第67話「彼女のために」

 朝9時、仙台の病院の駐車場に岡は車を停めた。

 晴海は到着するとすぐに車のドアを開いた。


「ありがとうございました! 今から会いに行ってきます」

「はい、行ってらっしゃい」


 バタン! と乱暴に晴海はドアを閉めて、病院の入口へと駆けて行った。

 本来あんなドアの開け方をされたら怒りたくなるけれど、今は事情が事情だから目を瞑る。


「俺のやったこと、本当に正しかったのかな」


 倉田が呟いた。

 昨晩からずっとエゴばかりで動いていた。

 この行為が、晴海を苦しめるだけかもしれないと思いながら。

 それでも、彼女のためになるならと信じ、行動し続けた。

 岡まで借り出して。


 本当は、過去の自分を贖罪したいだけかもしれない。

 勝手に彼女の姿と過去の自分を重ねて、心に残っていたわだかまりを浄化させようとしていただけなのかもしれない。

 果たして、それは本当に正しいことなのか?

 今更ながら罪悪感が倉田を襲った。


 ハンドルを話した岡は、座席を後ろに倒し、倉田の問いに答えた。


「知らんわ」

「知らんわ、じゃねえよ。俺、身勝手すぎたよなあ。ノープランだし、何もしてあげられなかったし。俺のやったこと、無意味だったのかな」

「無意味ではないやろうな」


 彼の言葉に、倉田は顔を上げる。

 岡は倉田の方に目を向けることなく、ごろんと横になったまま言葉を続ける。


「お前が『仙台に行こう』って言わんかったら、多分あの人は朝の始発で行ってた。それでも到着時間は今とさほど変わらんかもしれんけど、始発までの間、何もせずにただ爺ちゃんが死ぬのを待つのは、すっごい辛いと思う。誰かと一緒におっただけで、あの人にとってすごく心の支えになったとちゃうんかな」

「そっか……なら、よかったかも」


 そう言い聞かせることにした。

 きっと正解なんてない。

 だから、自分が選んだ道を信じなければ、どの道後悔はしていただろう。


 長旅で疲れたのは倉田も同じだ。

 車のドアを開け、外を出る。

 やはり東北、慣れ親しんだ大阪の土地よりも寒さが違う。

 厚手の上着でもそれを貫くような冷たい風が襲いかかってくる。

 すうっと空気を吸い込んだだけでも肺が凍りつきそうだ。


 電話がかかってきた。

 相手は晴海からだった。

 これだけでいろいろと状況を察し、倉田は電話を取る。


「はい」

『私です。ハルです。たった今、祖父が息を引き取りました』


 やはりか、と倉田は顔を下げる。

 なんとなくそんな気はしていた。

 電話越しに聞こえる彼女の声は、とても暗く、重たい。


『私が病室に駆けつけた時、おじいちゃん、目を開けたんです。そしてゆっくり私の方を向いて、笑ったんです。「頑張れ」って。それから意識が戻らなくなって、何度も声をかけたんですけど、それでもダメで……』


 だんだん彼女の声が涙声になっていく。

 聞いているこっちまで泣きたくなってきた。


 ずび、と鼻を啜る音が聞こえる。


『始発だったらきっと、間に合っていませんでした。ソースケさん、私をここまで連れてきてくれてありがとうございました。おかげで、後悔なく祖父の死に立ち会えることが出来ました』

「いえ、お礼ならヤスの奴にも言ってあげてください。僕だけじゃ、ハルさんを送り届けられなかったから」


 もう一つ。

 祖父が頑張ってくれたからだと倉田は思っている。

 危篤の連絡を受けてから約半日経って、祖父は旅立った。

 自分の祖母の時はあっという間だったから、割と根気強く粘った方だと思う。


 これは勝手な推論だが、おそらく彼女の祖父は、晴海に会いたくて、たった今まで踏ん張っていたのだと思う。

 旧友が来た途端に亡くなった、という話はよく聞くけれど、まさにそういうことなのだろう。


「この後はどうしますか?」

『そうですね……きっと葬式や遺品整理で忙しくなると思うので、年始までは大阪に帰らないと思います』

「そうですか……大変だと思いますけど、無理だけはなさらずに」

『ええ。ソースケさんも、帰り、お気をつけて。それと、昨日はとても楽しかったです』


 電話は切れた。

 最後まで彼女は泣かなかった。

 別に、こんな時くらい涙くらい見せてもいいのに。

 それでも自分には、そんな弱い姿なんてもう見せたくなかったのだろうか。


 頼られる人になりたい。


 倉田はスマホを閉じて、岡が待つ車の中へ戻った。


「お爺さん、さっき息を引き取ったって」

「……そうか」

「なんか、全然他人なのに、辛いな」

「そうだな」


 お互いそれ以上何も言わず、倉田も後部座席で横になった。

 昨日の晩から寝ていない。

 彼女を無事に送り届ける、という任務は遂行されたので、一気に眠気が襲ってくる。


「帰るってなったら起こして」


 反応はなかった。

 彼も眠っているようだ。

 倉田は岡が寝ていることに気が付かないまま、意識を夢の中へと潜り込ませていく。

 疲労感が抜け落ちていく感じが、記憶の中の最後の感覚だった。


 目が覚めた時、既に周辺は西日が差していた。

 どうやらかなり長い間眠っていたみたいだ。

 しかし、病院の建物はどこにもなく、綺麗なビルがいくつも立ち並んでいた。


「お、起きたか」

「おはよう。ここどこ?」

「東京。今大阪に向かってる最中や」


 岡はハンドルを握ったまま答えた。

 帰るなら起こせって言ったのに、というどうでもいい怒りは胃の中に飲み込んで、倉田は身体を起こす。

 やはり東京の都心部はその場にいるだけで息苦しくなる。

 有明の方ではそうならないのに。


「行きと違って帰りはゆっくり行くから。車中泊覚悟しとけ」

「別にそのくらい構わねえよ。ハルさん、ちゃんと送り届けたんだから」


 バックミラーに岡の口元が上がっているのが映る。

 彼は運転しながら、倉田に「告白できたのか」と尋ねた。


「やろうとしたタイミングであの連絡が入ったんだから、無理に決まってんだろ……」

「なっさけな。お前それでも男か? そういう時こそちゃんとやらなアカン」

「いや、むしろそういう時に告白する方が常識疑うだろ」


 やいのやいの言いながら、2人は大阪へと戻る。

 仙台に向かう時より気力はあった。

 体力は全然残っていないけれど。

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