第19話「怒らせると怖い人」
「そういえばさ、ソースケくんの名前、なんて言うの?」
「名前?」
「本名。ほら、ウチすっかり自分と晴海の本名
そんなことを言われても、と言いかけて飲み込んだ。
きっと彼女にはそういう言葉は一切通じない。
元々本名で活動する予定だったのだ。
別に名前くらい、バレたっていい。
それに、ハルの友人なのだ。
いろいろ適当な部分が目立つことが多いけれど、なんだかんだ友人を続けているということはそれなりに信用されているということなのだろう。
「倉田です。倉田創。『創』は創作の創です」
「ほーん。ペンネームとまんまやな。なんかおもんない」
「すみません……」
なぜか謝ってしまった。
いつもの癖だ。
だが、ネーミングセンスはいい方ではないということは十分理解しているつもりではあるけれど、そこまで言われるほどか? と首をかしげたくなる。
自分でも安直なペンネームだというのはわかっているけれど、別に珍しいものでもないし、やっぱり言い過ぎな気もする。
そんなこと、ちとせに面と向かって言えるはずもないのだけれど。
ケーキを口に運び、頬をリスのようにする。
「で、なんで小説家になろうって思ったん?」
「そうですね……物語を考えるのが好きで、でも絵は描けなかったから、だったら小説でって感じで……はい」
「へえ、ええやん。ウチ、絵は描けるけど物語は考えられへんから、その辺はソースケくんと晴海が羨ましいわあ」
「イラスト、描いてたんですか?」
「せや。晴海と同じ専門行っとってん」
ほれ、と彼女はスマホのフォルダの中に入っているイラストを次々と見せていった。
少女の絵、ビル街の絵、海辺の絵。
どのイラストもかなりクオリティが高かった。
おそらく、岡のレベルではない。
プロのものと遜色ないくらいのクオリティだった。
「すご……プロじゃないですか」
「そんなすごいもんと違うよ。ウチより上手いひとなんかようさんおる」
「嘘でしょ……どうなってんだ絵描きの世界は……」
実際、文章を書いている倉田自身もなんとなくわかっていた。
上には上がいる。
並大抵の努力などでは覆すことのできない実力を持った人たちがうじゃうじゃいる魑魅魍魎の世界だということも。
そんな化け物たちと対等に渡り合えるだけの力量を彼女は持っているはずだ。
本当に絵や文章が上手い人間は謙遜するものなのだろうか。
どうでもええやんそんなん、とちとせはケーキを完食し、フラペチーノを口にする。
早すぎる彼女の食事スピードにも驚いたが、それよりもちとせは何かを隠しているようだった。
触れるな、と暗に言っているようなものだ。
「まあ、そんな暗い話したいわけちゃうんよ、ウチ。もっと明るい話したいわあ。そうやなあ……やっぱ晴海とソースケくんって付き合っとん?」
飲んでいたドリンクを吹き出しそうになってしまった。
話題の切り替え方が直球過ぎる。
「……は? え、はぁ?」
何度も何度も交差にちとせと晴海を見た。
晴海も驚いた様子でちとせを睨む。
そりゃそうだろう。
急にこんな話題をされて、怒らない方がおかしい。
彼女はさっきまで持っていたフォークをテーブルに置く。
「だから、そんなんじゃないって言ってるでしょう? 彼とは……まだ知り合ったばかりだし、友人、と言っていいのかもわからないし」
「いや、もう十分友達やろ」
「…………ふえぇ?」
晴海の口から変な声が出た。
一体どこからそんな声が出てくるのか、と疑いたくなるくらい、凛とした彼女から発せられたとは思えない声だった。
そのギャップに思わず吹き出しそうになったが、ぐっと倉田は堪える。
ちとせは頬杖を突きながら、自身のフォークをちとせに向ける。
「夜行バスで知り
「そうかな……そうなのかな……」
困惑する晴海の様子に、ちとせが溜息をつく。
「わかった。もし今の状況が友達って呼べるかどうか怪しいんやったら、一回ソースケくんをどっか遊びに誘いんか。それやったらもう友達やろ」
「え?」
今度は倉田が奇声を上げる。
そんなことをネタバレしてしまってもいいのか?
元来こういう話は2人きりの作戦会議のときに済ませておくものではないだろうか?
困惑が冷めないまま、倉田はまたちとせと晴海を交互に見る。
「えっと……その…………」
「ああ、ごめんな。のけ者にしよったわ。えっと、晴海がGWにソースケくん誘いたいって」
「ちょっと!」
いつも静かな声で話す彼女が声を荒げた。
透き通るような声が店内に響き渡るので、多くの客が晴海の方を向く。
あ……と彼女は周囲からの視線に気づき、しゅくしゅくと縮こまっていった。
ギロリ、と晴海はちとせの方を見る。
ちとせは面白そうにニヤニヤと笑ったままだった。
「いやー、ホンマ晴海弄るんはおもろいわあ。いっつもええリアクションしてくれるし」
「もうやめてって言ってるでしょ?」
「ごめんごめん、堪忍なあ」
「この後のご飯、ソースケさんの分を立て替えてくれるのなら許す」
晴海は涙目だった。
ぷんすかと拗ねている彼女も可愛かったけれど、今日は倉田が彼女にごちそうするという流れになっていたはずだ。
金銭的な余裕が生まれるのはありがたいが、それでは義理が立たない。
「いや、あの、僕、ちゃんと払いますよ」
「いいんです! ちとせにはちょっと懲らしめないとダメなんですから。さーて、どこにしようかなあ。ちとせに奢らせるんだから、食べ放題じゃない場所がいいよね……」
スマホを取り出し、晴海はポチポチと店を探す。
邪悪な笑みだった。
初対面のお淑やかで清楚な感じは何処にもない。
怒らせると怖いな、と背筋を凍らせながら、倉田はちとせの方を見た。
ちとせは、もうあははと笑うことしかしていない。
「あー、ちょっとやりすぎてしもうたわ。反省反省」
椅子の背もたれに体重をかけ、天井を見ていた。
この後の食事会はどうなるんだと、倉田は少し戦慄しながらシフォンケーキを口にする。
先ほどよりも苦々しかった。
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