第43話「意外な来訪者」

 夏コミ1日目が始まった。

 開幕と同時に多くの一般参加者が列を形成して目当てのサークルのところまで向かっている。

 こんな行列もコミケならではの光景だ。


「すごいな、人」

「コミケだからな。でもまさかこれほどとは……」


 他のサークルにも人が集まり始めた。

 倉田たちの島はいわゆるオリジナルの創作が集まっている島だ。

 二次創作と違い、オリジナルはゼロからの勝負だ。

 賑わっている他のサークルとは違い、周囲は閑散としていた。

 小説ならなおさら。

 しかしそんなことは初めからわかっていたことだし、それも覚悟の上だ。


「全然人来おへんな」

「まあ元々人気ないジャンルだからね。壁サーでもない限り無理だよ」

「これが格差社会かー」

「実力主義の世界だよ。だから俺は断ったんだ。俺のサークルじゃ売り子なんて別にいらないって」

「でもお前だっていろいろ見て回りたいやろ? そのためにはサークルに誰かおらなアカンやん」

「それは……やっぱいるわ」


 コミケの会場は広い。

 なんせ東館だけでなく、西館や南館と、会場が3つあるから。

 東館ですら6区画に分かれているので、本当に広い。

 世界のどこを探しても、ここまで大規模な即売会なんて中々ないだろう。


 ピコン、と通知音が鳴った。

 ちとせからだった。


『おーっす!

 今適当にブラブラしとるからまた後で遊びに行くわな。

 コス楽しみにしといてな』


 そのメッセージと共に、1枚の自撮り写真が送られてきた。

 何かのアイドルゲームに出てきたキャラだ。

 髪型は一緒だが、いつもの真っ黒な髪とは違い、銀色に染め上げている。

 和をモチーフにした衣装で、キャラクターの特徴的な狐目もちゃんと再現できている。

 というか……完全に髪を銀髪にしたちとせそのものだ。


 やはり想像通りのキャラクターのコスプレだった。

 このキャラをコスするのに、彼女ほどの適任はいない。

 初めて出会った時から薄々思っていたことだ。


「お、クオリティ高」


 スマホの画面を覗いた岡が感想を呟く。

 彼の言う通り、本当にクオリティが高い。

 まるでアニメの世界からキャラがそのまま飛び出してしまったようだ。

 本当にただの売り子で済ませていいのか? と思ってしまう。


 開場から15分、未だに誰も手に取ってくれなかった。

 チラリチラリと見てくれる人はいる。

 けれど、それだけで皆素通りしてしまう。


「売れへんな」


 ポツリと岡が呟く。

 もう売り子に飽きたのか、ポチポチとスマホをいじっている。


「まだ始まってすぐだぞ」

「そういうもんか?」

「そういうものなの」


 こういうのは忍耐だ。

 過去の即売会の経験でそれを知った。

 きっと、即売会の楽しさは本が売れる喜びだけでなく……。


「売れてますか?」


 聞き覚えのある声だった。


「……平野? なんでここにいるの?」

「親戚が東京にいるんです。そのついでに寄りました。前から興味ありましたし」

「すごいな、行動力……」


 彼女の左腕には一般参加のリストバンドが巻かれていた。

 親戚のところに行くよりも、むしろこっちの方がメインなのではないか。

 そんなことを聞いても仕方がないので別に尋ねるつもりもないのだけれど。


「で、新刊どれですか?」

「これとこれ。こっちが小説で、こっちが漫画本」

「倉田さんって漫画描けましたっけ?」

「漫画どころか絵もダメだよ。だからハルさんに描いてもらった」


 ピクリ、と平野の手が止まった。

 そのまま黙って財布を取り出す。


「1冊ずつください」

「1000円です」


 平野は言われた通りに1000円札を取り出し、倉田に手渡した。

 新刊2冊を手にした彼女は、そのまま何も言わずにスタスタと倉田のサークルを去る。

 もう少し話をしていたかったが、向こうも目当てのサークルがあるから忙しいのだろう。

 無理に引き留めるのもよくない。


「あいつ、なんか好きなジャンルとかあるんやろか」

「さあ。そういう話題になったことないから知らない。あんまり他人の趣味に干渉するもんじゃないよ」

「案外BLとか好きやったりしてな」


 ケラケラと岡は笑う。

 どうだろうか。

 そもそも彼女に好きなジャンルなんてあるのだろうか。

 彼女はあまり表に感情を出さないから、そもそも何を考えているのかすらわからない。

 少しだけ興味が出てきた。

 けれどこういうのを詮索するのも悪趣味だ。


「調子はどうですか?」


 今度は晴海がやってきた。

 倉田の背筋がピンと伸び、声のトーンも上がる。


「さっき、バイトの子が来てました」

「そうなんですね。あ、もしかしたらあの子かな。ソースケさんの新刊持ってた子、ウチのサークルにも来たんです」

「本当ですか? 何か言ってました?」

「いえ、別に。特に面識もありませんし」


 そういえばそうか。

 晴海は自分たちのバイト先に来ただけで、別に平野と会話したわけではない。

 それに平野は晴海のことを見ていたけれど、晴海が平野のことを認知していたかどうかなんて知らない。


 それならそれでいい、と倉田は胸を撫で下ろした。

 もし万が一平野が晴海に「倉田があなたのことを好いている」などとのたまうものなら、今後の関係性が壊れかねない。

 それは晴海との関係もそうだし、平野に対してもそうだ。

 岡とちとせは絶対面白がるだろうから、そうなったら縁を切ってやるつもりだ。


「どうかされました?」

「あ、いや、ちょっと考え事を……」

「あまり無理なさらないでください。また後でサークルで待ってます」

「はい、必ず行きます」


 晴海はペコリと一礼して、倉田の前から去る。


「早速出かけるか?」

「もう少ししたらね。なんとか自力で1冊売りたいから」

「そうかい」


 これは己のプライドの問題だ。

 誰になんと言われても、それだけは譲れなかった。


「そういえばハルさん、新刊買ってへんよな

「……あ」


 気がついたのは、彼女の姿が見えなくなってすぐのことだった。

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