第78話「決戦前に」

 翌日、倉田はこのことを電話越しで岡に相談した。


「平野が悪い。お前は堂々としとけ。以上、解散」

「待てよ、それじゃなんも解決しないだろうが」

「しゃあないやろ。ならお前、ハルさんと平野の両方と付き合うんか?」

「そうじゃない。そういうことじゃないけど……」


 どうにかして平野を傷つけない方法を見つけたい。

 そう考えるのは、自分に都合が良すぎるだろうか。


「恋愛って、残酷なんだな」

「なんやお前、童貞の癖にわかったようなこと言うて」

「うるさい。そういう気分なんだよ」


 ため息をついた。

 こういう時にからかわれると非常に腹が立つ。


「お前も彼女出来たら価値観変わるぞ」

「え、もういるけど」

「は?」


 初耳だ。

 いったいいつそんなことになったのだろう。

 そもそも相手は……いや、そこに関してはわかりきっていることだ。


「倉田も頑張れ」

「ちょっと待て、その話詳しく」

「そんな話すようなことなんかあらへんて」

「話せ」


 岡はやれやれと言わんばかりに溜息をつく。

 その後、彼はちとせとの経緯について軽く話し、現在の近況も教えた。


「俺の知らないところで、ちゃっかり大人の階段上ってる……」

「何言うてんの?」


 倉田の感想に、岡は呆れることしかできなかった。


「正直言うとな? 告白するとき、すごい怖かった。嫌われるんとちゃうか、今までの関係が壊れるんとちゃうか」

「でも告白したんだろ?」

「そりゃな。そうせんと前に進めんからな」

「すげえな、お前……」


 告白出来るだけすごい。

 自分にはそんな勇気、ない。

 あるにはあるけれど、今揺らいでいる真っ最中だ。

 少なくとも、このまま告白はできない。


「俺、平野のこともなんとかしたい」

「ほなあいつとも付き合うんか?」

「それは違う! けど……あいつは、フラれる覚悟で俺を誘ってるんだ、と思う。だから俺は、平野の気持ちに正面から向き合いたい。そうしないと、ハルさんに告白する資格なんかないと思うから……」

「なんや、やることもう決まっとるやないか」


 また呆れたように岡が笑う。

 しかし倉田の心の中は晴れない。


「なあヤス、なんか解決策ねえかなあ」

「きっぱりとフる。これ以外ありえへん」

「だよなあ」


 しかし、相手を拒絶するのは、相当な覚悟がないと難しい。

 きっと、相手を受け入れるよりもずっと。


「デートは無理でも、飯を奢るくらいなら問題ないと思うけどな」

「本当か? 浮気じゃない?」

「どうやろ。人によっちゃ浮気になるかもしれへんな」

「それ、本当に大丈夫なのか?」

「知らん。お前の判断に任せる」


 無責任だ。

 だけど他人事だとそういうものなのだろうか。

 もう少し親身になって考えてほしいところだけど、実際のところ、岡が言っている通りなのだろう。


 この先、晴海との関係を進めるためには、やはり平野との関係を断っておかなければならない。

 少なくともあと1年はかかわりがあるのだ。

 いつまでも引きずられては困るし、こちらも彼女に後ろめたい気持ちを向けたくない。


「あいつの好きそうな飯、知らない?」

「俺が知るわけないやろ。とにかく適当になんか誘って、断れ。酷やと思うけど、お前と平野のためや」

「だな……頑張るよ。ありがとう」


 電話を切った倉田は、そのまますぐに平野の番号に電話をかけた。

 彼女に電話をするにはこれが初めてだ。

 そしておそらく、これが最後になるだろう。


 電話はすぐに出た。


『はい、平野です』

「もしもし、倉田だけど。今時間いいかな。昨日のことでちょっと話があるんだ」

『別に構いませんよ。丁度暇でしたし』


 電話越しに聞く彼女の声は、いつも以上に淡々としていた。

 向こうの表情が見えないからだろうか。


 心臓の鼓動が早くなる。

 ふう、と一呼吸置いた倉田は、自分の思いを伝えた。


「結論から言うと、デートはできない。ごめん」

『別にいいですよ。そんな気はしてました。要件はそれだけですか?』

「いや、そうじゃなくて、その……デートとまではいかなくても、ご飯なら奢ってあげられるかなと思って、一応相談したんですけど……どうかな」


 返答はなかった。

 しかし通話は続いている。

 向こうも悩んでいるのだろうか。


 倉田も黙ったまま平野の返答を待った。


『……本当に、奢りなんですか?』


 長い長い沈黙の後、彼女が問いかける。


「あ、ああ。奢りだ。けど、ほどほどにな。それと、バレンタイン当日はダメ。食べ歩きももちろんアウト。デート判定になるから」

『意外と厳しいですね。そんなことまで考えてたんですか。普通にキモイです』

「キモイ……」


 自分が好意を向けていないとはいえ、他人からそう言われるのはさすがに心に来るものがある。

 しかし、そんなことでへこたれてどうする。

 拒絶を恐れるな。

 自分自身に言い聞かせ、倉田は電話越しの相手と対峙した。


「ま、まあ、ともかく。それでいいかな」

『大丈夫です。では、いつがいいですか?』

「そうだな……バイトのシフトが入ってない日はいつだ?」


 彼女が提示してきた日程は、いずれも倉田の方にシフトが入っている。

 これは、バイト帰りに奢るルートになりそうだ。


「見事に被ってないな……」

『なら、13日にしましょう。どうせ、バレンタインであの人に告白しよう、とか思ってるんでしょう? ご愁傷様。あなたは私の心を傷つけたんですから、同じように傷ついてください。のうのうと告白しようだなんて、許しませんよ』

「理不尽すぎないか?」


 倉田がそう言っても、平野は何も言ってくれなかった。

 そこまで言われる筋合いなどあるだろうか。

 正直これはどうなのかと思う。

 いくらなんでも、恨みを持ちすぎなのではないか。

 とはいえ、それで晴海への想いが揺らぐことなどなく、むしろより強固なものになっていった。


「お前がそれで納得するんだったら、それでいいよ」

『ありがとうございます。それでは』


 ピ、と電話が切れた。

 その瞬間にどっと疲労が襲い掛かってくる。

 バイトの時よりも疲れた。

 晴海に告白する前に、もしかしたら疲労で死んでしまうかもしれない。

 そんな危機感すら感じた。

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