第17話「騒がしい女②」

 開幕早々3冊も売れたのだから、今回の売り上げは絶好調だろう、と高を括っていたのだが、現実はそう甘くはない。

 そこから約30分、鳴かず飛ばずの状況が続いていた。


 ハルが表紙を手掛けたということもあって、それなりに集客はできていたように思えたが、いずれも素通りか手に取って購入を辞退するかのどちらかで、なかなか買ってくれない。


「やっぱ小説って、売れねえよなあ」


 前回の即売会でも痛感して思ったのだが、小説は漫画本やイラスト集よりも格段に読まれない。

 今回は原作が小説ということもあってそれなりに出店数はあったけれど、他のオンリーを見てみると、そのほとんどが漫画だったりイラスト集の形をとっているものばかりだ。

 そして小説を手掛けたサークルは、ほとんど素通りされている。

 完全にアウェーだ。

 わかってはいたけれど、やっぱり辛い。

 小説だけの即売会があれば、結果は違ったのだろうか。


「すみません、新刊ください」


 一人の中年の男性が倉田に声をかける。

 彼は新刊を指さしていた。

 ありがとうございます、と500円を受け取り、新刊を手渡す。

 これで累計4冊。

 やっぱり今日は幸先いいスタートを切れたかもしれない。


 と、思っていたのだが、それ以降の売り上げはあまり伸びなかった。

 感覚としては、大体30分に1回、売れるか売れないかだ。

 前回の惨状と比べたら幾分か成長はしたと思う。

 けれど、それはきっとハルが表紙を描いてくれたおかげだろう。

 嬉しい反面、少し複雑な心境だ。


 それに、ハルのイラストをもってしてもやはり現実というのはそう甘くはないということを思い知った。

 今目の前で長蛇の列を作っている壁サーの人のような人気がないと、完売は難しいのかもしれない。

 この人の描く絵はハルとは対照的に線が太い。

 しかしそれゆえに温かみのあるタッチやテイストになっていて、しかしキャラクターの所作は繊細で、そのギャップに惹かれる人が多い。


「さすがに表紙買いだけじゃ、難しいよなあ」


 実力が欲しい。

 表紙に似合うだけの内容が書ける実力が欲しい。


 スマホを開き、感想が届いていないかをチェックするが、さすがにこんな短時間で読み終わる猛者はいない。

 そもそも感想なんてもらえるのだろうか。

 一応あとがきのところに連絡用に作ったメールアドレスと、広告用のSNSアカウントを載せてはいるけれど、そこにわざわざ連絡しようという人間なんてまずいない。


 要するにただの体裁だ。

 出版社が出す本は必ずそういう連絡先が記されてある。

 それと同じだ。

 もちろん万一何かが起きたとき用の実用的な目的もあるけれど。


 開幕から2時間が経過した。

 ここまで売れたのは累計で7冊だ。

 しかしそのうちの3冊は実質身内で、たった2時間で4冊しか売れていない。

 しかも既刊にはほとんど手を出されていなかった。

 手に取って見る、ということもなかった。

 岡がこの様子を見たらどう思うだろうか。

 あまり絵に関心のない彼のことだから、「別に」で済まされるかもしれないけれど。


「お疲れさん。調子どない?」


 ちとせの声が聞こえてきたので、声のする方を振り返る。

 彼女は晴海を引き連れて、ニヒヒ、と無邪気に笑っていた。


「あんま変わっとらんな」

「なかなか売れなくてですね」

「まあ小説やもんなあ。しゃあない部分もあるよ」

「仕方がない、で片付けたくないんですけどね」


 ふうん、とちとせは不敵な笑みを浮かべながら相槌を打つ。

 顔つきからそれっぽいので、完全に悪女だ。


「ちとせ、今なにか変なこと企んでるでしょ?」

「別になんも考えてへんよ。ただ、見かけによらずなかなか熱いものをお持ちですなあって思って。ええわあ、羨ましいわあ。よーし、そしたらお姉さんが人肌脱いだりますかな」


 そう言うと彼女はずけずけと長机の間を通り、倉田の隣に立つ。

 本来は一般参加者はサークルスペースに入ってはいけない。

 いけない、という明確な表記は実はないのだけれど、安全面や円滑にイベントを進めることを考慮すると、普通はサークルスペースには入らない、というのが暗黙の了解、というか事実上のルールになっている。

 わざわざサークルのフリをしてやる理由もないからだ。


 なのに、彼女はそんなことなどお構いなく倉田の隣に立っていた。


「ほら、晴海もはよぉ来てぇや」

「いや、ソースケさんに迷惑かけるのもどうかと……」

「迷惑ちゃうやんなあ?」


 急に振られたのでドキリとする。

 本当にこの人は遠慮というものを知らない。


「えっと、迷惑……じゃない、ですけど、その、何というか、あの、運営から怒られたりしませんかね」

「大丈夫やろ、このくらい。サークル関係者です、とか言っとけば何とかなるで」

「そうでしょうか」

「多分」


 一気に不安は加速度を増した。

 確証もなくそんなことを堂々と言わなくても、と心の中で溜息を吐く。

 晴海の心労が少しは垣間見えたような気がする。

 よくこんな人と友人づきあいができるな、とつくづく思った。


「もしアンタがよかったら、ウチら売り子やるけど、ええ?」

「えっと……怒られない範疇で」

「よっしゃ、任せとき。ウチら顔ええから、男どもなんかイチコロや」


 そういうこと言わない、と晴海が釘をさす。

 この人がいないと常にちとせは暴走するようだ。


 それはそれとして、売り子、という言葉にほんの少し心がときめいた。

 憧れの言葉の一つだ。

 壁サーがよくやっている印象がある。

 事実、今回行列を作っていた壁サーも売り子を使っていた。


 なんだかワンランクアップした気がする。

 そういう高揚感もあったから、ちとせの申し出を断ることができなかった。


 しかし、それを運営が黙っているはずがない。

 すぐにスタッフが駆け付け「関係者以外は入らないでください」と注意を受けた。

 これに反論するかと思っていたけれどそんなことはなく、「すみません」と肩をしゅんとすぼめてサークルのスペースから出てくる。

 さすがにこうなると場をわきまえるようだ。

 さっきまでの肝の座りようとは全然違う。


「まあ、適当に駄弁りながら時間すごそ?」

「あ、はい。そうですね……」


 そう返事したが、実際は少し一人にさせてほしい、というのが本音だ。

 ちとせは、とても強烈すぎる。

 そのキャラの濃さで胃に穴が開きそうだ。

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