第48話「いなくならないで」

 どのくらい時間が経ったのだろう。

 倉田たちはずっと談笑を続けていた。

 別に誰かに聞かれる心配もないのに、声を潜めてしまっているのは、そういう体勢だからだろう。


「どうですか? 眠れそうですか?」

「おかげさまで。夜分遅くに付き合わせてしまって申し訳ありません」

「気にしないでください。僕も全然眠れなかったから」


 晴海のせいで、とはさすがに言えなかった。

 こんな至近距離でい続けるのは滅多にないから、彼女の花のようないい匂いが彼を刺激し続ける。

 襲ってしまいたいという邪な獣を押さえているのも大変だ。


「なんだか修学旅行を思い出します。ワクワクして全然眠れなくて。あれ? それは旅行前だっけ?」


 なんとも可愛らしいエピソードだろう。

 心がほっこりと温まる。

 でも彼女の言う通りだ。

 こんなにワクワクする遠征なんていつ以来だろう。

 最後に遠出をしたのは……1月の即売会を除けば、確か高校3年の最後の部活動の時だ。

 その日以来、どこかへ遊びに行こうなんて、思わなくなったのに……。


 あの即売会をきっかけに、いろんな場所に行くようになった。

 京都や兵庫によく行くけれど、またこの場所に来たい。

 また東京に、ビッグサイトに行きたい。

 東京だけでなく、もっといろんな場所へ、彼女と。

 そう思えたのは、あの時晴海と出会えたからだろう。


「ねえ、ソースケさん」


 天井を向いた彼女が、彼に問いかける。

 先ほどよりも声色が暗く冷たく、そして重たかった。

 どんよりじめっとした感じはないが、先ほどと空気が違うのは彼女の声を聞いてすぐにわかる。


「手、握っていただけますか?」


 スッと、彼女は布団の中で右手を倉田の方に寄せた。

 彼のふととも付近に彼女の手が触れる。

 手を握るくらいなら別に問題はないと思うが……一体どういう意図があるのだろうか?

 その理由を聞くのは野暮だったから、何も言わずに倉田は晴海の手を優しく握った。


 彼女の手は小さくて、肌もスベスベしている。

 やっぱり何もかもが自分と違っていた。

 また、倉田の心拍数が上昇する。


「ソースケさんは、いなくならないですよね?」

「え?」

「…………なんでもないです、忘れてください」


 忘れられるわけないだろう。

 独り言だったのだろうか、彼女が意味深な発言をする。

 やはり全く持って意図が理解できない。

 もし嫌われていたらこんな風に手を取ったりしないだろうけれど、逆にこんなことをする理由とは一体何だろう。

 幾度か首を捻ってみたが、結局答えには至らなかった。


 晴海は倉田と手を繋いだまま、スヤスヤと寝息を立てていた。

 結局何だったのだろう。

 倉田はそれ以上何も言わず、彼女の手を握り続けた。

 朝が来るまでずっと。


 午後7時のアラームが鳴り、倉田はけたたましい機械音と共に目を覚ます。

 音の鳴る方を探してみたけれど、見つからない。

 音から察するに間違いなくスマホのアラームだ。

 しかし倉田のアラームは朝8時に設定している上に、今回は東京に行くこと言うこともあってセットを外していた。


 夜行バスではアラームが聞こえてこなかったから、きっと東京に来てからセットしたのだろう。

 もちろん東京に来てからセットし直した覚えなどない。

 だから晴海のスマホだ。


 ゆっくりと体を起こした晴海は、寝ぼけ眼のまま自身の頭部付近に置かれていたスマホのアラームを止める。

 そして倉田との手を離し、グーっと両腕を天に突き出した。


「おはようございます、ソースケさん」

「あ、おはようございます……」


 彼女の目はパッチリと開いていた。

 まだ意識が混濁している倉田と違って言葉もハキハキとしている。

 ふわあ、とあくびをしてしまったが、晴海が逸れに伝染することもなく、ベッドの上から降りた。

 毎朝こんな感じなのだろうか?

 また一つ、知らなかった彼女の片鱗を見ることができた。


 けれど何か違和感がある。

 何というか、表面上は何も変わっていないのだけれど、どこかドライになりすぎている気がする。


「身支度して、朝ごはんに行きましょう」

「は、はい……」


 とりあえず彼女の着替えのため、倉田は部屋から出た。

 こういう何もない時間がもどかしい。

 昨日と比べえるともう慣れてしまったけれど。


 待ち時間、彼女のことを考えていた。

 何かあったのだろうか。

 力になれることがあったら、なりたいけれど……自分なんかが彼女の力になれるのだろうか。

 不安だ。


 ガチャリ、と扉が開いた。


「お待たせしました」


 彼女は紺のジーンズに白と青のストライプのシャツという具合で、いつものロングスカートではなかった。

 今日は東京を練り歩く予定だから、動きやすい恰好にしたのだろう。

 もちろんどんな格好であれ似合うからいいけど。


「朝ごはん、行きましょうか」

「はい……」


 荷物を持った2人は、ホテルの大食堂へと向かった。

 ここの朝食はバイキング形式となっていて、より取り見取りの料理たちがずらりと並んでいる。

 どれにしようか、と迷う倉田だったが、晴海は一切の迷い泣くブレッドにバターをな塗っていく。

 他の料理も手際よくとっていき、席につく。

 倉田も彼女と同じようにブレッドを取り、コーンスープも手に取った。


「いただきます」


 食事中は静かだった。

 昨晩のアレに関してはまだ切り出せずにいる。

 やはりまだ引っかかっていた。

 忘れないで、と言われて本当に忘れられるはずもない。


 しかしこの後は東京散策だ。

 つまり、デートということになる。

 そんな楽しい時間を、自分から潰すようなことはしたくない。


 再び彼女をチラリと一瞥した。

 晴海も倉田の視線に気づいたのか、きょとんとした後にニコッと微笑む。

 いつも通りの笑顔だった。

 何も気負っている様子もない。

 少しホッとして、倉田はブレッドを頬張った。

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