第45話「夏が終わる」

 一通り見て回った2人は、再び東館に戻ってきた。

 最後に訪れたのは倉田のサークルだ。


「ごめんなさい、最初に来ようと思ってたんですけど、忘れてました」

「いや、いいんです。あとで渡そうと思ってたし」

「いえいえ。ちゃんと買いますよ」


 彼女が微笑むので、倉田はまたしても顔を赤くする。

 スペースに岡がいるとも知らずに。


「イチャコラするんやったら他所でやってくれんか」

「す、すみません……」


 岡の存在に気付いた晴海は何度も何度も彼に頭を下げている。

 ムスーッと頬杖をついている岡を倉田は睨んだ。


「なんやねん」

「見せもんじゃねーぞ」

「お前らが見せてきたんやろうが」


 うるせえ、と呟き、倉田は自分のサークルに戻る。

 少し困惑した笑みを浮かべながらも、晴海は財布から500円玉を取り出した。


「新刊1冊ください」

「500円です」

「ありがとうございます。頑張ってくださいね」

「はい!」


 ペコリと晴海は頭を下げ、倉田のサークルを去った。

 倉田も頭を下げ、彼女を見送る。


「やっぱお前、あの人にゾッコンやな」

「なんだよ、悪いかよ」

「いや別に悪いなんて言うてへんやん」


 よいしょ、と岡は長椅子の隙間をすり抜け、サークルを出る。


「俺もちょっと見て回るわ。せっかくのコミケやしな」

「オッケー。行ってら」


 岡がいなくなって、ふう、と一呼吸つく。

 机の上を見ると、出かける前と比べて新刊が少し減っている。

 特に漫画本は持ってきた部数の1/3は売れている。

 漫画だけかと思ったけれど、小説の方も売れているようで安心した。

 普段の即売会よりも売り上げのペースが早い。

 これがコミケか。


 その後も一人でサークルにいた倉田だったが、本はまあまあ売れた。

 やはり漫画本の方が売れているけれど、それよりも自分の小説が今までより売れているのが嬉しい。

「ありがとうございました」と手渡す度に、じんと胸の内が温かくなる。


 それにしても、岡はどこに行ったんだろう。

 彼がスペースを出てからかれこれ2時間近くが経過したが、未だに帰ってくる気配はない。

 自分たちも同じくらい時間をかけたので、別に咎めるつもりもないけれど。


 スマホの方にメッセージは入っていなかった。

 何もなければいいが……不安だ。

 とりあえず1日目が閉会するまでにこの場所に戻っていればいい。


 一斉点検の愉快なBGMが流れる。

 これが流れるのは今回が3度目で、1回目が10時45分、2度目が12時半、そして今は15時45分だ。

 もうすぐコミケも終わる。

 早く帰ってこいと願いながら、倉田は目の前の一般参加者に漫画本と小説を手渡した。


「お疲れさん。いやー、思ったより広くて全然自覚なかったわ」


 ようやく岡が帰ってきた。

 手には戦利品と思しき紙袋がある。

 こういうのに興味あったっけ、と思いながら倉田は彼の紙袋を眺めた。


「これ? 有名な絵師のサークルにずっと並んどってな。まあ並ぶの遅かったからか買えたり買えんかったりしたけど、まあええわ」

「そういうの興味ないと思ってた」

「まあ滅多には買わんわな。今日はお祭りやから特別。こういう経験もしとくもんやなあ」


 自分とは摩反対の考え方だった。

 確かに彼の言う通り、こういう時だからこそ普段できないことをしておくのも悪くない。

 今回晴海と一緒に回った際、欲しい本があったけど長蛇の列になっていて並ぶのが憚られた、ということがちょくちょく起きていた。

 別に通販でも買えるから、という理由で見送っていたけれど、余裕があれば並んでみるのもいいだろう。


 16時になった。

 1日目がこれで終わる。

 開場の至る所からパチパチパチ、と拍手が沸いて起こり、一つの束になって響いた。

 これで終わりか、としみじみとした思い出倉田は撤収の準備に取り掛かる。


「お疲れ様です」


 晴海がやってきた。

 ちとせは着替えのため別行動だ。


「どうでした?」

「完売でした。ソースケさんは?」

「残念ですが売れ残ってしまいました。でも半分は売れたんです。目標だったので、それが嬉しくて」

「よかったじゃないですか。おめでとうございます」


 パチパチパチ、と彼女が手を叩いた。

 褒められるのはあまり好きではないけれど、晴海からだと素直に受け止められる。


 荷物を全てキャリーバッグに詰め込んだ倉田は、サークルのスペースを後にした。

 楽しかった時間が終わってしまった。

 即売会が終わるときはいつもこうだ。

 だけど今日はとびきりの寂寥感が襲いかかってくる。


「次は12か……」


 あと4ヶ月。

 その道のりが、途方もなく長く感じる。

 だけど冬から夏は8ヶ月もあるのだ。

 その間にいろんな即売会がある。

 それを考えると意外と短く感じる。


「次は、どんな話を書こうかなん……」


 その証拠に、もう年末に向けてのスケジュールを組み始めていた。

 きっとあっという間だ。

 瞬きをする間に12月になってしまう。

 濃厚な4ヶ月になることだろう。

 とても楽しみだ。


 ちとせとの待ち合わせは、国際展示場の逆三角形になっている会議棟の真下だ。

 ここはコミケの入退場口になっており、多くの人がゾロゾロとビッグサイトを後にしている。


 彼女を待っていると、おーい、と朗らかな声が遠くから聞こえてきた。

 声のする方に目をやると、ちとせが手を振りながらこちらにやってくる。

 服装は普段のカジュアルな格好だが、髪はコスプレ衣装のままだった。


「お待たせー。待った?」

「私たちも今来たところ。それよりその髪、どうしたの?」

「ん? これ? ああ、染めてん。せっかくやから思て」


 倉田と晴海は唖然とした。

 ここに来るまで行動を共にした岡は、ケラケラと笑っている。

 コスプレに対する着物すわり方が違う。


「え、染めて大丈夫なの? その……地味な色だったらまだしも銀って……会社的にアウトなんじゃない?」

「大丈夫やで。どうせお盆だけやから平気平気」


 そういうものだろうか、と首を傾げたが、本人が納得しているのならそれでいい。

 よっしゃ行くで、と勝手に仕切るちとせに3人は付いて行った。


 こうして、最も熱い夏が幕を閉じるのだった。

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