四月二十日(月) さあ、仕事をはじめよう

① 4/20 良雄と付き合う気ない?

 月曜日がはじまった。

 日曜日にリフレッシュしたはずなのに、満員電車が元気をすべて奪って行く。

 ぎゅうぎゅうの車内から放り出されても、人波は菜花を自由にしてくれない。肩をぶつけながら、押し流されるように改札を出た。


「はあー、疲れた」


 ここでようやく深呼吸ができる。

 東京に来た頃は、空気の悪さにいつも顔をしかめていた。どこからか漂う油っぽい匂いはいまも苦手だけど、満員電車の人混みから解放されたこの瞬間だけは、東京の空気も美味しく感じる。

 よし、と気合いを入れて歩きはじめると、淡いピンクフレームに、オリーブのグラデーションを施したサングラスの女が、ぺこりと菜花に頭を下げた。

 怪訝な顔をすると、女はサングラスを外す。


千乃ちのさん!」

「よかったぁー、覚えててくれて。「誰ですか?」なんて言われたらどうしようって、ドキドキしてたんだから。会社まで、一緒にいい?」

「もちろんです。よろしくお願いします」

「お願いしますって、堅苦しいのはなしにして。それより先週は、ごめんね。合コンでイヤな思いさせちゃった?」

「いえ、別に。大丈夫ですよ」


 あのあと、もっとひどい目に遭いましたから、と言いかけて菜花は口をつぐんだ。


「それならよかった。菜花が帰ったあとに、みんなでカラオケに行ったんだけど、ユウユが……」

 

 嫌な予感がした。

 カラオケで盛りあがっているのに、ユウユがぽつりとこぼしたそうだ。


『明日、本当に誕生日を祝ってくれる人、いるのかな。菜花、見栄っ張りなところがあるから、心配。派遣って仕事がコロコロ変わるでしょう。だから友達がいないって、言い出せなかったかも』


 かわいそうなことをしてしまったと落ち込む、ユウユ。それをなぐさめる会みたいだったと、千乃はぎこちなく笑う。

 菜花は頬が引きつるのを感じた。そこにいない人を下げて、自分をよく見せる。普段はそんな人ではない。菜花に総務の仕事を教えてくれたのはユウユ。説明はとても丁寧で、仕事をたくさんくれる。それなのに――。

 

 男が絡むと豹変する女。恋は弱肉強食。他人を蹴落としてでも、いい男を捕まえる。いまの時代、ユウユのように強く、たくましく、生きていかないと恋人すらできないのか。そう考えると、ため息がこぼれた。


「心配しなくても、昨日の誕生日はハプニングだらけで、めまぐるしい一日でしたよ」


 ははは、と乾いた笑いを浮かべながら、うそはついていないと頭をかいた。


「おや、それじゃ菜花には、彼氏がいるの?」

「はひ?」


 突然、心臓が止まりそうな質問をしてきた千乃は、またサングラスをする。


「もし、付きあってる人がいないなら、良雄よしたかと付き合う気ない?」

「えええええぇ!?」


 周囲に大きく響く声で叫んでしまった。

 中山良雄は腹の虫が騒いだ菜花をかばい、やさしいまなざしを向けてくれた。合コンに参加した男性陣の中で、唯一、もう少し話をしてみたかった人。


「そんなに驚かないでって。良雄は菜花より年下だし、彼氏がいるなら断っとくよ」

「彼氏がいたとしても、中山さんを選ぶでしょう。……彼氏なんかいないけど」

「えっ、良雄のこと気に入ってたの?」

「そりゃ、もう。なんだろう、すごくやさしい目をしてましたね」

「あいつは、やさしさだけが取り柄だからね」


 そう言った千乃は、視線を菜花から外した。

 サングラスのせいでよくわからなかったけど、直感的に千乃から淋しさを感じる。


「もしかして、千乃さん――」


 菜花が感じたままを言葉にしようとしたら、到着したばかりのロビーに怒号が響き渡る。


「なんだろう」


 駆け足で近づくと、アカツキビールの社員たちが足を止めている。会社のロビーは人であふれて、その奥から激しく言い争うような声が。千乃も菜花も背伸びをしたが、人が多すぎて見えない。


「なにかあったんですか?」


 すぐ近くの人に声をかけると、周囲を気にしながら小声で教えてくれた。

 アカツキビール役員の松山まつやま勝美かつみに、失礼な口の利き方をした社員がいて、松山の取り巻きが怒鳴り散らしているらしい。

 不穏な空気と戸惑いのざわめきが広がる中で、菜花だけが顔一面に喜びを浮かべた。

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