第8章
第77話「告白前の胸騒ぎ」
バレンタインが近づいてきて、バイト先は若干ソワソワしていた。
女性陣は「誰にあげるのか」男性陣は「誰からもらえるのか」と休憩時間にいろいろ話をしている。
倉田も例外ではなかった。
晴海からちゃんともらえるのか、気が気でない。
でもそれだけでなく、ちゃんと告白ができるのか、そこが一番の気がかりだ。
クリスマスの時は、晴海の祖父が危篤だという連絡が入ったため、告白は失敗に終わってしまった。
そこから何もできないまま毎日を過ごしていたけれど、さすがにちゃんとやり直したい。
──私、ずっと待ってますから。
夜行バスで言われた晴海の言葉がずしんと胸に重くのしかかる。
「そうだよな。ちゃんと言わなきゃだよな」
「何を言わなきゃいけないんですか?」
うわあ、と悲鳴が出た。
休憩室で座っていた倉田は、目の前に平野がむすっとした顔で睨んでいたことに全く気がついていなかった。
「いつからいたの?」
「ずっといました。いつ気づくんだろうと観察してたんですけど、全然気づかないんですね。ちょっとショックです」
「ごめん……」
謝る倉田だったが、平野は彼に目を向けることなく、スマホに目線を移した。
気まずい。
何かフォローをしておくべきなのだろうか。
「あの──」
「倉田さん、14日って空いてますか?」
「え?」
まさかの向こうから話を振られた。
14日にシフトは入っていなかったし、それは平野も同じだったはずだ。
まさか、と倉田はあまり考えたくないことを想像してしまった。
「……今のところは」
「なら、1日だけ付き合ってください。1日だけでいいので」
……フリーズしてしまった。
彼女が言っている内容はわかる。
デートの誘いだ。
しかし、なぜ?
なぜ自分を誘う?
理解できなかった。
からかわれているのだろうか、と平野の表情を窺った。
いつもの仏頂面と違って、少し頬が紅潮している。
ああ、本気なんだな。
そう認めざるを得ない。
「……なんで俺なの?」
「理由、言わなきゃダメですか?」
「ダメじゃないけど……知りたい。俺、今までこういうのに縁がなかったから」
「別に、私が誘いたかっただけです」
嘘だ。
何かを隠している。
なぜこんなにも平野は必死そうな表情をしているのだろうか。
恋人がいたことのない倉田にとって、この申し出は喜んで受け入れるべきなのだろう。
だけど、もう既に心に決めた人がいる以上、それは出来ない。
あの人が待っているのだ、言葉を。
だから……。
「……ごめん、気持ちは嬉しいけど、それはできない」
「どうしてですか。倉田さん、今彼女いないですよね」
「でも、俺に好きな人がいること、知っているよな」
うぐ、と平野は黙り込んだ。
やはりわかった上で行動してきたか。
「でも、1日くらいいいじゃないですか。1日だけでも、私のわがままに付き合ってください。お願いします……」
深々と平野は頭を下げる。
なんだか今にも壊れそうで泣き出しそうな声だった。
聞いているこっちまで胸が苦しくなる。
きっと、今に至るまで、いろんな思いがあったはずだ。
不安、葛藤、迷い、その他諸々……それらの重圧に耐えながら、彼女はこうしてデートの誘いをしに来たわけだ。
本気だから。
しかしこちらとて晴海にかける感情は、平野が自分に向けているものと同じくらい、いやそれ以上に大きい。
晴海を幸せにしたい。
その気持ちに嘘をつきたくない。
もしここで平野の申し出を承認してしまえば、晴海のことを、そして自分自身の気持ちにも嘘をついてしまうことになる。
「やっぱり、それはできない。ごめん」
倉田がそう言うと、平野は泣き出すのを我慢するように声をしゃくり上げた。
「1日くらいええやんか、アホォ……」
それだけ言って、彼女は休憩室を出た。
平野を傷つけてしまった。
まだ暫定的だが、彼女は自分に好意を持っている。
それはとても嬉しいことだけど、残念なことに彼女の気持ちに応えることは出来ない。
その罪悪感で倉田は心が一杯になる。
「どうすりゃいいんだよ、俺……」
休憩室で独り、倉田は頭を抱えた。
自分は、最悪な人間なのだろうか。
自分と、大切な人を大事にしたいあまり、他人を傷つけてしまった。
もしデートに行けたところで、どのみち平野の想いに応えてあげることは出来ない。
このまま告白しても気分は晴れない。
仮に成功したとして、それは平野の犠牲の下で成り立っている。
そんなの、自分の心も、平野の心も、そしてきっと晴海の心も晴れない。
考えがまとまらないまま、倉田は休憩室を出る。
結局彼女は部屋に戻ってこなかった。
どこかで泣いているのだろうか。
このまま戻らなくて、業務に支障が出る、なんてことになってしまったらたまったものではない。
しかし、そんな倉田の心配は杞憂に終わった。
「あ、お疲れ様です」
平野は何食わぬ顔で売り場に戻っていた。
いつも通りの無表情。
しかし目元はほんの少しだけ赤く腫れている。
ああ、やはり泣いたのか。
大丈夫か、と声をかけたくなった。
しかし、そんなことを自分が言ったら火に油だろう。
平野自身何食わぬ顔をしているのだから、自分も何事もなかったかのように振る舞う。
多分向こうはそれを望んでいるのだから、そうした方がいいのかもしれない。
でも……本当にそれでいいのか?
疑問を多く抱えた中、バイトを終え、帰路につく。
まだ心は晴れなかった。
本当に、このまま告白しても大丈夫なのだろうか。
不安だけがつきまとった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます