③ 4/21 結婚を真剣に考えた女性の存在(司の女性遍歴)
「そうだ! あんたが司と結婚してくれ。五円玉をジャラジャラ賽銭箱に入れるような人だ。ここが気に入ってるんだろ」
「む、無理ですよ。この場所は大好きですが……」
即答すると熊一はかすかに眉根を寄せて、むすっと頬を膨らませた。
「親の儂が言うのもなんだが、いい男だよ。司は。あっ、すでに彼氏がいるのか?」
パッと、良雄のやさしい顔が浮かぶ。千乃から明日、良雄と会うように頼まれていた。
まだ彼氏ではないけれど、明日から彼氏になる可能性を捨てきれない。期待に胸が膨らむと、妙に照れくさくて頬が熱くなる。
熊一は大きな息をついた。
「はあ、残念だ。どうも司には女運がないな」
「選り取り見取り、選び放題に見えますが?」
「それなりにモテるが、神社の息子だろ。定休日のない自営業みたいなもんだし、神社の嫁という肩書きは面倒くさいぞ。口うるさい氏子さんも多いからな」
「そんな話を、大きな声でして大丈夫ですか?」
抑えた声でたずねたのに、熊一の声はさらに大きくなった。
「平気、平気。それからな、司が高校生の頃の彼女だ。正月の手伝いさせたら、逃げよってな。大学の時は……、子どものいたずらで破局。不運の連続じゃ」
熊一の話は興味深かったが、聞いてはいけないことを聞いているようで、落ち着かない。菜花は苦い色を浮かべて出来損ないの笑顔をつくった。
「でもいまは、アカツキビールのエリート社員ですよ。結婚だってすぐに」
「それが、そうでもなくてな。もう五年になるかな、結婚を真剣に考えてた女がいたんだが」
「結婚を……真剣に?」
ぐっと身を乗りだして耳を傾けたのに。
「おい、おまえら、そこでなんの話をしている」
「うぉッ、司!? 今日はずいぶん早いな」
「忘れ物を取りに戻っただけだ。すぐ会社に戻る」
不機嫌を凝縮した声を熊一にぶつけて、すぐさま形のいい黒の瞳が菜花をにらみつける。
「お、お仕事、たたた、た、大変……ですね」
突然現れた司に驚きすぎて、心臓がバクバク激しく波打っていた。それでも、もつれる舌を懸命に励ましてほほ笑みをつくる。
できる限り頑張ったのに、司はさらに険しい目で菜花をにらみつけてから、社務所の奥へと去った。
「ひゃぁ、びっくりした。噂をすれば、なんとやら。心臓が止まるかと思ったぞ。儂はまだまだ死にたくないのに」
いたずらが成功した子どものように、熊一がニッと笑った。菜花も笑顔をつくろうとしたが、司が戻ってくる。
「おい、菜花。俺がここに住んでいることは、誰にも言うなよ」
「どうしてですか?」
きょとんとしながら聞き返しても、司は菜花を無視した。
「親父、ホウキが転がったままだぞ。こんなところで油を売ってる場合か。薫さんが帰ってきたら」
「おっと。そりゃ、いかん。菜花ちゃん、また遊びにおいで」
熊一は逃げるように社務所から出て行ったが、「熊一さん!」ときつい口調が響く。薫の怒りが熊一を直撃していた。
「わたしも、……帰った方がよさそうですね」
「ああ、そうだな。湯呑みと皿はそのままでいいから、さっさと帰れ」
ひどく冷たい視線と声が、狼狽える菜花に深く突き刺さった。
司の過去を話しはじめたのは熊一。それをただ聞いていただけなのに、怒りの矛先は完全に菜花を向いている。腑に落ちない表情を見せると司は一瞬たじろいだが、ふいっと顔を背けて社務所を出て行った。
「薫さん、社務所に菜花がいるから。あと、よろしく」
「あら、菜花ちゃんが来てたの。いらっしゃい」
「えっ、あ、ごめんなさい。これ、足りないかもしれませんがクリーニング代です。先日はご迷惑をかけて、本当にすみませんでした」
頭を下げて、上げたときにはもう司はいなかった。
変態コスプレ女と罵られたばかりなのに、他人の過去を詮索するイヤな女だと思われた。非難するような目つきと、冷たく突き放した口調が胸を掻きむしる。だがそれ以上に――。
「菜花ちゃん、どうしたの?」
「ごめんなさい。大丈夫です」
「……あら、熊一さんの和菓子を食べていたのね。他にもまだたくさんあるから、食べる? お家に帰るなら箱に入れてあげるね」
「ありがとうございます。それより、あの……」
結婚を真剣に考えた女性。そのことが聞きたかったのに、声が続かなかった。
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