第5章「恋路の行方」

第50話「閑古鳥」

 事の発端は数ヵ月前に遡る。


「どっちに出るべきかな……」


 PCの前で倉田はにらめっこする。

 画面には即売会申し込みの案内があり、倉田はスクロールしながら2つの即売会について見比べていた。

 一つは、オリジナル小説だけの即売会。

 もう一つは、オールジャンルの即売会。

 前者は、オリジナル小説という同じジャンルの人たちが集まっているため、ニーズが同じ、という意味では売り上げに繋げやすい。

 対して後者は開催の規模が違う。

 オールジャンルだけでなく、他のオンリーイベントも同時並行でやっているため、人数は圧倒的にこちらの方が多い。


「どっちがいい? めっちゃ迷うな……」


 かれこれ数時間迷ったが、悩みに悩み抜いた末に、倉田は前者の小説オンリーの即売会へ出店することにした。

 オールジャンルの方は岡に頼んでお使いに行ってもらおう。


 即売会の日は夏コミから約3週間だ。

 この間に新刊を用意するなんて無謀だし、お金もかかる。

 ペーパーくらいは用意するとして、コミケの売れ残りでいいだろう。


 そんなことを考えながら、倉田は申し込みの手続きを進めていた。

 これが吉と出るか凶と出るかは、当日になってみないとわからないだろう。


 迎えた当日、谷町線の天満橋駅を降りた倉田は、駅構内を歩いて会場へと向かう。

 朝10時の時点で既に多くの人が待機していて、意外と大きな規模なのだと思った。


 今まではビッグサイトやインテックス大阪のように、大きな施設でやる即売会ばかり参加していたが、今回のようにオフィスビルでの即売会というのは初めてだ。

 周囲も綺麗なオフィスビルが立ち並んでいるのをマップで見たから、少し身構える。

 しかしいざ会場に入ってしまえばどうということはなく、いつも通りのことをやるだけだ。

 設営完了の旨をSNSで告知した倉田は、見本を提出するべくサークルを離れた。

 普段の即売会では見本を本部のブースに提出するのがお決まりだったが、今回は見本を並べるコーナーがあるらしく、一般参加者はそれを見て買うかどうかを決めるみたいだ。

 合理的だし、コミックと比べて立ち読みがしにくい小説の即売会において、気兼ねなく立ち読みが出来るということで、とてもいいアイデアだと思う。

 それに、見本が並べられているだけでなぜかワクワクした。


 開場の時間になる。

 一般参加者は続々と会議室の中に入っていった。

 今までのような長いサークル待機列はなく、各々好きなサークルを巡っては、そのサークル主たちと談笑をしている。

 リアルか、もしくはネット上で繋がりがあるのだろうか。

 自分にはそういう人が全然いないから少しうらやましい。

 だけど……その繋がりは他よりも強固なもので結ばれていると信じている。


 今頃晴海は別の即売会の方に向かっている。

 倉田が蹴った方の即売会だ。

 今更ながら、向こうに行けばよかったかな、と後悔している。

 彼女が来ない即売会は、思い返せばこれが初めてだ。


「……暇だな」


 彼女たち以外に知り合いと呼べる人はいない。

 ゆえに、交流会のようなことなど起きるわけもなく、一人静かに時間が過ぎるのを待っていた。

 コミケの時よりも全然来ない。

 ニーズには合っているはずだが、全然手に取ってくれない。

 やはり向こうに参加するべきだったか。


「1冊、いいですか?」


 若い女性がサークルの前に立っている。

 いいですよ、と返答し、目の前の彼女はパラパラと同人誌をめくり、またテーブルの上に戻した。


「ありがとうございました」


 それだけ言って彼女はサークルから立ち去る。

 倉田は落胆し、息を一つこぼした。

 この状況を見れば、浅はかな選択だったかもしれない。


 結局即売会が終わるまで、1冊も売れなかった。

 こういう日もある、と頭の中で納得させようとするけれど、やはり正直納得いかない部分も多い。

 SNSでの宣伝が足りなかったか?

 そもそも内容がつまらないからか?


 少なくとも、今回こっちを選んだのは、失敗だったかもしれない。

 売上も取れていないし、晴海とも会えなかったし。

 なんだか味気なくてつまらない即売会だった。


 荷物を全て詰めて、倉田は会場を後にする。

 心なしか足が重たい。


 天満駅の改札前に差し掛かったところで、倉田は目を疑った。


「……え?」


 本来ここにいるはずのなかった彼女がいるのだ。

 晴海は「どうも」と挨拶を交わし、ペコリと頭を下げる。


 倉田は改札を抜け、彼女のところへ歩み寄った。


「なんで、いるんですか?」

「早く終わったので、間に合うかなと思って来ちゃいました。結局、間に合わなかったようですけど」

「まあ、そうですね、はい……」


 彼女の方はどうだったのだろう。

 頑張ろう、と言い出した手前、自分から切り出すことなんてできない。


 暗い顔になっていた倉田を案じて、晴海はニッコリと微笑んだ。

 微笑むだけで、特に言及しない。


「せっかくなので、どこか遊びに行きましょうか。難波とか」

「難波ですか?」

「ええ。行ったことありますか?」

「全然……行ってみたいです」


 沈んでいた倉田の顔が次第に明るくなっていく。

 今日は会えないと思っていたのに、まさかこんな形で会えるなんて、思ってもみなかった。

 それに加えて今から遊びに行けるなんて。

 夢でも見ているのではないだろうか?


 むしろ今までのが夢だったのかもしれない。

 そうだ、1冊も売れなかったなんて、そんなことあるはず……。

 ……いや、これは現実だ。

 鳴かず飛ばずだったのも、晴海が来てくれたのも、全て現実。

 いいこともあれば悪いこともある。

 そうやって帳尻合わせができているわけだ。


 なら、今からの時間はいいことしか起きない、ということだな!


 そんな楽観的な考えを持ったまま、倉田は晴海と共に電車に乗り込んだ。

 初めての難波は、刺激的な体験ばかりだった。

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