルは。まだ設営したままの状態だ。
誰かしらが手に取って、戻して、はあるけれど、数量は変わっていない。
せめて帰るまでには1冊でもいいから売れてほしい。
ふと前を見るとい、自分のサークルの前に誰かが立っている。
知らない男性だ。
眼鏡をかけていて、おどおどした雰囲気が自分と似ている。
「あの、1冊いいですか?」
「……! はい、是非!」
倉田は彼から500円を受け取り、1冊手渡した。
ようやく売れた。
これほど嬉しいことはない。
じーんと、胸の奥が熱くなる。
「やっと売れましたね」
「はい。すごく、すごく嬉しいです」
幼子のように倉田ははしゃいだ。
自分の作ったものが誰かの手に渡るのはこんなにも嬉しいことなのか。
このままもっと売れろ、と願ったけれど、現実はそう甘くはなく、また閑散とした時間だけが流れていく。
また隣を見た。
相変わらず一定のペースで売れている。
羨ましいな、と思いながらもスマホを開いてSNSを眺めた。
当然ながら、先ほど買った方からの感想は届いていない。
まあ、そんなものだろう。
その後も目の前を人が通っていく。
手に取る人もいたが、実際に購入されるのは本当にわずかだ。
そもそも小説というジャンルで挑んでいる以上、イラストや漫画には到底適うはずがない。
これも覚悟していたことではあるけれど、やはり現実を目の当たりにしてしまうといくらか堪えるものがある。
即売会が終了するまで残り30分近くとなった。
半数近くのサークルは既に撤収準備を始めている。
これ以上長居しても売れないだろう。
しかし、最後の最後まで足掻いてみたい。
その2つの感情で板挟みになっていて、この後どうするべきか決めあぐねていた。
「1冊、いいですか?」
声がする。
前からではない。
隣を見ると、ハルが優しい表情を浮かべてこちらを見つめていた。
「それ、1冊ください」
「は、はい! 500円です。あの、もしよかったらそちらも1冊いただけませんか?」
「構いませんよ」
こうしてお互い本を購入し、さっそく倉田は彼女の本を開いた。
やはり一つ一つの描写が繊細だ。
だから読んでいてとても切ない気持ちで胸が締め付けられる。
解釈一致としか言いようがなかった。
彼女のテーブルの上を見てみると、もうほとんどなかった。
対して自分の方は……目も当てられない。
10冊しか持ってきていないのに、半分も売れなかった。
けど。
「全然売れませんでしたけど、楽しかったです。また、次も来てみたい」
「ですね。次は京都でありますけど、参加します?」
「もちろん、そのつもりです」
売上よりも大きなものを得た気がする。
書きたい。
何かを作りたい。
心の火がついた。
今すぐ家に帰って執筆に励みたいところだが、ここは東京だ。
今日は我慢するほかない。
これ以上はもう売れそうにない。
倉田も撤収準備に取り掛かる。
ハルも同じようにキャリーバッグの中に売れ残った本を入れていた。
次に即売会に参加するときは同じようにキャリーバッグを用意すると楽かもしれない。
終了の時間になる。
これをもちまして、と会場アナウンスが響き渡った。
それと同時に地面を揺らすくらいの拍手があちこちで鳴る。
終わったのか、と少しだけもの悲しさを感じた。
それはいいとして。
まだ夕方の3時だ。
夜行バスは夜の10時に発射する予定だから、7時間も余裕がある。
東京の地理なんて全く詳しくないし、この後何をするかも何も考えていない。
さて、どうしたものか。
「終わっちゃいましたね」
「そうですね……」
撤収作業を続けながら、ハルは倉田に語りかけた。
あの時間が永遠に続けばいいのに。
一瞬だけどそう思ってしまった。
それは、彼女と一緒に過ごせるからではなく、単純に、この即売会という空間が居心地のいいものだったからだ。
しかしもうそんな夢の時間は終わりだ。
参加者の皆はぞろぞろと撤収していく。
そろそろ自分たちも撤収しないとまた混雑する電車に乗り込むことになる。
「ソースケさん、この後、ご予定は?」
「……へ?」
突然の質問に、思考がフリーズしてしまった。
こんなことあるだろうか?
まさか、これが俗に言うアフターというやつなのか?
「や、夜行バス来るまで暇、です、けど……」
「それって、22時大崎発ですか?」
「はい、そうですけど……」
「すごい、偶然ですね。私もそれで帰るんですけど、その時間まで少し暇で……だからもしよろしければ少し付き合っていただけませんか?」
「……はい、是非!」
今日一番の声が出た。
気持ち悪いと思われていないだろうか。
チラリと彼女の方を一瞥してみたが、特段そんな様子はなく、にっこりと柔和な笑顔を浮かべてこちらを見つめる。
「よかったです。なら、早速行きましょうか」
彼女は荷物をキャリーバッグを転がし、出口へと向かった。
倉田も自分の荷物をまとめ、彼女の後ろをついていく。
これが即売会ドリームか、なんて馬鹿な妄想を抱きながら。
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