第82話「難波へ」

 いつもより早く目が醒めた。

 倉田は身支度を済ませ、デートの準備に勤しむ。

 昨日の平野に罪悪感が残っていないと言われたら嘘になるが、それでもやはり晴海が好きだという気持ちは揺るがないし、きっとこの先も同じだ。


 ──あの人と幸せになってください。


 彼女の言葉が鮮明に頭の中に残っている。

 あの時の平野はとても泣き出しそうで、だけど泣くもんかと言う気迫すら感じた。

 ならば、彼女の願いもちゃんと聞き届けてあげなければならない。


「頑張るから、俺」


 そう言い聞かせ、倉田は顔を洗う。

 冬の水は凍えるように冷たく、半分寝ぼけていた脳を覚醒させるのには丁度良かった。


 今日はまず御堂筋線の天王寺駅で待ち合わせて、そこから難波に向かう。

 難波でひとしきり買い物を済ませた後は梅田に向かい、夕食を食べる。

 その後はクリスマスのリベンジだ。

 こういう予定で動こうと倉田は考えている。


 まだ待ち合わせの時間まで少し時間があったけれど、このまま家で待機するのも心が落ち着かないので、先に天王寺の方に向かうことにする。


 家を出た倉田は、原付に乗って駅に向かい、そこから近鉄に乗り込んだ。

 約30分、電車に揺られながら倉田は天王寺を目指す。

 期待、緊張、不安……いろんな感情が渦巻いている。


 駅にやってきた。

 待ち合わせの時間まで1時間以上ある。

 さすがに勇み足過ぎただろうか。

 アニメイト含め周囲の書店はまだ開店すらしていない。

 ここからずっと彼女を待つために時間を持て余すのはなんだかもったいない気がしてならないが、家にいても落ち着かないのだ。


 だが、それは向こうも同じだったようで、晴海が少し驚いた顔をして倉田に近づいてきた。

「まさかいるとは思いませんでした」

「それはこっちの台詞です。まだ待ち合わせの時間にはなってないですよね」

「でも、家にいても落ち着かなくて……ソースケさんもですか?」

「ええ、まあ。そんなところです」


 まさかの偶然だった。

 だがこれで一緒にいる時間が長くなった。

 怪我の功名、とでも言うべきなのだろうか。

 ともかくラッキーだ。


「それじゃあ、行きましょうか」

「はい」


 倉田たちは駅の改札を抜け、電車に乗り込む。

 今から難波だ。


「そういえば、文学フリマの時以来でしたね。こうして2人で難波に行くの」

「そうですね。僕、基本的に天王寺しか行かないから、こうして難波に行くのはちょっと新鮮で、楽しみです」


 この前行った時は道頓堀の方を散策した。

 人で賑わっていて、活気にあふれた街だと思った。

 それに比例するように飲食店の数も多く、食い倒れするなら間違いなくここだろうという感想も秘かに抱いていた。

 胃袋が持たないので絶対にしないけれど。


 今回のデートの最終的なゴールはもちろん告白にあるけれど、裏目標は「身の丈に合ったことをする」である。

 クリスマスの時は身の丈に合わないことをしすぎて少々晴海に迷惑をかけてしまったので、何としてでもその二の舞は避けたい。


 とはいえ、さすがに軽くデートプランは組んできた。

 前は道頓堀だったが、今回は南海線のなんば駅に用がある。


「本当に迷いますね、ここ」

「私もたまに難波に来ますけど、正直梅田より難しいですよ。梅田ダンジョンの比じゃない」


 御堂筋線の改札を抜けた2人は、南海線の方へと歩いた。

 よくダンジョンだと評される梅田駅周辺だが、倉田の中では難波も大概迷宮化していると思っている。

 まず難波駅だけでも地下鉄、南海鉄道、近鉄、JRと、4つ存在している上に、それぞれに至るまでのルートも少しややこしい。

 地下が蟻の巣のように張り巡らされているだけならまだしも、目標となる目印が梅田と違って少ないため、すぐに迷子になってしまう。

 特に地下鉄から南海に向かう際は、南海の駅と併設されているショッピングモールとごちゃまぜになってしまうからなおのこと注意が必要である。


 今回は迷うことなく目的地であるショッピングモールに着いた。

 ここでウインドウショッピングをしながら、できることなら軽く食べ歩きでもしようかと思っていたけれど、さすがにそれは気が引ける。


「なんとかたどり着けましたね」

「今日は迷わなくて済んだ……」


 ホッと安堵したように彼女は笑った。

 倉田も笑った。


 この後は適当にショッピングモールの中をフラフラと散策した。

 めぼしいものがないかを探してみたけれど、物欲が薄い2人にはあまり心に響かなかった。

 ただ一つ、とある店を除いて。


「入ってもいいですか?」

「もちろん」


 書店だった。

 2人は入店し、いろいろ語りながら店内を見て回る。


「この作家さんはとても絵の迫力がすごいんです。こちらの作家さんはコマの使い方がとてもよくて……」


 などと彼女は解説を挟んでくる。

 なんだかいつもより早口になっている気がした。


「なんだかいつもよりイキイキしてますね」

「え、そ、そうですか? すみません、自覚がなくて」


 照れ笑う晴海を見て、倉田は幸せを感じた。

 この幸せを、いつまでも大切にしていきたい。

 そう思いながら店の中を物色する。


 最近、いろんなジャンルの本を読みたいと思い始めてきた。

 晴海が商業デビューするのだ。

 ならば自分もそれに続きたい。

 そのためにはネタの引き出しを多くしておきたかった。

 別に必須ではないけれど、ネタの引き出しは多いに越したことはない。


「珍しいですね、ファンタジーを読むなんて」

「前々から興味はあったんです。でも、なかなか手が出せなくて。勉強も兼ねて読んでみようかなと

「小説でファンタジーって、難しそうですもんね。絵より説明が大変そうです」

「そこも含めても勉強です」


 お互いそれぞれ本を購入した後もしばらくブラブラと店内を見て回った。

 やはり自分たちは創作が好きなのだと、改めて理解できたひと時だった。

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