第16話「騒がしい女①」

 会場前には多くの人が並んでいた。

 初めて即売会に参加した時と同じような感覚だ。

 今回もいろんなオンリーの即売会が同時に開かれているからきっと自分とは全く別の趣味の人たちも大勢いるのだろうけれど、それでも大きな目的は同じだ。


 倉田は彼らを眺めながら、会場に入る。

 サークル参加はこれで2度目だから、設営にも少し慣れた。

 今回頒布する本を並べ、値札を添え、さらにはお品書きまで自作した。

 といっても画像編集ソフトでただ表紙を並べただけなのだけれど、前回よりははるかに視認されやすくなっているだろう。


「よし」


 開場10分前、設営が完了した。

 早速倉田はSNSに投稿する。

 あとは時が来るのを待つだけだ。


 それにしても。


 キョロキョロと周囲を見渡してみたけれど、やはりハルの姿は何処にもいない。

 彼女がサークル参加していないというのは前々からわかっていたことだけど、だとしてもやはり悲しい。

 早く来てくれないかな、なんて考えながら倉田は右肘をつき、顎を手に乗せた。


 アナウンスが聞こえる。

 開場から拍手が沸き上がる。

 即売会の開幕だ。

 倉田も拍手を送り、一般参加者に備えた。


 今回もいつもの大手サークルが参加している。

 だから開場時間になって間もなく長蛇の列が出来上がった。

 やはり相変わらずすごい。

 今回は新刊を買えるだろうか、と少し心配めいた息を吐いた時だった。


「お久しぶりです」


 綺麗な声だった。

 忘れもしない、彼女の声。


 ぱあっと顔に輝きが戻っていく。

 スラッとしたスタイルのいい体躯に、綺麗な長い髪。

 雪のように真っ白な肌に、少しピンクに染まった頬。

 相変わらずの優しい笑顔に、ぎゅーっと胸が締め付けられる。

 今日は深緑のフレアスカートに、白のトップスだ。

 春になり気温も温かくなって、少し薄着の恰好だけれど、やはり似合っていた。


 しかし、彼女の隣に一人、知らない女性が立っている。

 背丈はハルほどではない。

 大体自分と同じくらいだから、160あるかないかだろうか?

 黒いショートカットで、大きな目は狐のように吊り上がっている。


「おお、アンタがソースケくんか。どうもー。ウチ、安藤ちとせ言います。ハルミがいつもお世話になってるそうで」

「あ、いえ、どうも……あの、ハルミっていうのは?」

「この子この子。ハルミ。晴れた海で晴海。あれ、もしかして聞いてへんかったん?」


 ほれ、と京風の関西弁を喋りながら、ちとせは隣に立っているハルを指さす。

 きょとんとするちとせの口をむぐっとハル……もとい晴海は手で押さえた。


「ちょっと、なんで私の本名勝手にバラしてるの?」

「あ、ごめん。ついいつもの感じで話してもうたわ。ごめんごめん。堪忍なあ」

「普通そんな簡単に伝えないから」


 まったく、と呆れた息を彼女はこぼす。

 そして倉田の方を見ては、何度も何度も頭を下げた。


「すみません。連れの友人です。どうしても行きたいってうるさくて聞かなくて。ご迷惑でなかったでしょうか?」

「あ、いや、全然。そんなことは、ない、です。僕もさっきの会話は聞かなかったことにするので」

「ちょっと、いくらなんでもそれは失礼と違う? なんか悲しいわあ」

「戦犯が何言ってるの」


 ぷんすかとちとせは頬を膨らます。

 なんとなくだけど、凝りていない様子だった。

 しかし晴海はそれ以上ちとせをとがめる様子はなく、はあ、と溜息をつく。

 彼女にとって、こういうことはよくあることなのだろうか。


 ちとせは倉田が設営したサークルに並べられた小説の表紙をじーっと眺める。

 ニヤニヤとした表情が、少し不気味だった。

 何を考えているのか、腹の中が見えない。

 時折チラリチラリと倉田の方を見るから、余計に怖い。


「これ、晴海が描いたん?」

「あ、はい、そうです。僕が依頼して、描いて頂いて、とてもいいイラストが届いたなって、思うんですけど……」

「そっかそっかあ、あの晴海がなあ、ふうん」


 彼女は新刊を1冊手に取り、ついでに前回の残りである既刊も倉田の手に渡した。


「これとこれ、1冊ずつ頂戴?」

「あ、ありがとうございます! 合計で1000円です!」


 早速売れた。

 今日は幸先がいい。

 ぱあっと倉田の表情に明るさが戻り、野口英世の代わりに2冊をちとせに手渡す。


 その直後に晴海が彼の前に立った。


「私も、1冊いいですか?」

「もちろんです! ありがとうございます……なんですけど、ハルさん、表紙描いてくれたので、そのお礼として、無償で差し上げますよ?」

「いえ、大丈夫です。お気持ちだけで十分ですから」


 有無を言わせない勢いで、彼女はトレイの上に500円玉を乗せた。

 そしてそのトレイをスッと彼の前に出す。

 もうこんなことをされてしまっては、受け取らざるを得ない。

 本当はもっと粘って「大丈夫です」と断ればいいのかもしれないけれど、少し内気なところがある倉田にはそれができなかった。


 開幕してまだ間もないのに、既に3冊が売れた。

 今日は前回よりも売れるかもしれない。

 それもそのはずだ。

 あのハルが表紙を描いてくれたのだから。

 表紙のイラストに釣られて、思わず購入してしまった、ということももしかしたらあり得るかもしれない。


「これ、帰ったら読ませてもらうわな。もしかしたら晴海経由で感想送るかも」

「あ、はい! 待ってます」


 もうハルの本名を隠すつもりは毛頭ないようだ。

 最後まで彼女は我を貫いていたというか、何というか個性的な人だなと倉田は思う。


「ほな、また来るわな、晴海の彼氏さん?」

「あ、はい…………へ?」


 ちとせの言葉を、倉田は理解できなかった。

 誰が、誰の彼氏って?


「ちょ、ちょっと! あの人は別にそういうんじゃないから」

「でも可愛かわええやん。真面目そうやし。まだお付き合いしとらへんねやったら、これをきっかけに付き合ったらええんとちゃう?」

「もう、すぐそういう話をする……」


 サークルの前を通り過ぎた後の2人の会話が聞こえてきた。

 彼氏そういうのじゃない、と言われた時は少しショックだったが、それもそうか、と納得させる。

 まだ告白すらしていないし、自分の一方的な恋慕に過ぎない。

 だけど、傍から見たら、カップルに見えなくもない、ということか。


 少しだけ希望が見えた。

 即売会にも、そして恋愛にも。


「よし、やるか」


 パチンと倉田は頬を叩き、気合を入れる。

 今日はいろいろと上手くいく予感だ。

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