第7話「渋谷で暇つぶし」
電車に揺られ、やってきたのはホテル……などではなく、渋谷のとある書店だった。
雑居ビルの中にあるここは、大阪とはまた違った雰囲気を味わうことができる。
本屋はいい。
用事もないのに、買いたい本もないのに見かけるとわざわざ入ってしまうくらいには好きな場所だ。
実際、天王寺の本屋でアルバイトしているくらいなのだから。
それはそれとして、わざわざこんな書店にまで足を運んで、一体どうしたというのだろう。
「あ、ありました」
店内を物色すること約数十秒、彼女はとある作家の本を手にする。
今日の即売会の元となった作家の最新刊だ。
「目当ての本が今日発売されたんです。会場の近くだとこの店しか取り扱ってなくて……よかった、まだ残ってた」
彼女は手に取った本を眺め、喜々としてはしゃいでいる。
表情は相変わらず穏やかで、仕草も控えめだけれど、それでも喜ぶ姿はどこか子供のようだった。
その二面性が、たまらなく可愛い。
擬音で喩えるなら、「ぽわぽわ」だろうか。
自分も何か買おうか。
そう思ってみたものの、気になる作品は少ない。
強いて言うなら、もうすぐ公開される映画の原作小説が欲しいが……やはり小説なので金額はそれなりにする。
が、即売会で大金をはたいたので、今更……という感じだ。
「買お」
そう決意した時、既に手には気になっている本があった。
他にもいろいろ物色したけれど、購入したのはこの1冊だけだった。
やはり値段が高い。
そう簡単にお金が出せるほど、財布のひもは緩くなかった。
買い物を済ませてからも、倉田とハルは適当にブラブラと店内を見て回った。
こういう買う予定はないけれどただ眺めるだけの本屋は好きだ。
不思議と心が満たされていく。
幼少のころからそうだった。
なぜそうなっていくのか、自分でもよくわからない。
ただ、昔から本屋には入らずにはいられなかったのだ。
「気になる作家さん、いますか?」
隣で、ハルが尋ねてくる。
小説を選ぶ際は「誰が書いたか」より「どういうお話か」を重きに置くから、 正直あまりわからない。
今まで読んできた中でこの人の作品は好きになる、というある程度の傾向はあった。
「そうですね……この人は、特に注目してます。独特の世界観を持っていて、それでいて日本語がとても綺麗」
「わかります。とても壮大な話を書くのに、文章の組み立て方はとても緻密で繊細なんですよね。でもだからこそ奥行きが広がっていくと言いますか、読んでいてとてもスッキリするんですよね。私、コミカライズも買っちゃいました」
「さすがですね……」
むふん、と彼女は得意げに話す。
彼女が話す作品は、元々実写映画化されたのちにアニメ化や漫画化され、大ヒットとなった。
倉田自身、この小説自体は知っているし、映画とアニメは見たことがある。
でもまさかコミカライズまでされているとは思わなかった。
「僕もコミカライズ、買ってみようかな」
倉田はコミックのコーナーに戻り、目当てのものがないか物色する。
しかし出版社で探してみたはいいものの、話題になっていた漫画はなかった。
「刊行されたのも随分前ですから、取り扱っていない店舗もあるかもしれませんね。古本店ならあるかもしれませんが……」
「いえ、また今度探します。いい情報をありがとうございました」
「こちらこそ、お役に立てて何よりです」
ニッコリと彼女が笑う。
今日一日……正確には昨晩からの付き合いだが、やはりどこか犬のような愛くるしさがある。
所作は凛としていてまるで百合や撫子のような雅で儚げがある美しさがあるけれど、時折レトリバーのそれのような愛嬌の片鱗を見せてくる。
綺麗な人であり、美しい人でもあり、可愛らしい人でもあると、倉田は思った。
雑居ビルを出る頃には、もう既に日は完全に沈んでいて、周囲は街灯の明かりで照らされていた。
半年前はまだこの時間帯は何もせずとも明るかったのに、本当に時間の流れは速いと改めて再認識させられる。
「もう6時ですね……よろしければ食事でもご一緒しませんか?」
「いいんですか?」
「はい。即売会では大変お世話になりましたし、そのお疲れ様会の意味も込めて。それに、どうせ大阪に帰るまでまだ時間もありますから」
「では……お言葉に甘えて」
気があるのではないだろうか、と勘違いを起こしそうになった。
むしろ彼女が美人局だとしても、一瞬でもいいから夢を見られたことを光栄に思いたい。
しかしもし、美人局でも何でもないのだとしたら、これはチャンスなのではないだろうか?
生まれて20年近く、彼女いない歴=年齢のまま過ごしてきた。
別に恋愛に対して大きな憧れを抱いているわけではないし、「いつかすればいい」と焦りも特にない。
しかし、いざ目の前にこんな綺麗な人が現れて、しかも自分に好意的なのだとしたら、やはり夢を見てしまう。
もしかしたら……と。
あ、と彼女は何かを思い出したように手を叩いた。
「ソースケさんって、お酒飲めますか?」
「あまり飲みませんけど、年齢的には大丈夫です」
「よかったです。未成年だったら私捕まっちゃうところでした」
ふう、と一呼吸置いた彼女はスマホを取り出し、地図アプリを開く。
曰く、この近くに美味しい焼き鳥屋があるらしい。
東京で即売会があった時、夜行バスの時間までは渋谷まで訪れ、書店で一通り時間を潰した後にその焼き鳥屋で食事をするのが一連の流れになっているそうだ。
「ごめんなさい、もっとお洒落な場所がよかったですよね。インスタ映えとかしそうな」
「あ、いや、大丈夫です。僕、鶏肉大好きなので……」
それは答えになっているのか? と倉田は心の中で首をかしげる。
隣で歩く彼女は、彼の答えが面白かったのか、フフフ、と小さく吹き出していた。
たまらなく恥ずかしい。
文章の中なら、もっと気の利いた言葉を使えるのに、会話になるとどうしても上手くいかなくなる。
「私も、鶏肉大好きです」
「あ、そうですか……」
もっと気の利いたこと言えよ、俺。
目的地に着くまで、倉田は脳内で何度も自分自身を殴った。
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