第87話「恋心の芽生え」

 ひとしきり愛を確かめ合ったので、さっそく晴海からもらったチョコレートを頂くことにする。

 倉田はラッピングを外し、箱を開けた。


 ハート型のチョコレートだった。

 チョコレートペンとトッピングシュガーでデコレーションされたそれは、夜空の星々よりもキラキラと輝いていた。


「お口に合うかわかりませんけれど……」

「いや、すごく嬉しいです。ありがとうございます」


 倉田はチョコレートを口に入れた。

 苦みのある甘さが口いっぱいに広がる。


「美味しいです、とても」

「本当ですか? 実はこれを作る前何度も失敗しちゃって、ちゃんとあげられるかすごく不安だったんですけど……よかった、上手く出来て」


 別に失敗作だろうと、晴海から貰えるものなら何でも嬉しい。


 あっという間に全て食べ終えてしまった。

 今まで食べたどんなチョコレートよりも美味しい。


「ホワイトデー、頑張らなきゃな……」

「別に、そんな、気負わなくてもいいですよ。私は、あなたからの気持ちがあれば、それだけで幸せです」

「いえ、俺なりに頑張らせてください。絶対、晴海さんを喜ばせますから」

「仕方ないですね、わかりました。じゃあ、それなりに期待しています」


 これは完全なるエゴである。

 もちろん一番大事なのは自分の気持ちだ。

 彼女を大切にしたい、という気持ちが伝われば、それで十分だけど、やはりやるからには全力でやりたい。

 とはいえ見栄を張ってしまうと自分のボロがバレてしまうし、次回以降のハードルがどんどん高くなってしまう。

 だからほどほどに頑張らないといけない。


「今日、ずっと私のことを名前で呼んでくれましたね」

「気づいちゃいました?」

「当たり前です。そういえば、クリスマスの時もそうでしたよね」

「あれは……告白の時だけでしたね。そこまで気づいていたなんて……」


 今までは作家のハルとして接してきた。

 だがこれからはそれだけでなく、西条晴海という一人の女性と向き合っていきたい。

 その意思表示のつもりだった。

 向こうも、自分のことをペンネームではなく名前で呼んでくれたし、その意図はちゃんと伝わったはずだ。


 実際本名で呼ばれたことはとても嬉しかったし、ようやく彼女の中に倉田創という人間が刻み込まれたんだと実感する。

 そんなことを考えてしまうのはいささか気持ち悪いだろうけれど。


「これで私にも春が来ちゃいました、なんちゃって」


 彼女の言葉に倉田が反応しなかったので、晴海は顔を真っ赤にして、ポコスカと彼の肩を叩いた。


「もう! 何か反応くらいあってもいいじゃないですか!」

「だって、あまりにもらしくなかったし、すごく可愛いこと言ってたから、頭の処理が追いつかなくて……」

「か、可愛いって、そんな……恥ずかしいじゃないですか」


 なら慣れないことなんかしなくていいのに、と倉田は思ったけれど、言ったらまた叩かれそうだから言わないことにする。

 晴海はムスッと頬を膨らませ、じーっと倉田を眺める。

 怖さは全くない。

 むしろ愛嬌さえ感じてしまう。

 170cmはあるであろう彼女が、兎やハムスターのような小動物に見えた。


 宥めるように倉田は晴海の頭を撫でた。

 しかし彼女は気にくわなかったのか、ピシッと彼の手を払いのける。


「あまり調子に乗らないでください」

「す、すみません……」


 彼女の言うとおりだった。

 からかうのが楽しくて、少し調子に乗ってしまった。

 これでは岡やちとせたちと一緒だ。


 肩を落とす倉田の姿を見て、今度は晴海の方が口端を上げた。


「いいですよ、許します。その代わり、あまり調子に乗りすぎないでくださいね」

「あはは、気をつけます」


 やはり彼女は笑った顔が一番似合う。


 晴海の笑顔を見た倉田は、そっと彼女の手を取った。

 彼女もそれに応じるように、彼の手を握り返す。

 指先は冷たく、しかしぬくもりは温かかった。


「幸せになりましょうね、私たち。お互い歳を重ねて、おじいちゃんおばあちゃんになっても、この先もずっとあなたと一緒にいたいです」

「そうですね。これから先長い長い人生、晴海さんと一緒にいられたら、それだけで幸せだと思います」

「まあ、嬉しい」


 フフフ、と彼女は笑って、倉田を見た。


「じゃあ、お互い敬語はやめなきゃだね、創くん」

「それ、すごく破壊力あります。ヤバいです」

「あ、また敬語になってる。だからもう私たち恋人なんだから、お互いもっと密になろうよ」

「なんで……晴海さんはそんなに自然な感じで敬語取れたんですか」

「ずっとそうなりたいって、考えていたから」


 即答だった。

 だからこそ切れ味が鋭い。


「ずっとって、いつからですか」

「いつからだろう……8月にはそう思っていたかも。でも、恋愛感情をちゃんと自覚できたのは今年に入ってからかな」

「結構ラグありますね」

「最初は、いい友人でいれたらいいなって思ってた。ちとせみたいに。けど、クリスマスの時に私を仙台まで連れ戻してくれて、大阪に戻ってきたときに迎えてくれて、その時すごく嬉しくなって、そこでようやく実感したの。ああ、私はこの人のことが好きなんだって」


 しかし彼女の恋心の芽生えはそこではなかったみたいだ。

 8月の夏コミ、手違いで1つしか部屋を取っていなかった、という出来事があったけれど、実はあの時はわざとそうしていたらしい。


「え、なんでそんなことしたんですか?」

「あなたとなら、そういう関係になっても構わないと思ってたから。まあ、多分私のことを大事にしてくれるから何もしないだろうっていうちょっとした信頼もあったけどね。でもこうしてちゃんと時間をかけてよかった。そのおかげで、創くんのこともっと知れたし、こうやって好きになれたから」

「晴海さん……」


 そう言われると、ここまでの道のりも無駄ではなかったのかな、と報われた気分になる。

 いろいろ前進するのに苦難した1年だった。

 だけどこれからは、少しずつでも、彼女とともに歩いて行ける。


「一緒に幸せになろう」


 もう一度倉田は晴海を抱きしめた。

 そしてまた口づけを交わす。

 今度は先ほどよりも数秒ほど長かった。

 幸せの味は、少しほろ苦く、チョコレートの味がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る