第84話「ペット」

 蕎麦屋を出た倉田たちは映画館に向かった。

 段は何か見たい映画を見に映画館に足を運ぶのだが、こんな風に目的もなく訪れるのは滅多にない。


「実際に来てみると、興味がある作品はたくさんあるんですよね。でも中々手が出せないというか……」

「そうですね。迷っちゃいます……」


 しかしいつまでも迷っていてはいけない。

 上映時間も考慮しなければならないため、ものによっては何時間も待たなければならない、と言うケースも発生してしまう。


「あ、私これが一番気になる」

「なんですか?」


 彼女が指したのは、とある動物映画だ。

 子犬がポスターの中央に堂々と映っていて、さぞかしハートフルな映画なんだろうなというのが伝わってくる。

 さすがにこのビジュアルでハートフルボッコ、のような内容ではないだろう。


「じゃあそれにしましょうか。あと20分したら開場みたいですし」

「ですね。私、チケット買ってきます」

「いや、僕の分は僕が払いますよ」

「そんなことだろうと思ったので、後でお金を請求しますね。とりあえずまとめて買っておきます」

「あ、はい……」


 彼女の方が一枚上手だった。

 考えていることも全部見抜かれた上で、あの行動をしているのだから。

 敵わないな、なんて思いながら倉田は彼女が戻ってくるのを待った。

 その間に何か食べるものでも買おうかと思ったけれど、やはり映画館の食べ物はそれなりに値段がする。

 そういう商売だというのはわかっているけれど、それでももったいない気がしてならない。

「お待たせしました……って、ソースケさん、何か買うんですか?」

「いや、何も決めてないです。晴海さんは何か食べたいものあるんですか?」

「いえ、さっきの蕎麦でお腹いっぱいですから。大丈夫です」

「そうですか」


 ならば買うのはやめておこう。

 一時、映画館でポップコーンを食べるのは一種のアイデンティティだと思っていた時期があったけれど、話に集中出来ないから買うのをやめた。

 それに、映画を見る頃には少し冷えてしまってあまり美味しくない。


 晴海にチケット代を渡し、開場時間までしばらく待つ。

 と言ってもものの数分で開場の案内になり、倉田たちもそれに従ってチケットを従業員に提示した。


 今から見ようとする映画はあまりSNSでも話題になっていなかったため、人は他の映画よりも少なかった。

 そのためいい席が取れてよかった、と晴海は話す。

 彼女の言うとおり、シアター内はがらんどうだ。

 一列に1人いるかいないかくらいだ。


「少ないですね」

「CMもあまり見なかったですからね。私も期待半分不安半分なので、ちょっと楽しみです」


 館内の照明が消える。

 今から予告をいくつか流した後に、本編が始まる。

 倉田も心がわくわくしてきた。


 映画の感想は、面白かった、の一言に尽きる。

 なぜこれがもっと世に広まらないのか、不思議で仕方がなかった。

 隣で座っている晴海に至っては、涙を流しており、他の観客たちもしばらく余韻に浸っていました。


「まさかここまで泣かされるとは思ってもいませんでした……」


 ずび、と鼻を啜りながら彼女は噎び泣く。

 簡単な映画の概要を説明すると、犬と飼い主の絆を描いた物語だ。

 捨て犬を拾った主人公だが、最初はその子犬から拒絶されてしまう。

 しかし次第に子犬は主人公に心を許していき、主人公もまた単調だった毎日が色づき始めていく……という話。

 ベタな内容だが、そのストレートさが心にくる。


「いいお話でしたね。僕も泣きそうになりました」

「私、実家で犬を飼っていたんです。随分と昔の話なんですけど。そのことを思い出してしまって……」

「ああ、なるほど……」


 確かに、登場人物の行動やセリフ一つ一つに説得力があった。

 彼女のように、昔ペットを飼っていたことのある人ならとても刺さっていたことだろう。

 倉田自身はペットを飼った経験がないためそこまで共感性は高くなかったが、それでもペットが家にいる、という解像度はとても高くなった。


「私がまだ小学校に入る前のことでした。祖父が友人から譲り受けた……というよりも、その友人が亡くなってしまったから引き取ったそうです。最初、両親はその犬を飼うことを反対していたんですけど、私が駄々をこねて、渋々了承してくれまして……でもその犬も歳でしたから、我が家に来て2年弱で死んじゃいました」

「それは、辛かったですね」

「はい。あの時の私はわんわん泣いていて、両親も、祖父も泣いていました。たった2年だけでしたけど、あの子は、ちゃんと私たちの家族だったんだなって、今振り返ってそう思います。ちゃんと、おじいちゃんと一緒に天国で幸せになっていたらいいな」

「なってますよ、絶対」


 そうでなければ困る。

 物語はやはりハッピーエンドがいい。

 その方が幸せじゃないか。


 そうですね、と晴海は笑った。

 懐かしむような、慈しむような、そんな目をしている。


「ペット、また飼いたいですか?」

「いえ、子供の頃の思い出だけにとどめておきます。餌代だったり医療費だったり、結構シャレにならないくらいの金額が飛びますからね。さすがにそんな余裕はないです」


 彼女の言う通りだ。

 ペットを飼うとなるとそれなりのお金が飛んでいく。

 そのことを覚悟しなければならない。

 興味はあったけれど、妄想だけの話でとどめておこう。

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