第74話「1人より2人」

 目が覚め、時計を確認すると、もう既に夕方の6時だった。

 手を握る感触がまだ温かい。


 倉田はまだスヤスヤと眠っている彼女に目をやりながら、晴海の手を離した。

 そのタイミングで、彼女はゆっくりと瞼を開ける。


「……おはようございます」

「はい、おはようございます。とても気持ちよさそうに寝てましたよ」

「あはは、おかげさまで……」


 照れ臭そうに彼女は笑った。

 顔色も随分とよくなっている。

 雑炊が良かったのか、薬が効いたのか、あるいは……。

 ともかく元気そうで何よりだ。


 もう一度体温を測ろう、ということになり、倉田はリビングから体温計を持っていた。

 彼女は体温計を脇に挟み、しばらくじっとする。

 ピロピロ、と機械音が鳴ったので確認すると、37度2分まで下がっていた。


「熱もだいぶ下がりましたね。でもまだ油断しちゃダメです。安静にしててください」

「わかってます。身体は大事にしますから」


 ぐうう、と腹の虫が鳴った。

 晴海は顔を赤くしたが、それくらい食欲が戻ったと言うことだ。


「元気そうですね」

「もう、からかわないでください」


 プクーッと彼女は頬を膨らませた。

 時折見せる子供っぽい仕草だ。

 やはり彼女の本質的な部分は、こういうところなのだろうか。


「何か食べますか?」

「冷凍庫の中にチンするうどんがあったはずです。もしくは、お昼の雑炊でも」

「わかりました。用意するので待っててください」

「いえ……一緒に食べましょう」


 言って、晴海は俯いた。

 彼女は病人だ。

 このまま一緒にいれば、彼に風邪をうつしてしまうかもしれない。


 しかし倉田は、そんな晴海を否定することなく、ニッコリとわらった。


「わかりました。なら僕、うどんにします。ハルさんは雑炊でいいですか?」

「はい……私のわがままに何度も付き合わせてしまって、すみません」

「いいんですよ。困ったときはお互い様です」


 ほら、と倉田は彼女の手を取り、晴海もゆっくりと身体を起こした。

 そのままダイニングに向かい、部屋の電気をつけた。


 冷凍庫を開けると、晴海が言ったとおり確かにレンジで温めるタイプのうどんがあった。

 倉田はそれを取り出し、ついでにお昼に作った雑炊も冷蔵庫から取り出した。


 待つこと約10分、2品温め終えた。

 既にテーブルにスタンバイしていた晴海は、スプーンを用意し、倉田が座るのを待つ。


「なんだか新鮮です。私の家にソースケさんがいるなんて」

「僕もまだ夢を見てるんじゃないかって気分です」


 お互い向かい合い、いただきます、と手を合わせた。

 ずるずるとうどんを啜る。

 やはり冷凍食品であるため、コシは弱く、出汁も薄い。

 けれどこの味は絶対に忘れることはないだろう。


 目の前で晴海が自分が作った雑炊を嫌な顔ひとつせず食べている。

 作りたてだから味は落ちているはずなのに。

 それだけで嬉しかった。


「ソースケさん、ひょっとしたら料理の才能あるんじゃないですか?」

「おだてるのはやめてくださいよ。ハルさんの方こそ上手いんじゃないですか? 調理器具も調味料も、結構揃ってましたし」

「そんな、私はただ下手の横好きなだけです」


 照れくさそうに晴海は笑った。

 こうなれば、彼女の手料理がいかほどのものなのか気になってきた。


「ハルさんの手料理、食べたいです」


 心の中だけのつもりが、口にしてしまっていたようだ。

 しまった、と晴海の方を見ると、彼女は目を丸くして、しかし嬉しそうに口元を緩めていた。


「い、いいんですか?」

「えっと、あの……はい、食べたいです」

「ええ、どうしよう、困ったな……」


 困惑する彼女だったが、まんざらでもなさそうだ。


「じゃあ次の即売会、お弁当……というか多分前の日の晩ご飯になると思うんですけど、それでいいですか?」

「はい! お願いします!」


 声高らかに叫んでしまった。

 あ、と気まずくなり、また肩をすぼめる。


 その後、食器を晴海の分まで洗った。

 彼女はその間ソファに座り、お茶と一緒に薬を飲んでいる。


「早く元気になってくださいね」

「はい。ソースケさんこそ、私の風邪、うつっていないといいんですけれど」

「大丈夫です。僕、昔から丈夫なので。そっとやちょっとじゃどうということはないですよ」


 と言ったけれど、内心彼女に来て欲しい欲があった。

 そうなったら、もしかしたら晴海が看病に来てくれるかもしれない。


 そんな淡い期待を胸に、倉田は部屋を出る。

 お見送りのため晴海も玄関まで付いてきた。


「それでは、お大事に」

「はい。ソースケさんもお身体には気をつけて。風邪流行ってますから」

「わかってます。ちゃんと治して、即売会行きましょう」


 最後まで晴海は小さく手を振っていた。

 パタンと扉が閉まる。

 彼女に気づかれないように、倉田はしゃがみ込んで、くああ、と小さな声を発した。


 やっぱり、晴海のことが好きだ。


 下宿先に戻った倉田は、そのままベッドにダイブした。

 疲労感が一気に満ち溢れてくる。

 このまま眠ってしまったら風邪をひいてしまうだろう。

 でもその場合晴海が看病に駆けつけてくれるから大丈夫だ。


 だが翌日になっても体調が崩れることはなく、何日経っても風邪をひくことはなかった。

 倉田はこの時初めて、自分の身体の頑丈さを恨んだ。

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